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第4話 「友人なら、敬称は付けないでしょう」

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それから、セルジュは二、三日に一度はエヴリーヌを訪ねてくるようになった。
 律儀に何かしらの手土産を持って。
 ふちが欠けたコップしかないと知ったその次の訪問には、可愛らしい花が散らされたカップを二客持って来た。エヴリーヌが好きな柄だった。
 食材はもちろんでもあるし、日常で細々としたものも足りないと言えばその次の訪問の手土産になる。
 名物料理を食べ損ねたと零すと、できたて熱々を持ってきた時には驚き呆れたものだ。
 
「セルジュ様、一体どうしちゃったんです? 魔法はどうしても必要な時にだけ最低限使うもので、乱用は絶対にしてはならないと言っていたのに」

 肉のフィリングをパイ生地で包んで焼き上げたそれは、とても食欲がそそったが、さすがに疑問が先に立つ。
 なぜならエヴリーヌが困っていたのであれば、誰にでも浄化の力を使い癒やしていたのを止めた張本人なのだ。


 エヴリーヌとセルジュは、良く遠征先で顔を合わせる仲だった。
 魔法がよく使われるのは魔物の討伐で、浄化の力が必要になるのは戦場だ。聖女と魔法使いが顔を合わせるのはごく自然だった。
 お互いに若く、実力者で通っていたため、任される場所もよく被ったのもある。
 魔法使い達も浄化を受けるため、何度も顔を合わせれば必然、言葉を交わすようになる。
 共同で事態の収拾に当たったことも少なくはない。
 大抵一人で派遣されて、一人でことに当たっていたエヴリーヌは、寂しさを紛らわせるために魔法使いや兵士の輪に入れて貰っていた。しゃべることは好きだし、聖女と言っても若い娘が戦場に出てくることは稀だったから、大抵の場所でエヴリーヌは可愛がられた。
 だがしかしその中で唯一、いつまでも態度が和らがなかったのが、セルジュだった。
 魔物の討伐に来るのは、任務だから。あるいは研究に必要な資材を手に入れるため。
 魔物は魔法には欠かせない特別な材料になることが多い。大抵は専門の業者に任せるのだが、セルジュは自分で赴くことが多かった。
 はじめて出会った日に、セルジュ本人から聞いたのだ。自分でした方が質が良いものが取れるのだと。
 
 凶暴化した魔物の討伐は熾烈なため、その亡骸も無残なものになりやすい。
 聖女や聖人達は遠目から浄化を施すだけにとどめることが多いが、エヴリーヌはよほど止められなければ、一体一体の魔物に浄化をするのを好んだ。
 血なまぐさく凄惨な場所だろうと、最終的には根本に近い方が力を無駄に使わなくて済むからだ。
 すると、亡骸の側で無造作にしゃがみ込み、亡骸を解体する男がいた。
 地面につかないよう、黒々とした髪をまとめ上げていたが、それでも背中で揺れているから、魔法使いだとすぐにわかる。
 同行した魔法使いが素材を取ると事前に説明されていたが、彼らが必要とするのは、硬質な牙や骨。そして体内で育まれているかも知れない魔水晶だ。適当に切り刻んで散らかして帰るものだと思っていた。だが彼は魔法を使うそぶりも見せず、ぎこちなく自分の手が汚れるのも構わず淡々とナイフを使っている。
 
『魔法を使えば早いんじゃないですか。他の魔法使い様はみんなそうしていますよ』

 非効率的に思えて若干の呆れを込めて問い掛けると、冷淡な紫の瞳がエヴリーヌを射貫いた。
 瞬間的に嫌われたな、と思った。
 
『魔法はこの世の理に干渉する技術です。軽率に使うことで周辺環境に悪影響を及ぼすことも考え得る中で、行使を選ぶことはあり得ません。何より水晶の質が落ちます』

 後にも先にもこのような長文でしゃべる彼を見たのは最後だった。しかし、その時のエヴリーヌは知らなかったため、その言葉を理解するのに頭をひねっていた。
 
『へえ、近くで魔法を使うと、魔水晶の質が落ちるんですか。そっかだから専門の業者に任せるんですね。知りませんでした。魔法使い様は派手に魔物を切り刻んだあと人に任せるから、うわー自己顕示欲ー! とか思っていたんですけど、自分の実力を見せるためだけじゃなくて、ちゃんと理由があったんですね』

