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六突き目 まだ、間に合う

世間体

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橘歩たちばなあゆむが、病院に搬送され、一城の必死の心肺蘇生の甲斐があり、なんとか命を取り留めた。
だが、意識は戻っていない。
脳への酸素の供給が断たれたことで、意識が戻っても植物人間か脳になんらかの障害が残る可能性はあるとのことだった。
恵たちは、ショックを隠せなかった。
歩が生きててくれるのは、すごく嬉しいことだった。
だが意識が戻っても、植物人間となって寝たきりの歩を考えたくはなかった。
眠るように意識が戻らない歩。
その寝顔からは、そんなことは想像することが難しいほど、穏やかな表情をしている。
歩を挟むように、咲と恵はベッドに横たわる寝顔を見ている。
腕を組み壁に寄りかかる一城。
そんな一城の中でも疑問があった。
あのまま、諦めて死なせた方が良かったのではないかと
咲が涙を拭うと一城を見る。
「一城さん」
少し悔いている一城は次に発せられる言葉が、自分を責めるものだと覚悟していた。
「本当にありがとうございました」
座ったままだが、一城にお辞儀をする咲。
「え?」
「こうして、歩の顔を見れて、手を握れて、話しかけることが出来るんです」
「・・・」
言葉に詰まる一城。
「こんなに嬉しいことないです。二度と会えなかったかもしれない歩に。こうして会うことが出来る」
咲の頬を涙が伝う。
なんて、強い子なんだ と、一城は、咲の本来持つ人間性に感心していた。
「こうなって、やっと気づいたんです」
恵もベッドを挟んだ反対側で、咲を見つめている。
「私、歩のこと、とても大事に思っていたんだって」
歩を見る咲は、嬉しそうに笑うと
「愛してるんです」
歩の額にかかる髪を、指でかき上げる咲。
「そしてやっと、私の元に戻ってきてくれた」
母性に似たものなのだろうか。
男の一城と恵には、到底、理解に苦しむ心理であった。
なぜ、そこまで献身的に出来るのか。
一城は、咲に対する見方が変わっていた。
「咲ちゃん、君はとてもいい子だ。こんな咲ちゃんを先に知っていたら、あの時、俺の心は、あっさり折れていたかもしれない」
ううん、と首を振る咲。
「あの時のことは、忘れてください。一城さん」
えっとする一城と恵。
心から愛おしいと思う気持ちが、歩の頬に当てた咲の手から感じられるようだった。
「私は、歩と一緒にいられれば、それだけで幸せなんです」
満面の笑みを浮かべて一城を見る咲。
「生きてる歩を感じていられることが出来る」
息を飲む一城と恵。
歩の手に自分の手を重ねる咲。
「それだけで、とても嬉しいんです」

後悔とか、振り返るとか、そんな自分が一番嫌いな一城にとって、これほど救われた気持ちになれたことはなかった。
一城の頬を涙がこぼれ落ちる。
「ありがとう、咲ちゃん」
えへっと、笑うと涙を拭う咲。
「お礼を言いたいのは私の方なのに、一城さんて、やっぱ変な人」
「ほんとに、咲ちゃんには敵わないな」
「でしょ?私を振ったこと。少しは後悔してくれてると、嬉しいな」
言った後で、照れてしまう咲。
咲は、今度は恵を見る。
「恵。あなたの気持ちはわかってる」
「え?」
「だから、先に言っとくね」
「な、何を?」
「私のことは、諦めて」
「・・・」
「私は、歩のことが好き」
「・・・咲ちゃん」
「わがままかもしれないけど、これからは、友達として見守っていてほしいの」
うんと、うなずく恵。
咲に言われるまでもなかった。
一度は、失いかけた大切なもの。
二度と離したりはしない。
三人の視線が歩に注がれる。

