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番外編

第一話 豊穣祭の贈り物

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 ある日のこと。人魚族が住む国であるアルモリカ王国のリアヌ城にて、レイアは使用人から一つ小包を受け取った。手紙が同封されており、自分宛てとなっている。蝋封を外して開くと、懐かしい文字が並んでいた。幼なじみであるセレナの筆跡らしく、丸みを帯び小さく整った文字だった。アリオン経由でアーサーから荷物を一つ送ったと連絡が来ていたので、特に問題ないだろう。
 
「レイア、その後どうかしら? 昔、好きな人が出来たら豊穣祭の時にあげたいと言っていたお菓子があったわよね? あなたのことだから本当は彼に作ってあげたいだろうけど、今は忙しいんじゃないかしら? この前街に行ったときに、あなたの分も一緒に買っておいたから一箱贈るわ。お代は気にしないで。荷物の件、アーサーからアリオンの方に伝えて貰っているから心配しなくて大丈夫よ。あなたのアリオンに宜しく伝えてね」 
 
 コルアイヌでは豊穣祭の日に恋人や家族など大切な人に贈り物をすることが習わしとなっている。アルモリカでは良く分からないのだが、コルアイヌとは事情が違うようだ。アルモリカに引っ越して来て以来、新しい環境になれるのが精一杯ですっかり忘れていた。彼女は元々某国の王女だったが、訳あって平民としての生活が長かった。色々覚えないといけないことも多い。次期国王となるアリオンに相応しいレディーになるのも、彼女にとって大事な仕事なのだ。 
 
 (豊穣祭……もうそんな時期だったっけ。セレナ……覚えててくれたんだ……)
 
 レイアは親友達の気遣いに感謝した。

 昔彼女がコルアイヌに住んでいた頃、セレナと一緒に街に出掛けた時に、行列が出来ているお店が一軒あったのを見かけた。その店は主に菓子を専門に扱っている店で、丁度豊穣祭の時期にあわせて贈り物用の商品を色々出しており、女性客が群がるように並んでいたのだ。
 
 店内は甘い匂いが漂っており、気にはなるものの、丁度持ち合わせがなかったから試し買いが出来なかった記憶がある。一番人気のある菓子の試食だけはしたが、普段食べる焼き菓子とは異なり、口に入れるととろけるような甘さと言い、雪のようにすっと溶けてゆく食感と言い、何とも言えない美味な菓子だった。それは丸かったり四角だったりハートの形だったりと、様々な形をしている。それでいてどれも一口サイズで食べやすい。意中の相手にあげる豊穣祭の贈り物なら焼き菓子より、こういうおしゃれなものが良いなと、その当時思ったものだった。

(ああ、自分にもこれを渡したい相手が出来たんだ……)

 感慨深く思うものの、当時のことを思い出すと、胸の中がほわんと温かくなり、ちょっとくすぐったい気分もした。

(彼は喜んでくれるだろうか?)

 これは夕ご飯の後に渡そう。そう思ったレイアは、高鳴る鼓動を抑えつつ、小包の中に入っていた小さな箱を、自分の机の引き出しの中にそっと入れた。
 
 ⚔ ⚔ ⚔
 
 その日の夜。夕食後に一息ついたあと、レイアはアリオンに切り出した。
  
「豊穣祭? それは何だい?」 
「コルアイヌでは恒例行事の一つなんだよ。男性からでも女性からでも、家族や大切な人に何か贈り物をする行事なんだ」
「そうなんだ」
「アルモリカではこういう習慣はないの?」
「習慣というより、意味合い的には記念日の方が近いかな。君の言う豊穣祭にあたるのは、ここでは〝感謝祭〟だ。恋人同士がお互いの気持ちを深め合い、感謝して一緒にお祝いする日なんだ。それはここでは来月なんだよ」
「そうなんだ。国によって色々違ってて、面白いね」
「ということは、今年からは今月と来月と君と二回お祝い出来るわけか。それは楽しみだ」

 彼はコルアイヌの風習を自分達の生活にそのまま取り入れようとしてくれているようだ。その気持ちがレイアにとってとても嬉しかった。

 彼女は見ていると吸い込まれそうになる笑顔を浮かべるアリオンに、そっと小箱を差し出した。彼女をよく見ると少し下を向いており、やや目をそらし気味である。レイアにとって、こうやって大切な誰かに贈り物をすること自体、これが初めてなのだ。波乱に満ちた幼少期を過ごし、紆余曲折を経て、今の平穏な生活を営んでいるが、彼女はまだ十六歳の少女なのだ。いくらほぼ同棲状態の正式な婚約者相手とは言え、ちょっとはにかむのも無理もない。

