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第五章 革命の時

第六十話 重なり合う想い(*)

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 二人はそのまま真っ白なシーツの波に包まれた。その上で髪結いの解けた長い黒髪が扇形に広がり、艷やかに波打っている。押し倒され、仰向けとなったレイアの視界には、上から覆い被さるアリオンの肩越しにアイボリーの天井が映っている状態だ。自分の身体に回された熱っぽい腕は、己を決して離そうとはしないだろう。
 
 額、目元、頬と唇で優しく触れられると、レイアの背中がぞくぞくとした。首元にかかる吐息が、この上なく熱い。心臓の音がだんだんやかましくなってゆく。アリオンの手によって、ボタンを一つずつ外され、少しずつ肌を覆い隠すものがなくなっていくのを感じ、彼女はどういう表情をして良いのか分からなかった。
 
「……ねぇ、アリオン……」
「何?」
「私は全然きれいな女じゃないよ。ほら日に焼けてるし、仕事柄あちこち傷だらけだし……その……あんたを幻滅させてしまうかも……」
「私は君が良いんだ。隠さないで」
「あんまり見ないで欲しいな……何か、恥ずかしいよ……」
 
 彼女はまだ男性経験がない上、成長後に一糸まとわぬ姿をセレナ以外誰にも見せたことなどなかった。恥じらうのは無理もない。己自身の服を一気に脱ぎ捨てたアリオンは、彼女が自分の顔を隠そうとするその手を優しくそっと外し、真っ直ぐ見つめてきた。ひたむきに自分だけをずっと見ていた瞳──この瞳からはもう、逃げられない。 
  
「傷は今までずっと生きてきたことの証だ。私だけに全部見せて欲しい。君の全てを知りたい……」
 
 (離れ離れだった十年間分を、可能なら全て埋めてしまいたい……)
 
 レイアの身体のあちこちにある古傷に、アリオンはそっと唇をつけていった。そして、左胸のちょうど心臓の近くの辺りを静かに眺め、愛おしそうに唇で優しく吸い上げる。豊満な胸元に濡れた呼吸を感じた彼女は思わず身体をびくっと震わせた。

「あっ……!」

 そこは王子を守る為に、身代わりとなってアエスに刺された場所だった。もうすっかり癒えたはずの傷跡に甘い疼きを感じたレイアは、うねるような潮に押し流されそうになる意識を何とかとどめようとし、顔を思わず左右に振った。

 それから、王子は右のわき腹にある羽根の形をした痣を見つめ、なぞるかのように唇をつけてゆく。くすぐったくて彼女は思わず身をよじった。彼はその身体を逃げないように四肢でそっと押さえつける。そして怖がらぬように、そして身体の形を確かめるかのように、大きな手で優しくなでおろしていった。

「ああんっ……アリオンッ……」
「この傷も、この痣も、全てが愛おしい……」
「ああ……っ!!」

 今まで出したことのない甘ったるい声を上げ、身悶えするしなやかな身体をアリオンは掻き抱いた。武人として生きてきた肉体は、筋肉が程よく引き締まっていながらも、柔らかく、温かい。彼女は思わず背中を弓なりに反らしたために、大きな胸や腹が彫刻のように優美な筋肉により強く押し付けられたようになっている。その様は王子にもっと触って欲しい、もっと強く求めて欲しいと身体全体で訴えているようで、まるで飢えた獣みたいだ。その気恥ずかしさに、レイアは頬を更に紅潮させた。
  
 金茶色の瞳とヘーゼル色の瞳が見つめ合う。レイアの左右の頬を大きな両手が優しく包み込んだ。乱れた前髪が瞳を覆っているアリオンの色気は凄まじく、彼女は思わずつばをごくりと飲み込んだ。熱のこもった瞳に見つめられ、目を離すことが出来ない。標本にされた蝶の気分だ。美しい王子にこういう表情をさせるのは自分だけだと思うと、恥ずかしくなってくる。上気して、うっすらと桃色に染まる耳の付け根に口づけを落としたアリオンは、彼女の耳元で優しく囁いた。
 
「とてもきれいだよ、レイア……」
「……んっ……」
 
 呼気が静かに重なり合う。やがて深く重なり合い、わずかに開いたレイアのぽってりとした唇のすき間からため息がうっとりともれた。すると、そのすき間さえ惜しむかのように薄い唇によって塞がれる。口腔内に入り込んだ舌によって、誘われるかのように己のそれが吸い上げられ、上手く息が出来ずについ鼻から抜けるような声が出てしまう。声も呼吸も全てを包み込んでしまうような情熱的な口付けに、レイアは為す術もない。

(ああ、温かい……このままとけてしまいそう……)

 唇を介し、寄せては返す波のように激しい想いが互いの身体中を駆け巡る。離すまいと互いの身体に腕をからめ、二人は抱きあった。言葉にならない想いが温かい音楽となって、互いの身体の中に流れ込んでゆく。
 
 レイアが身体の中に生命の温もりを強く感じた時、最初は圧迫感だけだったが、次第にこみ上げてくる快楽に意識が押し流れそうになった。〝レイアに痛い思いをさせたくない〟という彼の気遣いのお陰だろうか、不思議と痛みを感じなかった。それよりも自分の中で高まる高揚感に一瞬怖くなり、思わずアリオンのたくましい背中にしがみつく。すると、彼女の細い腰を支える彼の手に力が込められ、更に身体の奥へ奥へと熱が伝えられた。

(ああ……熱い……あんたは何て熱いんだ……)

 ゆっくりと優しく揺さぶられるたびに、次々と押し寄せてくる大波へと意識が飲み込まれそうになるのをレイアは必死にこらえた。しっとりと汗ばんだ王子の肌を指でなぞりつつ、更に温度を増してくる呼吸に耳を澄ませ、彼女は思わず瞳を閉じた。

 運命に翻弄され、孤独だった二つの魂が奇跡的に再会し、こうして一つに溶け合おうとしている。この瞬間を自分は心のどこかできっと待っていたのだろう──いつか、一つになれる日が来ると信じて……。

(アリオン。私はあんたが愛おしくて仕方がないよ)

 レイアは虚ろな瞳で自分を抱く者の名を、うわ言のように呼び続けた。それに応えるかのようにアリオンは抱いている者の名を、掠れた艶っぽい声で呼び続ける。二人は互いに恋しくて仕方がなかった名前を、整わない息を吐きつつも、飽きることなく呼びあった。

 内側からこみ上げ、あふれ出てきた想いが涙となって、彼女の頬を静かに濡らしてゆく。その雫を唇で優しく拭った王子は少しだけ目を細めた。眉を歪ませた彼の長いまつ毛の先の光が震え、明るい茶色の髪が彼女の頭上でしなやかに揺れ続けている。
 
「ああ、アリオン……すき……」
「レイア……」 
「わたしを……はなさないで……」
「ああ……離さないよ……」
「もっと……つよく……だきしめて……」
「レイア……愛している……」
 
 広がって波のようにうねる黒髪に、明るい茶色の髪が混じり合う。ゆっくりと、互いの体温の中に落ちてゆく。脱いだ二人の衣服は、重なり合うように床へと滑り落ちて──それから先は、もう言葉にならなかった。
 
 (もう二度と離したくない……)
 
 二人の願いは、同じだった。

 寄せては返し、返しては寄せるさざ波の音が、窓の外で静かに響いていた。
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