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第2話 願われる。

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「あ、天狗さん! 天狗さーん!」

 あの娘とはもう会わないはずだ。そう考えていた静真しずまだったが、その翌日あの娘に声をかけられていた。
 電柱の上でたたずんでいた静真がちらと視線だけやれば、杖のようなものをついた娘がこちらへ向けて大きく手を振っていた。
 当たり前のように声をかけてくるが、静真は隠行の術を使っているため、只の人には見えない。そのため娘は、何もない空間に向けて手を振っていることになっているはずだ。
 当然、通り過ぎていく人間達にはぎょっとされているのだが、娘はまったく頓着せず静真に手を振っていた。

「あれ、聞こえてないのかな。てーんぐさーん!」

 妙な節までつけて呼びかけ始めた娘に耐えかねた静真は、電柱の上から舞い降りてねめつけた。

「娘、一体何を考えている」
陽毬ひまりですよ。急に出て行かれてしまわれたんで心配してたんですけど、体調も悪くなさそうでよかったです」

 にこにこしながら言う娘に、静真は面の下でぎゅっと眉を寄せた。

「人間などに案じられるいわれなどない」
「あっそうですか……。でもでももう一度お会いできて良かったですよ」

 しょんぼりと肩を落とした娘に胸の奥でいらだちが増したが、今ここではねつける訳にはいかない。昨晩から探して見つからないのだ。
 静真は気が進まないながら、なるべく無造作に聞こえるよう慎重に言葉を選んだ。

「おい娘、刀をみなかったか」

 しばらく人里におりる気がなかった静真が舞い戻ることになった理由がそれだった。
 あの場から立ち去ったあと、唯一持っていた刀を落としていることに気がついたのだ。
 神通力を使うには手になじむ武具が良い。ほかの物で代用出来ないことはないが、天狗の里と敵対する者に拾われて悪用されでもしたら目も当てられない。
 ゆえに仕方なしに捜索していた。
 落としたとすれば意識が遠のいている最中しかない。うろ覚えでも飛んだ道筋をたどっても見つからなかった。あまり期待してはいないが、手がかりをつかめるとすればこの娘しか居なかった。
 だが天狗の持ち物は何かしらのまじないがかかっているため人里でも妖怪の間でも重宝される。この娘が価値を知っているとは思わなかったが、なるべく気を引かず、情報を引き出したかった。
 しかしそのような静真の思惑など知ってか知らずか、娘が顔をほころばせた。

「やっぱりあの刀、天狗さんのだったんですね。柄に羽根飾りが付いたやつ。聞く前に帰られちゃったのでどうしようかと思ってました。交番に届けるわけにも行きませんでしたし……」

 あっさりと在りかがわかった静真は、頬に手をあてる娘を凝視した。

「なんのつもりだ」

 ここまであっさりと拾ったことを明かすのだから、何か思惑があるに違いない。適切な対価の要求であれば支払うつもりで交渉の姿勢をみせれば、娘は楽しげに笑った。

「これでお返し出来ます。家にあるのでついて来てくださいな」

 そこまであっさりと家に招き入れようとする娘に一瞬罠ではないかと脳裏をよぎったが、わかった時に制圧すれば良い話だ。そう考えた静真は娘について行こうとしたが、こつ、と娘が片腕に挟んだ杖を使っているのに気がついた。
 丈の長いワンピースから覗いた左足には湿布と共に白い包帯が巻かれている。
 昨日はそのようなものを巻いていなかったことを、静真は覚えていた。

「その足はどうした」
「あ、えへへうっかりくじいちゃいまして。骨は折れてないけどしばらく動かすなってお医者さんに言われちゃったんですよ。マンションにエレベーターがあって良かったですよう」

 決まり悪そうにへらへらと笑いながら頭に手をやる娘に、静真は眉を寄せて問いかけた。

「昨日か」
「え、えーっと。あのときもちょっと痛いなーと思ってたんですけど、夜になったらすんごく腫れちゃいまして。弟にもどんくさいから気をつけろーって言われるんですけど、やっぱりワンテンポ遅れるんですよねえ。転んでもとっさに手がでなかったり、気合いで! って言われても困りますよねえ」

 目を泳がせながらも、娘は暗に肯定した。静真に突き飛ばされた時にくじいたのだと。
 しみじみ言いながら娘はぎこちなく杖をつきながらゆっくりと歩いている。
 その姿は生きてゆけるのか疑問に思うほど頼りなく、静真は少しばかり呆れた。

