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第3章 雪は溶けて、消える

第33話 雪が溶けたら

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「古堂様、張世婦様からの伝言です」
 寝台でぼうっとしていた古堂は、宮女の言葉に一瞬張世婦とは誰だっただろうと思ってしまった。
 すぐに凜凜のことだと気付く。
 最近はこうして物忘れが激しくなった。頭にモヤがかかってしまったようだった。
 もう自分は駄目なのだろう。すっかり壊れてしまった。
 そう思いながらも古堂は始水殿に留まり続けた。
 雪英はもちろん、凜凜のことだって放ってはおけなかった。
「……ご懐妊、だそうです」
 息を潜めて宮女がそう言った。
 この宮女は央家から連れてきた昔なじみの宮女だった。
 央家にいた頃は雪英と凜凜に対して、姉のように接していた。
「……そう」
 古堂はめでたいとは、到底思ってあげられなかった。
 それがとても悲しかった。
「まだ他の者どもには口止めするように、と。皇帝陛下にもです」
「わかったわ……でも、不安ね、私、もうそんな器用なことできる頭じゃなくなってしまったから……」
「……どうぞ、元気になってくださいまし。私達、古堂様がいなければ、何も出来ません」
「情けないことを言って……」
 古堂が説教じみた口調になると、宮女はむしろ嬉しそうな顔になった。
 古堂も苦笑した。こんなに壊れても、自分は未だに央家の侍女として振る舞おうとしている。それがなんだかとってもおかしかった。
 そこに、宦官が駆け込んできた。
「古堂様!」
「なんです……騒がしい……」
「せ、雪英様が……!」
 古堂の体は自分でも驚くほど機敏に起き上がった。
 宮女と宦官に支えられながら、古堂は雪英の部屋へと急いだ。

 雪英は寝台に横たわり、大粒の汗をかき、息を乱していた。
 ――ああ、もう、この方は……。
 古堂はふと雪英の母が死んだときのことを思い出していた。
 雪英の母は娘によく似た気性と体質の人だった。その人の最期もこのように苦しげであった。
 雪英の側に立つ医官が古堂に向かって頭を横に振った。その顔には沈痛な表情が浮かんでいた。
「凜凜をお呼び」
 古堂は鋭い声で宮女に命じた。
「で、ですが……」
「呼んであげて……」
 古堂の涙混じりの声に、宮女は頷いた。
「雪英様」
 古堂は雪英の手を握り締めた。
 その手は夏だというのに、冷え切っていた。
「……古堂、凜凜は? いつも側に侍ってなさいと言っているのに……あの子は私の侍女なのに……」
「花に水でもやっているのでしょう。今呼ばせましたから、すぐ来ますよ」
「そう……そう……ならいいけど……ああ、人形……人形をね、やろうと思ったのよ、あの子ほしがっていたじゃない。ほら、あの伽羅の香りのする人形……」
「それは、もうお渡しになりましたよ、雪英様ったら」
「そう……だったかしら……? そういえば古堂、今日は白檀の香りがしないのね」
 そんなはずはなかった。始水殿に移った今でも古堂の部屋には白檀の香りが焚きしめられている。かつて「この香りがすると古堂が来たって感じがするの」と雪英に言われてから、古堂は白檀の香りを欠かしたことはなかった。
 だからそれは雪英から嗅覚が失われているという証左だった。
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