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第5話 交渉

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 おじさんから助けてくれた名前も知らない人と一夜を過ごしたら、その人がおじさんの部下だった。
 その事実に目覚めの私の頭は混乱を極める。

「……メガ……瀬川さんは、あの……私をその……お仕事に誘うためにこんなことを……?」

 昨夜のことを思い出して、私は涙が浮かびそうになるのを必死に我慢する。
 私、もてあそばれた? そんな言葉がグルグルと頭の中を回る。
 胸が締め付けるように痛い。

「え……? あ、いや! そんな! そんなことないです! 一切!」

 メガネさん、いや瀬川さんの顔に初めて焦りが浮かぶ。

「誤解させてしまったならすみません……えっと社長を止めたのは正直、あなたを誘う一環ではありました。押して駄目なら引いてみろ的な……」

 なるほど、あれは確かにタイミングが良かった。
 それに社長さんもあんなに強引だったわりに、瀬川さんの介入には即座に従って帰って行った。

「でも、でも、それ以外は違います。居酒屋では楽しくなって仕事に誘うのなんて忘れてお話ししちゃいましたし、ここに来たのも、こうして、その、あれこれしたのだって……えっと……あなたのことが……その、良いと思ったからで……」

 瀬川さんの頬に赤みが差す。
 意外とかわいらしいところがある。
 正直、まだ信用しきれてはいなかったけど、しどろもどろな瀬川さんを見ていると私の涙は引っ込んだ。
 ただ胸の痛みがかすかに残った。

「そうですか……」
「はい。本当に昨夜のことは嘘じゃないです。間違いなく」
「……何故、私をアイドルなんかに……?」

 グラビアアイドルにしたって素人で25才デビューは遅くないか。
 そっち系のビデオにでも出させるつもりか? 素人熟女がどうたらこうたらか?

「あ、ああ、社長も自分もそこは言葉足らずでしたね……あの、えっと、お誘いしているのはマネージャーとしてのお誘いです」
「あ、あー! あ、そうですよね! はい! 分かってますとも! 我ながらナイスジョーク!」

 背中にものすごい勢いで汗をかく。
 めちゃくちゃ恥ずかしい。
 普通に考えればそうなる。そんなこと分かる。
 いや、だって、2人とも言い方がなんか……ほら、私、酔ってたし……。

「はい、ナイスジョークです」

 瀬川さんがさらりと流す。
 優しい……。

「トライアングルアルファは今、急激に伸びているグループです。今までの弊社……三角みすみアイドル事務所では前例のない伸び方をしています。そこで女性目線でのマネジメントがほしいと社長と話していまして……いえ、男女でこういうのを分けるのがあまり現代的な思考ではないとは分かっていますが、男性アイドルの主なお客様は女性ですので……」
「分かります、大丈夫です」

 私が昨夜、会社の男尊女卑を愚痴っていたからだろうか。瀬川さんはとても配慮に満ちた物言いをしてくれた。
 男性アイドルの客は女性。だから女性の意見がほしい。それはよく分かる。

「でも、私アイドルとかあんまり興味ないですよ? テレビも基本、刑事ドラマしか見ませんし……」
「刑事ドラマは見るんですね……」

 瀬川さんはちょっと意外そうな顔をした。
 刑事ドラマは両親が好きだったのだ。いっしょに見ていてなんかハマった。
 刑事ドラマや推理物には答えがちゃんとある。たぶんそこが好きなのだと思う。

「実は今日、このあと午後からトライアングルアルファのサードシングルのリリースイベントがあるんです。ライブです」
「えっ……!?」

 そんな日に何をやっているのだこの人は。
 こんなホテルに行きずりの女といる場合ではないのではないか?

「いきなりアイドルグループのマネージャーと言われても雰囲気も掴めないでしょうし……よかったら見に来ませんか? ライブ」
「ライブ……ですか……」

 そういうイベントにはてんで縁がない。
 高校生のとき、近所の商業施設にシンガーソングライターがCD販促に来てるのを見に行ったことがあるくらいだ。
 あれは誰だっただろう。名前も忘れてしまったし、たぶん今そんなに活躍しているという話も聞かない。

「まあ、あれです、デートだと思って、お気軽に」

 そう言って瀬川さんは微笑んだ。

「で、デート……」

 私達、そういう関係ってことでいいのだろうか。
 私はいい年をした大人だ。好きです付き合ってください、以外の恋の始まり方があるのは分かっている。
 だけどそれと同時に体だけの関係ってやつがあるのも分かってしまっている。
 いや、飲み屋で出会った人と当日にホテルになだれ込むのはいい年した大人の行為なのだろうか……?

「えっと……とりあえず……えっと、あのシャワー浴びて服を着ます……」

 私はまずはそう答えていた。
 裸の背中にかいた汗が冷たかった。

「そうですか」

 瀬川さんは私が昨夜脱ぎ捨てたバスローブを拾い上げてくれた。
 こちらまで持ってきてくれる。

「どうぞ、ごゆっくり」

 柔らかに微笑んで私に背を向ける。
 気遣いに感謝しながら私はバスローブを着てから昨日着ていた服を取り上げる。

 服は干しそびれていたわりに、着れる程度には乾いていた。
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