「愚鈍過ぎるのではないか」
「私もそう思いま、ふぎゃ!」

 突然、娘が転んだ。なにもない道路でかくんと足をもつれさせて、両手を地面に付く。
 娘の杖が地面に転がる。
 あんまりにも脈絡がなくて、静真はとっさに動くことすら出来なかった。
 しかし娘は慣れたもので、少し顔をゆがめながらも、ささっと手の土埃を払うと杖の握って立ち上がると、静真に向けて決まり悪そうに笑った。

「あはは、お恥ずかしい所を見せまして……。やっぱり片足使えないと頻度が上がりますねえ」

 ゆるく笑う娘に我に返った静真はぐと、眉間にしわを寄せた。
 その後娘は家にたどりつくまでにもう一度転びかけ、人にぶつかりかけた。
 静真は隠行したままそれをみていたが、いらだちを通り越して呆れたものだ。
 まるで危機感のない運動神経も未熟な娘が良く生きて居るものだと思った。天狗の里では間引かれてもおかしくない弱さである。
 にもかかわらず娘はまったく気にした様子もない。ただ、こちらに助けを求めないことは少しだけ評価した。

「ちょっと待っててくだ……天狗さん!?」
「……入るぞ」

 片足しか使えないため、玄関でまごつく娘の脇を通って静真は室内に足を踏み入れた。
 娘の行動を待っているよりも静真が勝手に動いた方が手間がかからないと悟っていた。
 廊下とも言えない通路を通り、一日ぶりの室内へと踏み入れれば、昨日静真が寝かされた部屋だ。
 やはり静真の感覚からするとひどく狭かった。布団は壁際にある押し入れにしまってあるのだろうその分だけすっきり見えたが、離れ屋にある静真の部屋の半分以下ではないだろうか。

「まるで物置だな。こんなところで暮らせる神経を疑う」
「天狗さん辛辣ですねえ。これでも住めば都なお城なんですよ?」

 口にすれば、ようやく追いついてきた娘がふてくされたように口をとがらせるが、大して迫力はなかった。
 大きな本棚と壁に掛かった衣服もかわらなかったが、部屋中央に置かれたちゃぶ台の上には、バスタオルにくるまれた長物がある。
 その包みをほどけば、静真が求めていた刀だった。どこにも傷や汚れもなく、刃こぼれもない。わずかに安堵の息をついた静真は、娘を振り返った。

「おい娘、望みを言うがいい。釣り合う分だけ何でも叶えてやる」
 こちらが要求した訳ではないとはいえ、静真がこの娘に助けられたことは確かだ。後々対価を要求されるより、いまここで後腐れなく叶えて縁を切るほうが合理的だと思ったのだ。

「なんでも、ですか?」
「ああ、天狗の神通力であればたいていのことは出来る。知識か。それとも好いた男を振り向かせたいか」
「す、好きな人は居ませんよう!?」
「ならば富か。金ならば幾らあっても困らないだろう」

 慌てたように言う娘も取り合わず静真は冷静に回答を待った。
 だいたい人が望むものであれば、静真は叶えられる。一時の甘い夢でも見れば満足するだろう。
 言わないのであれば放棄したと見なして立ち去るつもりだったのだが、動揺から脱した娘はきらきらと輝かせた。

「じゃあ天狗さん、ご飯食べて行きませんか」
「は?」

 意味がわからなくて静真が目を丸くしていれば、娘もきょとんとした。

「え、だってなんでも叶えてくれるんですよね」
「言ったがなぜそうなる。毒でも盛る気か」
「それこそ何でですよ!? そんなご飯がもったいないことするわけないじゃないですか」

 わざわざ食事を供する理由など思いつかずに当てずっぽうだったが、娘は驚き呆れたように告げて続けた。

「最近ひとりで食べるのが寂しかったんですよ。昨日もご飯食べませんかーって言いかけたんですけど、帰っちゃいましたし。ちょうどお昼ですし、座椅子にでも座ってまっててくださいなっ」

 言質を取られていた静真が言葉に詰まっている間に、娘は楽しそうに片足を引きずって台所へ歩いて行った。
 本気で食事の支度をし始める娘に、静真は唖然とする。
 初対面に等しく、自分を傷つけた相手になぜ食事を訳がわからなかった。しかし娘は対価として食事を共にすることを要求してきたのだ。ならばいくら訳がわからなかろうと天狗の矜持にかけて叶えるべきだ。
 娘の華奢な足に巻かれている包帯を見つめつつ、静真は不承不承ちゃぶ台の前に置かれていた座布団に腰を下ろしたのだった。

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