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第9話 姫君の恋心

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「……サラ、冗談はよして?」

 ベアトリクスの反論に、サラは淡々と答える。

「想像してください。どこか適当な衛士に抱かれる自分を」
「な、何、突然」
「いいから、どうぞご想像を」
「…………」

 そんなこと今まで何度してきただろう。
 赤の他人に抱かれる一歩手前まで何度も行った。
 裸を惜しげもなく晒し、身を投げ出し、触れさせた。
 その度にそれは失敗した。

 そんなかつての失敗を思い出し、その先を思い浮かべようとして、ベアトリクスの胸に浮かぶ衛士の顔は騎士ランドルフのものだった。

「…………?」

 きょとんと首をかしげる。
 何故ここでランドルフの顔が出るのだろう。
 先ほどまで裸で絡み合っていたせいだろうか。

「ランドルフ殿を思い浮かべましたね?」
「な、何故それを!?」
「顔に書いてあります」
「ええ!?」

 思わず姿見の前へと走る。
 特に顔には何も書いてはいなかった。
 せいぜいいつもより疲れていて、なおかつ興奮した顔をしているくらいか。

「書いてないわ!」
「比喩です……湯浴みに参りましょう、姫様。グズグズしていると夜が明けてしまう」
「え、ええ、そうね」

 いつものようにサラが準備を整えて、2人は部屋を出る。

 月光に照らされながら、ベアトリクスは月を見上げた。

「そういえば……月には小鳥が住んでいるのよね」
「そう言い伝えられていますね」
「黄色い小鳥と黒い小鳥が住んでいて……いつもは黄色い小鳥が表面にいるけど、黒い小鳥が徐々にお表面に出てきて、新月になる……」
「ええ」

 サラはうなずくと話題を変えた。

「ベアトリクス様、これは厳しい戦いになります。あなたはランドルフ殿に惚れてしまった」
「そ、それが分からないわ……私、恋なんて……したことないし、する予定もないし、しても意味ないじゃない?」

 ベアトリクスの運命は聖女になるか、どこかの有力貴族か外国の王族に政治的判断で嫁ぐか、そのどちらかだ。
 誰かに恋なんてしても実りっこない。
 だからベアトリクスは寝所に誘った衛士たちと恋愛関係を結んでは来なかった。
 愛人を作るくらいのことは王族ならやってもよいらしいが、そうする気にもなれなかった。
 いずれ終わる恋ならしない方がマシ、そう己れを律してきた。

 しかしサラはベアトリクスがランドルフに恋をしているという。
 昨日今日に出会って痴態ばかりを晒した挙句、何も得られなかった相手にだ。

「私がランドルフ殿に恋をする理由がないわ」
「恋に理由は要りませんよ」

 サラはきっぱりと答えた。

「理由などなくとも陥っているのが恋です……むしろ私はランドルフ殿を褒めたいですね。よくぞまあこの数日でご自分の恋心に気付かれたものです」
「……ねえ、だからさっきも言ったけれどそれもおかしくない? 好きな女の裸体を前にして我慢がきく男なんているの?」
「我慢はきいてらっしゃらなかったでしょう。罰当たりにも姫様の顔に精液をぶちまけられたのですから」
「……そういえばそうだったわね」

 思い出す。顔と肩と胸に注がれたランドルフの白濁としたもの。
 それがどういうものかもちろんベアトリクスだって知っている。
 あれを胎の中に収めれば、いずれ子をなす。
 そういうもの。

 浴場に到着した。
 時間がなかった。
 サラもスカートと袖をまくり上げていっしょに浴室に入ってくる。

 サラに自分でやるよりも数倍早く身を清めてもらいながら、ベアトリクスは考え込む。

 ランドルフは自分を好きだと言った。
 それを自分を抱かない言い訳だとベアトリクスは感じた。
 しかしサラはランドルフは嘘をついていないという。
 それどころかベアトリクスがランドルフに惚れているとまで言った。

「……ってことは私達両思い?」
「……ええ、まあ」
「じゃあ、情を交えるのに遠慮は要らない?」
「そこが難しいところでして……ランドルフ殿はどう見てもお堅い男です。情欲に流され、姫様に流され、状況に流されることもあれど、本質は結婚するまでそう言う行為は駄目、とか考えている男です」
「なるほど?」
「そして王宮に上がってきたばかりの一介の騎士が姫様と結婚するなどまずあり得ません」
「ええ、そうね、身分が違いすぎるわ」
「ですから、ランドルフ殿はこれを叶わぬ恋とお思いです」

 叶わぬ恋。その通りなのだろう。
 ベアトリクスは納得し、しかし心のどこかが痛んだ。

「……叶わぬ恋をせめて一夜でも成就させようとか、そういうお考えは?」
「できるほど器用な男とも思えません」
「まあ、確かに」

 それができるならベアトリクスの心がないと聞いても、愛する女がそこにいるからという理由でさっさと抱いてしまっていそうである。

「……そして姫様もそんなランドルフ殿に惹かれていらっしゃる」
「……そうなのかしら? 分からないわ」
「自覚がないのは良いのか悪いのか……」

 サラはため息をついた。
 ベアトリクスの身は清められ、彼女は湯に向かう。
 体を沈め、空を見上げる。
 あの晩にここでランドルフと出会ったのだ。

 その出会いを思い出すと、胸が不思議な感触に包まれた。
 痛いような柔らかいような嬉しいような悲しいような。
 これが恋というものなのだろうか。

 湯のそばに膝をつき、サラが話しかけてくる。

「……ベアトリクス様、心してお聞きください。これからのあなたにとって適当な衛士を捕まえて情を交わすというのはとても難しいものになります」
「……サラが言うのなら多分そうなのでしょうね」
「それはつまり聖女になる道が近付いていると言うことでもあります」
「それは……困るわ」
「すぐにとは申しません。しかし考え、そしてご決断ください。あなたに残された道はふたつ。ひとつはランドルフ殿を諦め、前のように衛士を捕まえる道。もう一つはランドルフ殿を諦めず、どうにか寝所に引きずり込む道」
「……ふたつ」
「はい。ふたつ。どうか、ゆっくりと考えて、自分のためになる方をお選びください」

 ベアトリクスにはまだ分からなかった。
 ランドルフはどう思っているのだろうか。そればかりが気になった。
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