上 下
9 / 82
第一章 逃亡者

第七話 幼馴染み

しおりを挟む
 心地よい風が頬をくすぐってゆくのを感じる。
 身体が柔らかい何かに包まれている、これは一体何だろう?
 太陽の匂いがする。
 
 (ここはどこだろう? )
 
 私は、確か崖から真っ暗闇の谷底へと落ちたはずだ。
 あんな高さから落ちたのだ。
 生きているはずがない。
 だけど……身体の感覚がある。
 何故だろう?
 
 ふと目を開けると、日に焼けた褐色色の肌を持つ幼馴染みの顔が視野に入った。

 白いシャツを着て、ベージュのスラックスをはいた青年は、濃い眉毛を歪めている。
 自分は今、寝台へ横になっているようだな。
 ふわふわした毛布に包まれている感触が、心地良い。
 ろうそくの光が揺れている。
 もう夕方だろうか? 周りが少し薄暗い気がするが。 
 
「……?」
「レイア、ようやく気付いたか。安心しろ。ここは俺の家だ」
 
 久し振りに聞く低い声に、身体が少し軽くなる思いがした。
 
「……アーサー……? アリオンは……!? うっ……!!」
 
 急に上半身を起こしたレイアは、身体中を走る鈍痛に顔をしかめた。
 アーサーと呼ばれた男は大きな手を彼女の肩に置き、なだめるように言う。
 
「アリオン? ああ、連れていた彼のことか。心配せずとも彼は無事だ。ほら見てみろ。向こうで静かに眠っている」
 
 彼が顎で示した先に、静かに眠り続けるアリオンの姿が見えた。
 心臓が痛いほど早鐘をうって仕方がない。
 レイアは寝台から降りると、止めようとする手に構わず、よろめきながらアリオンのもとへと駆け寄った。

 見た感じ、小屋を出る時とあまり変わりはないようだ──あちこち包帯でぐるぐる巻きになっていることを除いて。彼が目を閉じて胸のあたりが上下しているのを確認し、レイアは大きな安堵のため息をついた。
 
「セレナの見立てだと、彼の命に別状はないようだ。このまま自然と目が覚めるまでそっとしてあげてってさ」 
 
 (良かった……心臓が潰れるかと思った……!)
 
 セレナはレイアの幼馴染みの一人で、医術師である。人間のみならず、人魚族も診ることが出来るのだ。彼女は訳あって二年位前からアーサーの家に同居している。

 少し安心したレイアは自分が横になっていた場所へと戻り、その上に腰掛けると、自分の身体から薬草の匂いがするのに気付いた。

 袖をまくると、膏薬を塗り付けたあて布を、包帯であちこち固定してあるのが目に入る。頬に手をあてると、顔は無事だったようで、特に何も貼られていなかった。なんだかミイラみたいだなと己の姿を想像すると、腹の中から笑いが込み上げてきて思わずぷっと吹き出した。
 
「起きても大丈夫そうなら、良しとするか。お前の方はかすり傷と軽度の全身打撲のみで、捻挫も骨折もないそうだ。傷跡が残りにくいように膏薬を塗ったと聞いている。──お前、一体何をやらかしたのかは知らんが、無理をするなよ」
「ごめんごめん……て、何だって!? 骨一本折れてない!? 良かった~! あの崖から落ちて良く無事だったものだ」
 
 己の腕や足を動かしてみて、動かせない関節がないのを確認したレイアは両腕を天に向かってえいっと伸ばした。そして「痛たた……」と顔をしかめる。それを聞いたアーサーは目を見開いてぎょっとした。
 
「おいおい、それは本当か? そりゃあ驚きだ。あれはサンヌ崖だぞ。あの高さから落ちて死んだ者の数なら山ほど聞いたことはあるがな」
「ふふん。きっと、私の普段の行いが良いからだろう!」
 
 腰に手を当て、鼻息荒く自慢気に言うレイアの傍で、大きなため息が聞こえた。彼は人差し指と親指で輪っかを作り、自分より小柄なその額を強く弾いた。
 
「痛っ!」
「あほか。それを言うなら悪運が強いというヤツだ。不必要な心配かけさせやがって」
「ごめんってば!」
 
 アーサーは涙目になっている、自分より頭一つ分以上低いその身体に、ベージュ色の上掛けをそっとかけてやった。非難めいた口調だが、どこか優しい。
 
「サンヌ崖の下で二人して倒れていたのをセレナが見付け、二人で運んで連れ帰ったんだ。あの崖は存在が分かりづらくて、転落する者が後を絶たないと良く聞いている。運が良かったから良かったようなものだ。……あんまり無茶するなよ」
 
