初恋はクラーケン

道草家守

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海生石の唄1

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  アーシェは一日かけて、王子に潜りの基本をたたき込んだ。
 潜り手を志す娘たちがやる訓練を課したのだが、王子は体力的にも技術的にもしっかりとついてきて驚く。
 さらに驚いたのは、王子が水の中でも自在に動くすべを持っていたことだった。

「以前、湖の精霊と親しくなってな。水の加護をもらったのだ。私が水の中では死ぬことがないようにと」
「ふつうは精霊にあっても、話すらさせてもらえないものだけど」
「それがなあ。あまりにも人がこないようになって寂しかったらしい。何せ、湖の水があふれかけるほど泣き暮らしていたようだからな。気のいい人だったよ」

 アーシェは、魔王を倒した勇者には及ばずとも、この放浪王子には数々の武勇伝があることを今更実感する。
 あまり気は進まなかったものの、王子の技量は及第点に達したのでその努力に免じて、その翌朝、日の出前に待ち合わせをし、船へ乗り込んだ。

 寝坊すればいいのに、と若干思っていたがそうはならず、王子は船に乗っている間中上機嫌で一緒になった潜り手の女たちの話に応じていた。

「アーシェその貴族さんはおまえの客だ。面倒はおまえが見るんだぞ」

 船長の言葉にアーシェは不承不承うなずく。
 クラーケンに会いに行けないのは残念だが、それでも海に潜れるのは嬉しい
 だいたいの潜水地点にたどり着くやいなや、潜り手たちが起動詩を唱えて海に飛び込んでいく。
 その姿を船員から借りた潜水服を身につけた王子がびっくりしたように眺めているのが少々おかしかった。

「心の準備は良い?」
「あ、ああ。いつでも」

 アーシェは胸の守り石を握って、起動詩を唄う。

「”我、陸に上がりし一族の末裔 しかし今一度海に抱かれることを望むもの也”」

 ほの温かい光に包まれたアーシェは、紺青色の水面に吸い込まれるように飛び込み、海の中から王子を促した。
 若干躊躇しつつもばしゃりと、派手に飛び込んできた王子の腰に手を回し素早く、ひもを結ぶ。

「な、なんだ?」
「このあたりは海流が複雑だから、初心者のあなたが飲み込まれたら二度と帰ってこられないわ。万が一にもはぐれないように、こうしておくの。未熟な潜り手を補助する手なのよ」
「ということは、私が流されれば君も巻き添えなのか。肝に命じる」

 そうして、自分の腰にもひもを結びつけたアーシェは真剣にうなずく王子の片手を握った。

「じゃあ、練習を思い出して。いち、にの、さんで水面を蹴って沈み込む。潜ったら私の手を離さない。うまく足を使えなかったら、体から力を抜いているだけで良いから」
「わかった」
「じゃあ、いち、にの、さん!!」

 王子とアーシェはほぼ同時に水面を蹴り飛ばし、一気に海そこへ加速した。

 いつもの倍以上負担がかかっているから多少移動速度が落ちているが、アーシェであれば問題なく潜れる。
 淡い光の粒子を引き連れて、アーシェは体をくねらせ底へ向かう。

 途中、小魚の群や、巨大な海洋生物とすれ違ったりして、初めて潜る人にってはなかなかおもしろい光景だと思うのだが、なぜか背後の王子は怖いほど静かだ。

 もしや水の圧に負けたか、と思い振り返ろうとしたら、王子は笑っていた。
 その若草色の瞳がひどく優しくて、アーシェは妙に落ち着かない気分になった。

「……初めて出会ったとき、私は君を泉の妖精だと思ったが、違ったな。海の女神だった」
「は?」
「君は海の中でこそ輝くのだな。今まで一番楽しそうだ」

 最後の言葉に、王子の案内にあまり乗り気ではなかった事を見透かされたようだった。
 アーシェはちょっと恥ずかしくなって目をそらしたが、王子はすべてわかっていると言わんばかりにほほえむ。

「その……」
「かまわない。私が多少強引だったことは自覚している。だがどうしてももう一度君に会いたかったのだ。事実、正解だった」

 手を握る力がわずかに強くなった気がして、アーシェは不意に、異性と手をつなぐのが久し振りなことを思い出した。
 それに、その言葉はどういう意味なのか。
 今更な事に勝手に頬が熱くなる。なんで、何でこんなに胸が騒ぐ?

「そういえばさっき、君たちが唄っていたあの詩が海に潜るための魔法か」

 アーシェは王子が話柄を変えてくれたことに無性にほっとした。

「……まあそうよ、海生石の魔法を使うための呪文で、あれのおかげで私たちは海の中を自在に泳げるようになるの。この街の住民にしか使えないのよ」
「その歌の意味をみな知っているのか」
「いいえ、たぶん古代の言葉ということくらいしかわかっていないと思うわ」

 アーシェは海底都市に残っていた資料やクラーケンから、だいたいの意味を知っていたが言わなくても良いことだろう。

「君は、魔法がごく限られたものにしか使えないことを知っているか」
「まあ、そうらしいわね。お城の賢者様にしか使えないのでしょ?」

 父につれられて城下町へ行くと、運が良ければ、城付きの魔法使いが上げる魔法の花火を見られるのだ。

「そんな魔法を、君たちは平然と使う。一体なぜ使えるのか、賢者この街のことを知れば、とても調べたがるだろうな」
「そんなのどうでも良いわ。私たちは花火を上げられない代わりに、海を魚のように自在に泳ぐことができる。それだけだもの」
「君は全く欲がないな。ひとつでも魔法が使えれば、城に仕えることだって夢ではないのだよ」
「それで、どうなるというの? でもお城に行ってもこの力は全然生かせないでしょう?」

 王子が目を丸くするのに、アーシェは言った。

「私たちには、誰よりも深くもぐり、誰よりも早く泳ぐことができるって誇りがあるわ。そのおかげで海生石がとれるの。この海だからこそ、私たちは活躍できる。生かせる。それを手放すのってつまらないわ」
「そう言うものか」
「そういうものよ」


 この話はおしまいと、アーシェは王子を引っ張り海生石に照らされる海の底へ進んでいった。


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