 よく見てみると、この青年の近くにある魔物の亡骸は、無駄がなく綺麗だ。
 いつもこうだったら楽なのになあと、エヴリーヌはしみじみ思ったのだが、紫の瞳が蛇蝎を見るように冷えていることに気づき、しまったと思った。

『……』
『うわ、あなたのことを言ったわけではありませんよ! ただそれって浄化も影響あります? このままのペースであなたが作業を進められると穢れがはびこって大変なことになるので、どうにかしたいんです! 私も! 仕事なので!』

 嫌悪がこもった眼差しは正直エヴリーヌに背筋が凍るようだったが、ぐっと眉間にしわを寄せた青年は、ふいとそらし再び解体作業に没頭する。

『浄化は魔力とは無関係です』

 投げつけられた言葉は、説明足らずでエヴリーヌは少々むっときた。
 要は関知しないから勝手にしろということだろう。なんて身勝手なんだ。こっちの言いかたが悪かったのが先とはいえ、愛想がなさ過ぎやしないだろうか。
 内心ははらわたが煮え返っていたが、エヴリーヌは逆ににっこりと笑って見せた。

『ありがとうございます! 勝手にしますね!』

 そう、はじめの印象は、正直最悪と言って良かったのだ。


 そんなふうに、有事以外には魔法を使わなかった男が、こうしてたかが料理を熱々で持ってくるためだけに魔法を使っている。
 一体どういう風の吹き回しだと、困惑したのだが、セルジュはいつもの生真面目な表情のまま、エヴリーヌの持つパイ包みに視線を落とした。

「熱いまま食べるのがおいしいものを、冷たいまま食べさせるのは罪に等しいと言ったのは、あなたでしょう」
「だから熱いまま持ってこられるように魔法をかけた?」

 生真面目な顔のまま頷くセルジュがおかしくてしかたがなかったが、エヴリーヌは表情が緩みかけるのを必死で我慢した。なぜなら笑うと彼の仏頂面がますますひどくなるのだ。
 
「聖女エヴリーヌ」

 しかし、よほど変な顔をしていたらしい。セルジュの低い声で呼びかけられたエヴリーヌは、これ以上彼の機嫌を損ねないように慌てて言いつのった。

「いえいえそんな深刻に考えてただなんてと思ったら、かなりだいぶ面白くなりはしましたけど、セルジュ様が私の言葉を覚えていてくれたことも、この気遣いもめちゃくちゃ嬉しいです。ありがとうございます」

 認めてしまえば、頬は自然と緩む。元々エヴリーヌは感情を抑えるのが得意ではない。上流階級からははしたないと、目立つこと、人の印象に残ることはするなと大聖教の人間達にも何度も窘められたが、生来の性分は変えられない。
 笑えるのは良いことだ。
 
「あ、でもパイ包みは一つしかありませんね」
「あなたへの手土産です」

 だから自分のはない、と言う意味だろう。セルジュが無駄なことをしないのはエヴリーヌは重々承知していたので、さっさと二つに割ると片方をセルジュに差し出した。

「じゃあ今度から二つ持ってきてくださいね。友達なんですから、私一人だけで食べるなんてつまんないです」
「……」

 セルジュの生真面目な表情がわずかにしかめられる。
 うっかり調子に乗りすぎたか? とエヴリーヌは動揺したが、なんとか持ちなおす。
 すくなくとも、こんなへんぴな場所に延々と訪ねてくるのだから、以前考えていたように毛嫌いされていた。というわけではないのだろう。
 以前なぜ穢れ森に来るのか、という疑問をぶつけるとセルジュは「研究に穢れ森が必要だったから」と答えた。
 実際、エヴリーヌが浄化した範囲を熱心に見回っている姿を見ている。
 つまりは、仕事の合間に来ているということだろう。
 それでもまあ、以前のセルジュからすればずいぶんな変化なのだが、仕事仲間くらいの情はあったのだと解釈していた。
 なら友人と語っても差し支えはないはず。恐怖と混乱から脱すれば、彼という存在にもともと感じて居た興味がかき立てられていた。
 しかし、踏み込みすぎるのはまた別だ。
 一拍二拍と黙り込んだセルジュは、低く告げた。

