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第一章 逃亡者

第十二話 音なき声 ☆

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 その夜、レイアはふと目を覚ました。
 誰かに呼ばれた気がしたからだ。

 (……? )

 彼女は壁に近付き耳を澄ませてみた。どうやら隣の部屋からのようで、妙な胸騒ぎを感じた。
 寝台から身を起こした彼女は、まず燭台のろうそくに火を灯した。夜着の上から上着を羽織り、部屋の戸をそっと開けて周囲を見渡したが、誰もいなかった。隣はアリオンが使っている部屋である。アーサーやセレナが使用している部屋は方向が真反対で、場所も少し離れている。やはり彼らとは関係なさそうだ。

 (アリオン? 一体どうしたのだろうか? )

 確かに、方向的に声はこの部屋から聞こえた。それは間違いないだろう。真夜中に女が一人で男の寝室に入るのはどうかと言われそうだが、そんなことどうでも良かった。彼女はただ彼のことが気になって仕方がなかった。

 (ノックは……この際仕方ないかな。せっかく寝ているところを起こしたら悪いし)

 レイアは燭台を片手にそっと戸を開けて、音を立てずに隣の部屋の中へと入った。寝台の傍にある机の上に燭台を置き、部屋の主の様子を伺った。

 彼は静かな寝息をたてて眠っていた。大人びて見えるものの、少年のような面影が少し残っている。彼は十七歳と聞いた。十六歳になったばかりの自分と、たった一つしか違わない。だが彼は国を治め、守るよう運命付けられた王族最後の生き残りだ。先祖代々受け継がれ、守られてきた国をカンペルロから取り戻し、建て直さないといけない。

 彼の背負うものはとてつもなく重い。生まれ育った環境があまりにも違い過ぎて、レイアは想像すらできなかった。

(それが運命さだめってやつなんだろうな。逃げたくても逃げられない運命か)

 時折形の良い眉間にしわが寄せられている。うなされているのか、薄い唇がかすかに動くのだが、声があまりにも小さ過ぎて聴き取れない。

 傷が痛むのだろうか?
 それとも悪い夢でも見ているのだろうか?
 判別できないが、いずれにせよ安眠出来てなさそうである。

 (ずっと一人で抱え込んで来て、さぞ苦しかっただろう。あんな惨い思いをしてきて、何にも思わない方が不思議だよな)

 レイアはアリオンから聞いたこれまでの経緯を思い出し、改めて背筋が寒くなる思いがした。己の眼の前で両親を殺され、牢獄で昼夜問わず拷問を受け続ける仲間や部下、民の怨嗟の声を、毎日絶え間なく聞き続けたというのだ。自分自身も拷問に苦しめられていたというのに、傷口の上から灼熱の油を注がれているような目に……思いを馳せ、想像しかけた彼女はそのあまりの悲惨さに思わず左右に首をふった。

 とてもではないが、正気の沙汰ではない。普通の人間なら気絶どころか発狂しているだろうし、トラウマが残ってもおかしくない。それなのに、彼は普段は何も言わず、何事もないような涼しい顔をしているのだ。国を統べる王族ならではのものなのか、彼は並大抵の精神力ではなさそうだ。

 (自分が苦しいのに、表に一切出さないだなんて……私には絶対に無理だな)

 一番ひどい傷を負ったと思われる背や胸は包帯で覆われていて、首まで真っ白だった。〝力〟が回復しきれていないため、傷を治すにはまだ薬に頼るしかない。
 傷だらけな挙げ句、あちこち包帯だらけで……王子の痛々しい姿を改めて目にしたレイアは、申し訳なさそうにそっと目を伏せた。
 
 (アリオン。ごめんなさい。その怪我の一部は私のせいだね)

 崖から落ちた自分を助けつつ敵をまくために、わざと後追いのように見せかけ、自らも崖下へと身を投げ、己の〝力〟を限界近くまで使い切った。使い加減を間違えると己が死ぬことを分かっていて、それでも迷うことなく使ったのだ。

 (こんな私を守るために。一体どうして?)

 はっきりとは覚えていないけど、あの時、身体を強く抱き寄せられる感じがした。それは絶対に離さないと言わんばかりの力強さだった。息が出来なくなるような強い抱擁かと、思わず勘違いしてしまいそうな位……。

 (私一人のために死にかけるだなんて、あんた、本当に馬鹿だよ……)

 ふと目をやると、掛け布団の端から右手が出ていた。その大きな手のひらにも、真っ白な包帯が巻かれていた。レイアは労るかのように己の右手を乗せてみると、それはゆっくりと包み込むように握ってこようとした。心臓が飛び出すのではと思う位の衝撃を胸に感じた彼女は手をさっと外し、即座に寝台の主の顔を見てみたが、彼は特に変わらず静かな寝息をたてているだけだった。

(私、一体何をしているんだ? 弱っている相手の手を振り払ってしまうなんて! アリオン、ごめん)
 
 彼女は彼の手を掛け布団の中へそっと戻してやった後、その青白い、ややこけた頬や額に手をあててやると、彼の眉間の強張りがとけたように感じた。まるで、良い塩梅の湯に浸かったような、つぼみがほころびかけるような、そんな表情が口元からこぼれてきたのだ。それを見ると、レイアは何故か針で刺されたように胸がちくりと傷んだ。

 (額が熱い。微熱が出ているようだな)

 高熱ではないため、頭を冷やすほどではない。寝る前に飲んでいた薬が、その内症状を抑えてくれるだろう。恐らく、セレナが様子を見に来るだろうから、心配は不要だ。しかし、それでも何だか彼を一人にしておけなかったレイアは、室内に置いてあった椅子を持ってきて腰掛け、しばらく傍で様子を見守ることにした。

 (とりあえず今は傷付いた身体と心をゆっくり休めて、早く元気になってね、アリオン。私も看病するからさ)

 しかし、彼女もまだ体調が万全というわけではなかった。呼吸の音と、とけたろうが垂れ落ちる音以外聞こえない静寂の中で、まぶたが少しずつ重みを増してくる。やがて心地良く睡魔に誘われるまま、夢の中へと旅立っていった。

 ⚔ ⚔ ⚔

 しばらくすると、レイアの予測通り、燭台を持ったセレナがアリオンの様子を見に訪れた。彼女は彼の横たわる寝台の傍で突っ伏すようにして眠っているレイアを目にすると、やれやれと小さなため息を漏らした。

(あらあら、しょうがないわねぇレイアったら。やっぱり彼のことが気になるのね。でも、このままでは風邪をひいちゃうじゃないの)

 彼女は、床に落ちていた上着をレイアの肩にそっとかけてやった後、アリオンの額に手を乗せた。

(……やっぱり熱を下げる効果のある薬を煎じておいて良かったわ。明日の朝、また同じ薬を飲んでもらわなくては)

 ろうそくの炎はゆらゆらと室内を優しく照らしつつ、そんな彼らのやり取りを静かに見守っていた。
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