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風雲1
しおりを挟む「たーだーいーま――! クラーケンッ!!」
なにが何でもと思って潜った先で青紫の触腕を見つけたアーシェは全力で抱きついた。
「久しぶりに潜ったからたどり着けるか心配だったけど、よかったあ」
《また無茶を》
いつも通りのあきれ声すら懐かしい気分ですり寄れば、触手がくるりと腰に回され、いつもの塔へおろしてくれた。
「もう、聞いてよクラーケン! 父様ってばうそついてたの! 舞踏会だけって言っていたのに、私のお見合いを仕組んでいたのよ」
《見合いか?》
「そうっ! ドレス持ってませんって断ろうとしたら、ドレスもアクセサリーも押し付けられちゃったし。観劇とか音楽会とか連れ回されるのに、お芝居を観る暇もなく都での流行がどうとかしゃべられて! 適当に相づち打ってなんとかしたけど、面倒でしかたなかったわ」
悪い人ばかりではなかったが、それでも心は動かされない。
いつものごとく徹底的に海談義をしてやれば顔をひきつらせて、先方から断りの連絡を入れてくれた。
「また噂が広まって嫁の行き手がなくなる」と父には頭を抱えられたがかまうものか。
アーシェは憤然としてみせたのだが、クラーケンの触手からは、眉をひそめるような、感心しない気配が伝わってきた。
《父君はただ、君に人として幸せになってもらいたいだけだろう。そう邪険にするものではない》
「それくらいわかっているわ。来る人来る人海のうの字も知らないような都会の人ばかりだったのよ。 そっちに興味を持たせようとする魂胆が見え見えでムカつくのよ。わたしにはクラーケンが居るのに!」
《アーシェそれは……》
クラーケンの咎める気配でアーシェははっとして、あわてて言い募った。
「勘違いしないでっ。もちろん、あなたに会えなくなるのがさびしいって言うのもあるわ。でもね、それと同じくらい私はこの海が好きなの、大好きなの! だから私はこの海で生きていくことを許してくれない人とは結婚したくない」
まあ、それでもクラーケンより良い人が見つかるとも思えないから、一生独り身なんだろうなあとは思うけど、それもまたよしと思えた。
《だが、アーシェ。人は血のつながりを尊ぶのだろう》
「そりゃあ父様を悲しませるのは気が咎めるけど、私は今のままで幸せなのよ。幸せなら、いつかは父様も許してくれるわ」
父は意外とアーシェに甘いのだ。
何だかんだいいつつも、アーシェが商会の仕事や教養のためのお稽古さえこなせば、海に潜らせてくれるのがその証拠でもある。
男手一つで育ててくれたことに感謝をしていないわけではないから、結婚以外のことで恩を返していけばいい。
《人の男を良いとは思わなかったのか》
「全然。わざわざ自分から求婚しに来た人も居たんだけど、そう言う人は私が海に潜って居るって言うだけで眉をしかめてやめなさいって言うの。働くなんてとんでもない。海はとても危険な怪物が居るのだからって。君の美しさが万が一にも損なわれたらどうする。って大まじめに言うのよ! あんな奴らこちらから願い下げよ」
アーシェのことをきれいなだけのお人形と勘違いしているようで、どんどんさめていったものだ。
そこまで言ってから、ふと、城の泉での夜のことを思い出した。
あそこで出会った青年は、アーシェが海で働いていると知っても眉をひそめなかった。
むしろそれどころか――……
突然、柔らかく頭に触腕の先が乗せられ、そっと髪をなでられた。
細心の注意が払われた優しい仕草に、アーシェの胸は跳ねた。
「な、なに?」
《慰める時は、頭をなでるものなのだろう》
その思念にはっとした。
アーシェがほかの思考にとらわれて沈黙したのを、求婚者たちの態度と言葉を思い出して落ち込んだのだと解釈したのだろう。
頭上に見える銀の瞳が案じるように揺らめいていて、顔が勝手に熱くなった。
ずっとそんな風に見つめられていたなんて、恥ずかしい。
でも、だから、好きなのだ。
時折触腕の加減が間違えられて、首がちょっと持っていかれそうになるが、天にも昇るような気持ちだ。
「ありがとう、クラーケン」
アーシェは熱くなった頬もそのままに、うっとりと微笑んだ。
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