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六話

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 結局、俺はハヤトに何も告げずに家を出た。
 九条さんが用意してくれて部屋に近づくにつれ、自分はなんてずるい人間だと罪悪感が膨れ上がったが、もうどうしようもないのだと諦めもした。

 洒落たマンションにたどり着くと、渡された鍵を使って部屋の中へ。
 今まで住んでいたアパートの三倍はある広さに驚き、そろそろと遠慮しながら入る。
 シンと静まった部屋に人の気配は感じられない。
 九条さんからは、ヒートがきたら教えてと言われていた。
 
 ヒートまであと数日。ヒートがきて、九条さんと番になってしまえば、もう悩むことはない。
 オメガとして周りに迷惑をかけてしまうという悩みも、ハヤトをしばる自分のことも。

 それからただぼんやりと時が過ぎ、九条さんの部屋に寝泊まりし始めて四日が経った。
 広い部屋に慣れない俺は、ベッドが置かれたこじんまりとした部屋とダイニングを行き来する毎日だった。
 食料は、あらかじめ用意されていた物と九条さんの雇った人が食材を三日に一度持ってきてくれた。
 しかし、食思はあまりなく食べるものといったらカップ麺やお菓子ばかりだった。
 静けさに覆われたこの部屋にいると、寂しさが強くなる。

 いつもだったら薄い壁から聞こえてくるハヤトとおばさんの賑やかな声が聞こえないせいだろうか。
 ベッドの上でうずくまり、早くヒートがこいと願っているとスマホが震えた。
 着信の画面の名前はハヤトだ。
 じっと、画面を見つめていると着信が切れて、次にメッセージがポンとあらわれる。

『おい、どこにいるんだ。電話にでろ』

 日に日に増えていく、ハヤトからの着信とメッセージ。
 その電話やメッセージを最初はわずらわしく感じていたけれど、次第に嬉しいと思うようになってしまった。
 ずっと一人きりで部屋にこもっているせいか、ハヤトだけが俺のことを見ていてくれているような錯覚におちいる。
 そして、また電話がかかってきて『ハヤト』って文字をみるだけで心が落ち着いた。
 つくづく自分はバカだな~と思う。
 自分のことを好きだと言ってくれる相手から逃げて、いったいなにをしてるんだろうか
 
「……声、聞きたい」

 すると、タイミングよくハヤトから電話がかかってくる。
 ハヤトの声を求める衝動を抑え切れずに思わず電話にでてしまう。

「……もし、もし」
『レン! ……あぁ、よかった。やっと、繋がった……』

 ずっと無視していたのだから、怒鳴られるかと思ったがハヤトの声は震えいて今にも泣き出してしまいそうに聞こえた。

『今どこにいるんだ? 何か変なことに巻き込まれたのか? オレも母さんもお前が突然いなくなって驚いてるんだぞ』
「ごめん、今は……番になる人のところにお世話になってるんだ」
『……は?』

 ハヤトの声に怒気がはらむ。
 勢いで言ってしまったが、顔を合わせていないぶん事実を伝えやすいと思った俺は、ハヤトに隠していたことを一気に話す。
 ハヤトは何も言わずに俺の話を聞いていた。
 いや、失望して言葉がでないのかもしれない。
 今、自分が置かれている状況を伝え終わると沈黙が流れる。
 長い長い沈黙のあと、ハヤトが小さくため息を吐いた。

『レンは、そいつのこと好きなの?』
「え……あ、まぁそれなりに……」
『ふぅん。じゃあ、愛してんの?』
「愛して……」

 そこで言葉が途切れた。
 好きだとか愛してるとか、こんな俺が選べる権利なんてない。
 俺は普通に幸せになりたかっただけだ。
 普通に暮らして、普通に仕事して、普通に恋愛して、普通に愛されて……ただ、皆が思い描く普通の幸せを手にしたかった。
 だけど、『オメガ』ってだけでそれが全て崩れていく。
 俺だって好きでオメガになった訳じゃないのに。
 ずっとくすぶっていた気持ちにポンと火がつくと一気に怒りとなって湧き上がる。
 その怒りを抑え切れずに、俺は声を震わせハヤトに向かって怒声をあげていた。

「愛してなんか……愛してなんかない。でも、こうするしかなかったんだ!もう……何もかもイヤなんだよ!オメガであることも、誰にも愛されないことも!そんな情けない自分を見ているのも!」
『じゃあ、俺のものになれよ!』

 耳元でハヤトの声が大きく響く。

『オレがあんたの全てを愛するから。レンが嫌だってオレを拒んでも、体も心も丸ごと愛してやるから黙ってオレのものになれよ!』

 ハヤトの声とその熱い言葉に体の芯がカッと熱を持ちはじめる。

『オレは、どんなあんただって愛せる。男でも女でも、オメガでもオメガじゃなくても、どんな姿ををしていてもいい。レンだから愛せる。レンがいいんだ。だから、オレから逃げるなよ。オレはあんたと一緒の未来じゃなきゃ嫌なんだ』

 ハヤトのくれる言葉に、ズクン、ズクンと腹の底から喜びが込み上げる。
 俺がずっと欲しかった言葉を心の中で繰り返していくと、どんどん満たされていくのが分かる。
 
ーー本当に俺が欲しいの?こんな俺でもいいのかな?

「ほん、とに?」
『ほんとだよ。レン、これからもオレと一緒にいてほしい。オレの隣でずっと笑って』

 ハヤトが言葉をくれるたびに、体がどんどんと熱くなり座っていられなくてベッドに寝そべる。
 鼓動が速くなり、じわりと汗がにじむ。
 あぁ、この感覚は……

『……おい、レン。聞こえてるのか?』

 黙ったまま自分の体の変化を感じ、耳に当てていたスマートフォンからもれるハヤトの声だけで頭の中が甘く痺れてたまらない。
 息を荒くし、なんとか答える。

「ご、めん。ヒート、きたみたい……」
『———っ!? レン、どこにいるか教えて! 今すぐいくから!』
「…………うん」

 スマホにいれていたここの住所をハヤトに伝えると『あのアルファにはヒートがきたことを絶対に伝えるなよ』と釘を刺される。
 そんなこと分かってるよと言いたかったけれど、ヒートで発情した頭では「うん」と返事することしかできなかった。 
 電話を切りハヤトの声が聞こえなくなった途端、寂しさがつのる。
 
「ハヤト、早く……きて……」

 ぎゅっとスマホを握りしめて、我儘な願い事を呟く。
 さっきまで、ハヤトを避けていたのは自分のはずなのに、なんて自己中心的な奴なんだと呆れられても仕方ない。
 でも、あきれられても怒鳴られてもいいから早くハヤトに会いたかった。
 そして、名前を呼んで欲しかった。
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