「友人なら、敬称は付けないでしょう」
「……いやいやまさか、私があなたを様付けで呼ぶから私にも敬称を付けていた、とか言うんです?」

 こくりとセルジュに頷かれたエヴリーヌは天を仰いだ。
 なんだそれ拗ねた子どもかとよっぽど言いたかったが、まさかそのような理由ではあるまい。
 なにせ相手はセルジュ・ラ・ソルセルリー。国の中で優れた魔法使いにしか与えられない金縁のローブが与えられるほど優秀で、何より魔法に関すること以外一切興味を持たない冷淡さでも有名な、生真面目男である。
 きっと礼儀というものを突き詰めた結果、名前を呼ばないという結論に至ったに違いない。
 感謝の意を示すために開く茶会の誘いを無駄だと断じて令嬢を泣かした男とは思えないが。
 それはそれで、たいそう面白いな、と思ったので、エヴリーヌは揶揄うように笑ってやった。
 
「そんなの気にしなくて良いのに。こんだけ訪ねてきて、これだけお茶してるんですからむしろよそよそしい方がおかしいでしょう。こうする前も知らない仲じゃないですし。気軽にエヴと呼んで良いんですよ。セルジュさん」
「エヴ」
 
 低い声で呼ばれて、エヴリーヌの胸が小さく跳ねた気がした。
 そういえば、教会のおじいちゃん以降、愛称なんて呼ばれていなかったのを思い出す。
 セルジュはただまっすぐエヴリーヌを見つめている。
 急に気恥ずかしさがこみ上げてきたエヴリーヌは手元のパイ包みにかじりついた。
 スパイスの利いた熱々の肉のうまみが口いっぱいに広がる。ああやっぱり熱い方がおいしい。
 ひさびさの自分以外の料理は心に染みた。
 
 セルジュもまた、黙々とパイ包みに口を付け咀嚼する。はじめは馴染まないと思っていたのに、ベッドの向かいの椅子に座っている光景が、なじみ深くなってしまった。
 彼は食べている間はしゃべらない。しゃべるとすればエヴリーヌだけだ。
 昔はおしゃべりを嫌悪して無視しているのかと思ったが、微かに頷いていることに気づいてからは、彼の性分なだけだと知った。
 口に食べ物がなくなったあとで、一つ二つ質問を返してくることもある。
 知らないこと、気づかなかったこと、勘違いしていたことがきっと沢山あるのだろう。
 以前は知らなかったそれらを知るのがとても楽しかったが、今はじわりと苦い気持ちがわき上がってくる。
 
「そもそも私はもう聖女じゃないんですから、呼び捨てにしたって礼儀知らずになんかなりませんよ」

 セルジュは生真面目で、感情も読めない顔で、まっすぐこちらを見た。
 
「あなたほど聖女に相応しい者を私は知りません」

 低い声が凜と貫いた。彼はお世辞を言わない。必要なこと以外口にしない。言葉を大事にする魔法使いだからこそ、彼は寡黙だ。
 だから、その言葉が本心であるとエヴリーヌは理解した。
 じんわりと、心が温かくなっていく。同時に気恥ずかしさと泣きそうになるほどの嬉しさに目尻が熱くなる。
 だがエヴリーヌはぐっと堪えて口角を上げた。その一言だけで救われた、だなんて気まずいし照れくさい。いつもの調子でからからと笑ってみせる。
 
「セルジュさんいつからお世辞がうまくなったの。以前は私のやり方を認めないとばかりに睨んでいたのに」
「……前は、確かにそうでした」

 セルジュは不承不承と言った雰囲気で認めた。やっぱりあの敵意たっぷりの表情は間違いがなかったんだなと更におかしくて笑う。
 
「うん知ってました。私は前も今もあなたほどすごい魔法使いを知りませんよ。これは前も言ったかな」

 だんまりとするセルジュに、さすがのエヴリーヌもありがとう、だなんて言えない。
 パイを食べ終わっていたセルジュはがたりと椅子を立った。
 気分を害しただろうか。エヴリーヌは少々狼狽えたが、セルジュは静かに言った。

「あなたの言葉は、すべて覚えています」

 また来ます。
 そう、言い残して、黒髪の尾を引いてセルジュは去って行く。
 エヴリーヌは、彼がいなくなった部屋の中で、次はいつになるかを楽しみにしている自分を自覚していた。
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