入り口の引き戸がガラガラと音を立てる。
「歩」
見ると、歩の母親だった。
その後から父親が入ってくる。
席を立ち、場を譲ろうとする咲。
それを見てか、恵も立ち上がる。
視線を歩から咲と恵に向ける母親。
「咲ちゃん、恵くん、しばらく見ないうちに立派になったわね」
「いえ、そんなことないです」
会話のきっかけになろうと気を使う母親は、ありがとうと、席に腰掛ける。
「本当に困った子よ。人様にこんなに迷惑かけて」
父親がたまりかねて口を挟む。
「まったくだ。いっそ、そのまま死んでれば良かったんだ」
父親が言葉を吐き捨てる。
「お父さん、お友達の前で、やめて下さい。仮にも恩人なんですよ」
「その事には感謝してるよ。申し訳ないと思ってる。しかしだな、結果的に他人に迷惑をかけてるじゃないか」
歩を悪く言ってほしくない咲。
「おじさん、私、迷惑だなんて思っていません。歩、歩くんには、私救われてるんです」
「綺麗事なら、どうとでも言えるさ。そもそも、女になどなろうとするからこうなるんだ。実際、こうして皆さんの貴重な時間を無駄にしてるじゃないか」
一城は、我慢の限界だったが、ゆっくりと父親に歩み寄る恵に気づく。
「無駄になんか・・・」
「ん?」
「無駄になんかしてると、これっぽっちも思っていません」
「なに?」
「大事な友達といることの、どこが無駄だって言うんですか?」
「そ、それはだな・・・」
「でも、俺は、そんな友達を、見捨ててしまった」
「え?」
自分のことばかり考えていたことを、悔いている恵。
「会う約束をすっぽかしたんです。それが、この結果です」
悔い改めている恵に返す言葉がない父親。
「あの時、会っていたらこんな事には・・・」
咲も同じであった。恵の言葉が胸に突き刺さる思いだった。
「やっと、歩は、自分の足で歩こうって決めたところなんです。それを、悪く言わないで下さい」
膝をつき、手を床につく恵。
「どうか、歩をわかってあげて下さい。・・お願いします」
頭を床に押し付ける恵。
父親の頬を涙が伝う。
「わ、私だって・・私だって、認めてやりたいさ。こんな馬鹿な息子だが、私の大事な息子なんだよ」
「だったら、なぜ、歩のこと、そんなに?」
「私だって、息子のことを悪く言いたくはないが、世間が・・世間がそうは見てはくれないだろ?」
座り込んだままの恵。
「世間、世間って、それがいったいなんなんですか?」
「それは、君、世間体というものがあってだな。恵くんは、まだ若いからまだわからんだろうがね」
一城が、ふっと笑って言う。
「俺も、そんなのわかりませんね」
「なに?」
「恵よりは、長く生きてますが、世間体なんて気にしたこともない」
「青いですな、何を言い出すかと思えば、あなたもまだまだ、子供のようですな」
「ええ、子供ですよ。あなたのように世間に流されてる、つまらない大人になんかなりたくないですからね」
「な、なんだと?」
「あんた、これまで、まともに歩くんのこと、見たことありますか?」
「それは、親だからな」
「そんなのただの真似事ですよ」
「真似事だと?お、お前に何がわかるって・・・」
父親の言葉を遮るように一城が、吠える。
「親だったら、世間なんて気にしねえで、ちゃんと息子を見ろよ」
「・・・」
「・・・歩くんを見てください」
言われるまま、眠る歩を見る父親。
「あなたに、彼のような生き方が出来ますか?」
「私は、女になど・・・」
「そんなことを、言ってるんじゃない」
「なら、何を・・・」
「歩くんの、生き様ですよ」
「え?」
「これだけ、自分を変えるというのは、とてつも無い勇気のいることだと思います。俺にもここまでは、とても出来ません」
「・・・」
「男である前に、一人の人間として生きようとした歩くんは、とても立派ですよ」
父親の胸に深く突き刺さるものがあった。
「・・・あゆむ」
「俺からもお願いします。どうか、こんな歩くんを」
膝をつき、手を着く一城。
「誇りに思ってあげてください。お願いします」
咲も、いつしか床に伏していた。
「お願いします、おじさん」
三人が、床に伏して父親に懇願する。

父親の足元が、涙で濡れる。
「・・・あゆむ、お前、ちゃんと生きてるじゃないか」
伏している一城たちを見る父親。
「こんなに素晴らしい友達に囲まれて・・・」
父親は、ゆっくりとしゃがみ込む。
膝をつき、手を着く。
「ありがとう・・皆さん」
なかなか、素直になれなかった父親。
歳を重ねる毎に、その心は、かたくなになっていた。
世間体という壁に押し潰されそうになっていた父親は、覚悟を決めた。
「皆さんのような方々がいたら、安心です。どうか、これからも力を貸して下さい。お願いします」
父親に恵が歩み寄る。
「おじさん、どうか、立ってください」
ゆっくりと、立ち上がる父親。
「おじさんが、いてくれたら、鬼に金棒です。どんなに心強いか、わかりません」
恵の手をしっかりと掴む父親。
「それは、こちらの言うことだよ。これからも、歩のこと、よろしく頼みます。恵くん、咲ちゃん、そして・・・」
父親は、視線を一城に移す。
「一城さんと言ったかな?」
「はい」
「どうか、この子達をよろしくお願いします」
「もちろんです。俺が体を張ってでも守って見せますよ」
心強かった。頼もしかった。揺るぎない一城さんなら必ず。
歩は、幸せものだった。頼り甲斐のある人たちに囲まれて。

あとは、回復を祈るばかりだった。

        ・

歩の側にいたいと言う咲を残し、病院を出た恵と一城。
シュボッと、ライターの着く音。
満天の星を仰ぎながら、煙を吐く一城。
「長い一日だったな」
「ありがとうございました、一城さん」
「ん?」
「一城さんがいなかったら、おじさんの理解を得られなかったと思います」
ふーと、煙を吐くと一城が言う。
「それは、違うぞ。恵」
「え?」
一城は、拳で恵の胸を叩くと
「俺は、お前の心に打たれたんだ。友達を想う恵の心が、俺を動かしただけだよ」
「一城さん・・・」
「お前って、ほんと変な奴な」
「一城さんに、言われたくないです」
「そっか?なんだかんだ、恵に俺は振り回されちまう」
「すみません、俺」
「いや、いい意味でな」
「え?」
「今、俺、生きてるって感じしてる」
「それって?」
「なんていうかな、人ために何か出来るっていうのが、すごく楽しくてな」
「俺、そんな大層なことしてませんよ」
「自分じゃ、なかなか気づかないもんだよ」
「何を、ですか?」
「恵。お前は、色々な種を俺の前に播いてくれる」
「種、ですか?」
「そう、厄介毎の種だけどな」
ひひっと、する一城。
「あ、ひっどいなぁ、一城さん」

「そんな種なら、いくらでも播いてくれ」
「はい、よくはわからないけど」

二人は、星の瞬く空を仰いだ。
恵の肩を抱く一城は、恵の頬にキスをする。
照れて顔を赤くする恵は、少し大きい一城の顔を両手で包むと唇を重ねた。それに答える一城。二人の舌が絡み合う。

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