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ゲオルグは足音を殺し、あたりの様子を伺いながら森に踏み込んだ。ここは前回の現場からは離れているものの……何度か魔蟲の出現が確認された地域だ。
――もうすぐ夕方か。今の俺が一人でいたらまずい。あの矢だって五本しかないしな、しかも無駄撃ちできねえ希少品だ。
対策班の気配はない。ここからもう少し暗渠の森に近づいた場所に最後の宿場町がある。皆はそっちに行っているのかも知れない。ゲオルグがそう思ったときだった。
一瞬だけ、危険を知らせる警笛が鳴った。だが、すぐに途切れる。
何かの間違いかと思いかけ、ゲオルグはすぐにその考えを打ち消した。危険がなければ、そもそも笛を咥えることはない。
どくん、どくんと心臓の音が高くなる。
森のなかで何かが起きている。ここはもう安全な場所ではない。ゲオルグは弩を背中から外し『魔蟲殺シ』の矢をつがえた状態で歩きだす。
足元を、凄まじい勢いで小さな獣が走り去っていった。獣がきた方角は、笛の音が聞こえた方角に一致していた。
「……っは……」
ゲオルグは自分を鼓舞するように小さな笑い声を立てた。
――今日の狩りはやばい。空気からあの日と同じ臭いがする。
非力な自分では何も出来ない。いつもと同じ判断をするのはやめて、離脱して一度誰かと合流するか、と思った瞬間だった。
何もいなかった目の前に、巨大な蜘蛛のような化け物が現れる。
唐突だった。何もいなかったはずなのに、それはすでに目の前にいた。
口の周りを不吉な赤に染め、ぐちゃぐちゃと何かを咀嚼していた。
――まずい。
身構える間もなかった。
その化物は、木々をなぎ倒しながらゲオルグに躍りかかってきた。
立ちすくみかけたゲオルグは、とっさに横に飛ぶ。身体が重い。軽いはずなのにまるで思い通りに動けない。
一瞬後に、腐葉土にざくりと爪が突き刺さる。そっくりだ、十五年前のあの狩りと。ただ違うのは……
――あいつより小せえな……
数百人の人間を屠ったあの魔蟲よりも、その魔蟲は遥かに小さかった。
あれは小山のような巨体を誇っていたが、この魔蟲はゲオルグの倍ほどの背丈しかない。もちろん、死を覚悟するには十分な巨体ではあるが。
魔蟲の身体にまばらに開く赤い目が、じっとゲオルグを見つめる。
――ああ、殺す気だ。食う気だな……俺を。
ゲオルグは大きく息を吐き、頼りない薄い腹に力を込める。怯えを見せたら、それで最後だ。
――俺は狩人だ。狩られる側じゃねえ。覚えとけ、くそったれの雑魚蟲が。
これまで何百回繰り返したかわからない言葉を、ゲオルグは心の中で繰り返す。
ゲオルグは『魔蟲殺シ』の弓をつがえた弩を構えた。
――殺すのは、俺だ。殺されるのは、お前だ。
魔蟲が何かを考えるように一瞬だけ動きを止めた。見た目はひ弱な少女であっても、ゲオルグの迷いのない動きに何か思うところがあったのかもしれない。
――目か? 口か?
柔らかい場所を探し、ゲオルグは微動だにせずに弩の先を魔蟲に向け続けた。
――剣は使えない、さて、どうやってやる? こいつは硬いぞ。まあ、ちっこいからまだガキなのかもしれないけどな……もう少し近づいて……駄目だ、今の俺じゃ撃った後に避けられねえ。腹くくるか、どうする?
魔蟲が、ずりずりと後ずさった。ゲオルグは動かずに弩を構えたまま、待つ。
あいつは逃げたふりをして飛びかかってくる。あの目からは『食欲』が失せていない。害意に晒され続けていることを正確に理解しながら、ゲオルグは歯を食いしばった。
後退した魔蟲が、音もなくゲオルグに躍りかかる。蜘蛛のような脚の先に光る鋭い爪が、ゲオルグの身体を貫こうと迫ってくる。
「……ッ!」
ゲオルグはぎりぎりまで魔蟲を引きつけ、弩の引き金を引いた。
軽い音を立てて飛んでいった矢が、どん、と鈍い音とともに、魔蟲の身体で青い火柱を立てる。
金属をこすり合わせるような不快な叫びが、森のなかに轟いた。
――やったか?