 アリオンが結んであるリボンを優雅な手付きでほどいてそれを開けてみると、優しい甘い香りが広がった。中には色が茶色だったり赤でコーティングされていたりと、様々な色と形をした菓子が入っていた。どれも艶々としている。見たことがないのか、王子は金茶色の目を輝かせつつ、不思議そうに覗き込んでいる。その様子が少年のようで可愛いとレイアは思った。
 
「ありがとう。これはここでは見たことのない菓子だ。一粒一粒が宝石みたいにとっても綺麗だね」 
「これはショクラタと言うんだ。ココという植物の種子を発酵、焙煎、粉砕したものにお砂糖、コルアイヌ産の牛乳を乾燥させたものを混ぜて練り固めた菓子なんだよ。コルアイヌではこの時期に贈り物として良く使われるんだ。甘くてとっても美味しいんだよ。あんたはお酒も甘いものもどちらも大丈夫だから、どうかなと思ってね」
「そうか。レイア、ちょっと口を開けてごらん」
「?」
 
 アリオンは箱の中の菓子の一粒を長い指で摘み、ひょいとレイアの口の中に入れた。彼女は驚いてヘーゼル色の目を大きく見開いている。
 
「ちょっとアリオ……」
 
 レイアは抗議の声をあげようとしたが、アリオンの唇に上から塞がれてそんな気も失せてしまった。二人の舌の間で、それはゆっくりと溶けてゆく。二人の口中に甘い香りがふんわりと広がった。背中がぞくぞくとし、身体中が熱くなってくる。二人共にほぼ同時にコクンと嚥下すると、王子は名残惜しそうに唇を離し、満足そうに目を細めた。
 
「……っ!」
「……ありがとう。君からの贈り物は、とろけるように甘くて美味しかったよ」
「もう……馬鹿……!」
「せっかく君がくれたんだ。味わうなら私一人では勿体ないからね。少しずつ頂くことにするよ……君と一緒にね」
「アリオンったら……!」
 
 アリオンは顔を真っ赤にしているレイアの腰と膝に腕を回すと、急に彼女の身体がふわりと宙に浮いた。腰まである長い黒髪が滝のように揺れ動く。彼女は突然視線の位置が高くなったことに驚いて、思わず彼の肩にしがみつくと、ターコイズブルーのドレスの裾がひらひらと揺れた。彼の背中まで長さのある明るい茶色い髪が彼女の指に絡みついて、少しくすぐったい。
 
「ほら、見てごらん。今度は僕から君への贈り物だよ」
 
 王子に横抱きにされながら、彼のいう方向に顔を向けると、机の近くに置かれている真っ黒な箱の中に、見ば良く敷き詰められた五十輪もの深紅の薔薇がレイアを出迎えた。ダイヤモンドを散りばめたように美しい大輪の薔薇である。花は全て特殊な加工をしてあるため、永遠に枯れることはないそうだ。レイアの顔からこぼれんばかりの笑顔が弾けた。
 
「凄い……とっても綺麗だね! 私薔薇なんて貰ったことなかったから、凄く嬉しいよ。ありがとうアリオン!」
「それは良かった。アーサーからコルアイヌの豊穣祭のはなしを色々聞いてね、実は予め準備しておいたんだ。君には何がいいだろうと思って、これにした」
 
 アルモリカでは感謝祭には互いに贈り物を送り合って祝うそうだ。レイアが豊穣祭の贈り物を準備していることを知ったアリオンは、同じ日に彼女に渡そうと事前にこっそりと手配していたのだ。
 
 五十輪のバラの花言葉は「永遠」。いかにも彼らしい選択だ。 
 
「今度はこちらに行こうか」
 
 横抱きにされたまま運ばれてゆく先を目にしたレイアは、頬を更に真っ赤に染めた。視線の先には綺麗にメイキングされた寝台がある。長いまつ毛の金茶色の瞳から射抜くような熱っぽい視線を感じて、彼女は身体の奥から甘い疼きを覚えた。心臓が強く跳ねて、胸が痛い位だ。
 
「今夜は特別、君をもっと感じていたいんだ」
「もう……アリオンったら……」
「来月の時も、夜は早めに仕事を切り上げるようにするよ。そうすれば、その分早く私は君だけのものになれるから」
「うん……ありがとう。とっても嬉しい」
 
 ゆっくりと降ろされた寝台の上で、レイアはアリオンの首にすがりついた。普段忙しい彼が、自分を寂しがらないようにと繊細に気を遣ってくれるのが、この上なく嬉しかった。ヘーゼル色の瞳と金茶色の瞳がゆっくりと見つめ合い、彼女の絹のように艷やかで長い黒髪と彼の明るい茶色の髪が絡まり合う。

 しばらくすると、寝台から優しくて甘いささやき声が聞こえてきた。それはきっと穏やかな眠りに包まれるまで、一晩中ずっと途切れないことだろう。寄せては返し、返しては寄せる波のように。
 
 レイアがアルモリカで迎えた初めての豊穣祭の夜は、こうして静かに更けていった。

 ──完──
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