 ヘーゼル色の瞳の少女は小さなくしゃみを一つした後、ヘヘっとくすぐられたような顔をした。
 
「ありがとう。今回は本当にまずいと思ったから、助かったよ」
「お前……ひょっとして厄介事に巻き込まれたんじゃないのか?」
「相変わらず鋭い奴だな……まあ、否定はしないさ」
 
 レイアはため息を一つつき、しぶしぶアーサーにこれまでの話しをした。すると驚きのあまりアーサーの細長い、形の良い紫色の瞳が大きくなる。
  
「お前正気か!? あのカンペルロ王国の奴らが相手だぞ!?」
「でもアルモリカ王国の彼等は、何も悪いことをしていないんだぞ!? そんなの、許せない」
「レイア、気持ちは分かるが、自分の命をもっと大事にしろ。命がいくらあっても足りないぞ!! 本当に、舌の根が乾かないうちにお前は……!!」
 
 つい声が大きくなっていたことに気付いたアーサーは、アリオンの寝台をちらりと見やる。寝台の主がまだ目覚めていないことを確認して、彼は小声で話し始めた。
 
「それにな、お前の連れている相手、誰か分かっているのか?」
「アリオンがどうかしたのか?」
「彼は現在潰されかけている、アルモリカ王国の王子さ。王家唯一の生き残りと言われている」
「王子……!?」
 
 レイアは目を大きく見開いた。
 彼は身の回りのことをわりと自分でしていた。
 普段から何でも自分でしているような感じだった。
 それでも立居振る舞いといい、どこか上品で、何となく平民ではなさそうな感じはしていたが、本当に王族だったとは。
 
「お前が知らないとは珍しいな。先月カンペルロ王国がアルモリカ王国を侵略した話しだが、お前の街ではその詳細は噂になっていないのか?」
「ああ。全く。サビナにも行ったのだが、どういう訳か話題に上がらなかったんだよ。アルモリカ王国は訪れたことがまだないから良く知らないしな。だから行ってみようと思うのだが」
 
 アーサーは眉をひそめ、黒い短髪の後頭部をぼりぼりかいている。
 
「理由は知らんが、誰かが情報を止めているんだろうな。特に中心都市部には。それよりも、俺はお前が権力抗争に巻き込まれないかが心配だ」
 
 国と国の問題だ。上の連中が主に対処することだろう。一個人が安々と首を突っ込んでいい問題ではない。アーサーは、自分の幼馴染みがその荒波に乗り込もうとしているのを強く感じ、やきもきしているようだ。
 
「それに……同情心や義侠心のみで人一人を守れる程、命は軽くないだろうが」
「それは……常に肝に銘じているさ」
 
 ヘーゼルの瞳は紫の瞳を下から覗き込んだ。
 射抜くような視線を感じる。
 これは意志を曲げる気のない視線だ。
 
「あと、私は知りたいことがある」
「……ああ、前に言っていたお前ののことか?」
 
 唇を引き締めたレイアはこくりと首を縦に振った。その瞳は真剣そのものだった。
 
 実は彼女には、抜け落ちている記憶がある。
 五歳以前の記憶が全くないのだ。
 彼女が言うには「穴が空いたようにすっぽりと抜け落ちている」らしい。
 思い出そうとしても、思い出せない。
 無理に思い出そうとすると、頭痛とめまいがするという。
 何とも奇妙なはなしだ。
 
 レイアは幼い頃に両親を亡くし、養親の元で育った。
 そこで護身も兼ねて剣の手解きも受けたらしい。
 そして十五歳になってから、サビナへ買い出しついでに旅に出るようになった。
 何とかして記憶を取り戻したい彼女だったが、今のところ何一つ見付かっていないのだ。
 
「コルアイヌ王国内やサビナではこれと言って手掛かりが掴めなかったんだ。レイチェルも教えてくれなかったし。アルモリカ王国に行けば、何かきっかけが得られるかもしれない。そんな気がしてな」
「お前の頑固さには負けるよ。これまでずっと一人で良く頑張ったものだ」
 
 レイアは一度言い出すと何を言っても止められない。彼女の性分を分かっているアーサーは白旗を揚げた。
 
 レイチェル・ガルブレイスは、レイアの養親だった。
 細身で大人しそうな外見だが芯の強い女性で、十年位前にとなり村から引っ越してきたと、当時近所に住んでいたアーサーの両親から聞いた。

 彼は十歳、レイアは五歳の頃だった。

 その時からずっと一緒だった彼女からは、レイアの両親は病気で死んだとしか聞いていない。
 
 レイチェルは一年前に不慮の事故で不帰の客となった。
 当時、彼女はまだ十五になったばかりだった。
 その時には引っ越して今の土地に住んでいたアーサーは気を遣い、事後処理を手伝ったり時々連絡をとったりしていたが、レイアは気丈にも涙一つこぼさなかったのだ。
 