一瞬だけ湧き上がった期待は、あっという間に打ち消された。
魔蟲は死んでいない。
退いただけだ。
むしろ、事態は悪化したと言ってもいい。魔法で傷を受けた魔蟲が、先程までとは比べ物にならない怒りを秘めて、一心にゲオルグを狙っているのがわかった。
――駄目だ。この矢じゃあいつを殺るには弱い。
ゲオルグは可能な限り後方に下がり、もう一度『魔蟲殺シ』の矢をつがえて弩を構え直す。
――これの威力じゃ、決め手にならねえのか? クソ……
もう手の内は見せてしまったに等しい。あいつは次の矢を食らっても引き下がらないだろう、致命傷を与えない限りは……そう思ったときだった。
――もうすぐ夕方か。今の俺が一人でいたらまずい。あの矢だって五本しかないしな、しかも無駄撃ちできねえ希少品だ。
対策班の気配はない。ここからもう少し暗渠の森に近づいた場所に最後の宿場町がある。皆はそっちに行っているのかも知れない。ゲオルグがそう思ったときだった。
一瞬だけ、危険を知らせる警笛が鳴った。だが、すぐに途切れる。
何かの間違いかと思いかけ、ゲオルグはすぐにその考えを打ち消した。危険がなければ、そもそも笛を咥えることはない。
どくん、どくんと心臓の音が高くなる。
森のなかで何かが起きている。ここはもう安全な場所ではない。ゲオルグは弩を背中から外し『魔蟲殺シ』の矢をつがえた状態で歩きだす。
足元を、凄まじい勢いで小さな獣が走り去っていった。獣がきた方角は、笛の音が聞こえた方角に一致していた。
「……っは……」
ゲオルグは自分を鼓舞するように小さな笑い声を立てた。
――今日の狩りはやばい。空気からあの日と同じ臭いがする。
非力な自分では何も出来ない。いつもと同じ判断をするのはやめて、離脱して一度誰かと合流するか、と思った瞬間だった。
何もいなかった目の前に、巨大な蜘蛛のような化け物が現れる。
唐突だった。何もいなかったはずなのに、それはすでに目の前にいた。
口の周りを不吉な赤に染め、ぐちゃぐちゃと何かを咀嚼していた。
――まずい。
身構える間もなかった。
その化物は、木々をなぎ倒しながらゲオルグに躍りかかってきた。
立ちすくみかけたゲオルグは、とっさに横に飛ぶ。身体が重い。軽いはずなのにまるで思い通りに動けない。
一瞬後に、腐葉土にざくりと爪が突き刺さる。そっくりだ、十五年前のあの狩りと。ただ違うのは……
――あいつより小せえな……
数百人の人間を屠ったあの魔蟲よりも、その魔蟲は遥かに小さかった。
あれは小山のような巨体を誇っていたが、この魔蟲はゲオルグの倍ほどの背丈しかない。もちろん、死を覚悟するには十分な巨体ではあるが。
魔蟲の身体にまばらに開く赤い目が、じっとゲオルグを見つめる。
――ああ、殺す気だ。食う気だな……俺を。
ゲオルグは大きく息を吐き、頼りない薄い腹に力を込める。怯えを見せたら、それで最後だ。
――俺は狩人だ。狩られる側じゃねえ。覚えとけ、くそったれの雑魚蟲が。
これまで何百回繰り返したかわからない言葉を、ゲオルグは心の中で繰り返す。
ゲオルグは『魔蟲殺シ』の弓をつがえた弩を構えた。
――殺すのは、俺だ。殺されるのは、お前だ。
魔蟲が何かを考えるように一瞬だけ動きを止めた。見た目はひ弱な少女であっても、ゲオルグの迷いのない動きに何か思うところがあったのかもしれない。
――目か? 口か?
柔らかい場所を探し、ゲオルグは微動だにせずに弩の先を魔蟲に向け続けた。
――剣は使えない、さて、どうやってやる? こいつは硬いぞ。まあ、ちっこいからまだガキなのかもしれないけどな……もう少し近づいて……駄目だ、今の俺じゃ撃った後に避けられねえ。腹くくるか、どうする?
魔蟲が、ずりずりと後ずさった。ゲオルグは動かずに弩を構えたまま、待つ。
あいつは逃げたふりをして飛びかかってくる。あの目からは『食欲』が失せていない。害意に晒され続けていることを正確に理解しながら、ゲオルグは歯を食いしばった。
後退した魔蟲が、音もなくゲオルグに躍りかかる。蜘蛛のような脚の先に光る鋭い爪が、ゲオルグの身体を貫こうと迫ってくる。
「……ッ!」
ゲオルグはぎりぎりまで魔蟲を引きつけ、弩の引き金を引いた。
軽い音を立てて飛んでいった矢が、どん、と鈍い音とともに、魔蟲の身体で青い火柱を立てる。
金属をこすり合わせるような不快な叫びが、森のなかに轟いた。
――やったか?
一瞬だけ湧き上がった期待は、あっという間に打ち消された。
魔蟲は死んでいない。
退いただけだ。
むしろ、事態は悪化したと言ってもいい。魔法で傷を受けた魔蟲が、先程までとは比べ物にならない怒りを秘めて、一心にゲオルグを狙っているのがわかった。
――駄目だ。この矢じゃあいつを殺るには弱い。
ゲオルグは可能な限り後方に下がり、もう一度『魔蟲殺シ』の矢をつがえて弩を構え直す。
――これの威力じゃ、決め手にならねえのか? クソ……
もう手の内は見せてしまったに等しい。あいつは次の矢を食らっても引き下がらないだろう、致命傷を与えない限りは……そう思ったときだった。
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