「レイチェルからは、一人でも生きていけるようにと、色々仕込まれただけあるからねぇ」
「あの華奢な見た目で凄腕の剣使いだなんて、誰も想像出来なかったな。俺も一度だけ手合わせさせてもらったことはあったが、簡単に勝てない相手だと思ったよ」
「あれからもう一年か。時が過ぎるのは早いよな」
 
 昔の頃を思い出していたのか、レイアは顔つきが昔の頃に戻っていた。そんな彼女の頬を、ろうそくの光が柔らかく照らしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

美しい姉と痩せこけた妹

サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

不遇な公爵令嬢は無愛想辺境伯と天使な息子に溺愛される

Yapa
ファンタジー
初夜。 「私は、あなたを抱くつもりはありません」 「わたしは抱くにも値しないということでしょうか?」 「抱かれたくもない女性を抱くことほど、非道なことはありません」 継母から不遇な扱いを受けていた公爵令嬢のローザは、評判の悪いブラッドリー辺境伯と政略結婚させられる。 しかし、ブラッドリーは初夜に意外な誠実さを見せる。 翌日、ブラッドリーの息子であるアーサーが、意地悪な侍女に虐められているのをローザは目撃しーーー。 政略結婚から始まる夫と息子による溺愛ストーリー!

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

妹しか愛していない母親への仕返しに「わたくしはお母様が男に無理矢理に犯されてできた子」だと言ってやった。

ラララキヲ
ファンタジー
「貴女は次期当主なのだから」  そう言われて長女のアリーチェは育った。どれだけ寂しくてもどれだけツラくても、自分がこのエルカダ侯爵家を継がなければいけないのだからと我慢して頑張った。  長女と違って次女のルナリアは自由に育てられた。両親に愛され、勉強だって無理してしなくてもいいと甘やかされていた。  アリーチェはそれを羨ましいと思ったが、自分が長女で次期当主だから仕方がないと納得していて我慢した。  しかしアリーチェが18歳の時。  アリーチェの婚約者と恋仲になったルナリアを、両親は許し、二人を祝福しながら『次期当主をルナリアにする』と言い出したのだ。  それにはもうアリーチェは我慢ができなかった。  父は元々自分たち(子供)には無関心で、アリーチェに厳し過ぎる教育をしてきたのは母親だった。『次期当主だから』とあんなに言ってきた癖に、それを簡単に覆した母親をアリーチェは許せなかった。  そして両親はアリーチェを次期当主から下ろしておいて、アリーチェをルナリアの補佐に付けようとした。  そのどこまてもアリーチェの人格を否定する考え方にアリーチェの心は死んだ。  ──自分を愛してくれないならこちらもあなたたちを愛さない──  アリーチェは行動を起こした。  もうあなたたちに情はない。   ───── ◇これは『ざまぁ』の話です。 ◇テンプレ [妹贔屓母] ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾もあるかも。 ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング〔2位〕(4/19)☆ファンタジーランキング〔1位〕☆入り、ありがとうございます!!

借金地獄の貧乏男爵家三男に転生してしまったので、冒険者に成ろうとしたのですが、成り上がってしまいました。

克全
ファンタジー
ラスドネル男爵家の三男ライアンは転生者だった。マクリントック男爵家のイヴリンと結婚して婿入りする予定だった。だがイヴリンは多くの悪評通り、傲慢で野心家だった。なんとチャーリー第一王子の愛人になっていたのだ。しかもチャーリー王子と一緒に婚約破棄の賠償金まで踏み倒そうとした。男爵家の意地を通したいライアンは、王国法務院に行って裁判に持ち込もうとした。何とか裁判には持ち込めたが、法務院の委員はほぼ全員王子に脅迫されていた。しかもライアンの婚約破棄賠償金請求ではなく、チャーリーと四妹の王位継承争いの場となってしまった。何とか弁舌を振るって婚約破棄賠償金請求の争いに戻し、勝利を勝ち取ったライアンではあったが、往生際の悪い王子は取り巻きを使ってライアンを殺そうとした。ついに堪忍袋の緒が切れたライアンは、取り巻きは半殺しにしただけでなく、王子の顔も焼いて心機一転ジェラルド王国で冒険者として生きる事にしたのだが…… 「アルファポリス」だけに投稿しています。

王子は婚約破棄をし、令嬢は自害したそうです。

七辻ゆゆ
ファンタジー
「アリシア・レッドライア! おまえとの婚約を破棄する!」 公爵令嬢アリシアは王子の言葉に微笑んだ。「殿下、美しい夢をありがとうございました」そして己の胸にナイフを突き立てた。 血に染まったパーティ会場は、王子にとって一生忘れられない景色となった。冤罪によって婚約者を自害させた愚王として生きていくことになる。

処理中です...