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第五章
再来 ……2
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映画の後はふだんと変わりなく会話して、食事して雑多な店が並ぶ街をぶらついた。翌日の予定も考えて早めに切り上げることにし、電車で地元まで戻ってきた。
結局、梶山は水沢遙香について多くを語らなかった。彼女を責める言葉はひとつも漏らさない。
反射神経が鈍ったのかな、と梶山は苦笑した。まさか真っ昼間に歩きながら居眠りでもしてたわけでもあるまいし、あんな無様な落ちかたをするなんてな。
「俺の不注意だったんだ」
梶山は言った。「彼女には迷惑をかけたよ」
無理に訊き出すのはよくない気がして、あえて修哉も梶山が話す事情だけを黙って聞いていた。
改札を出たところで梶山が立ち止まる。スマートフォンの通知を確認している。
見慣れた駅の風景はどこか安心する。同時に帰宅するだけとなり、早くも一日の終わりを実感して名残惜しい気持ちも入り混じる。
最近は日も短くなって、暗くなる時刻も早まっている。日中は日差しも強く、いまだに酷暑が続く。それでもすこしずつ季節は移り変わる。どこか遠くでヒグラシの声が繰り返すのが聞こえる。晩夏の夕暮れ時のもの悲しさが漂う。
日が傾いて夕焼け空が広がる。
「慎がこの辺車転がしてるから、迎えに来るってさ。おまえも乗ってくか?」
過保護だな、と笑いつつ返答する。「いや、ちょっと寄りたいところがあるから遠慮するよ」
そうか、と梶山はあっさり引き下がる。
駅前のロータリーにやってきた慎の車に梶山が乗り込むのを見届け、修哉は自宅方向と逆の商店街へと足を向けた。在庫を切らしていた印刷用紙を購入し、店を出たところで背後から声をかけられた。
「お兄さん、ちょっと時間ある?」
聞き覚えのある声だった。振り返ると、そこには水沢遙香――いや、マサキがいた。
暮色に染まりはじめた街の風景と雑踏を背景に、マサキは人懐こく魅力的な笑顔を向けてくる。
周囲から浮かび上がるような印象を受けた。どことなく浮世離れした雰囲気を漂わせる。
駅前なのに、こちら側の公道はほぼ歩行者専用と化していて、帰宅する人通りで混雑している。なかなか下がりきらない日中からの気温に疲労し、汗を拭きながらうんざりした顔をして歩く人々。
一方でマサキはひとり、気温の違う世界に立っているように見えた。髪をひとつにくくり、いまから就活に行くかのような真っ白なシャツを二の腕までまくり、黒のスラックスと底の低い革靴の姿。髪からか服からなのか、爽やかな芳香が匂う。
修哉は返す言葉を見失い、詰まった。
「……」
なんと返せばいいかわからなかった。
「昼間に妹と会ったでしょ。たぶんもう会う機会もないだろうから、ストーカーみたいな真似しちゃいました」
えへへ、とばつが悪そうにマサキが笑う。
「もしかして、あれからずっと後をつけてた……んですか」
「一度、探偵のアルバイトってのをやってみたくて」
彼女は顔をやや横に倒し、こめかみのあたりを掻いてなんとかごまかそうとしている。「面白そうでしょ、バレずに追跡するってやつ」
修哉は小さく肩をすくめた。
「まったく気づかなかった」
だれかが後をついてくるなんて考えもしなかった。この暑いなか、ずっと尾行してたのだとすれば、よほど用事があるのか単にヒマなのか。
修哉は疑問に思った。だけど、梶山に声をかけるならまだしも――
「なんでオレに?」
「梶山さんには会いたくないって言うもんだから。顔合わせづらいでしょ」
不可思議な言い回しをする。修哉は目をしばたいた。
「……?」
「私、お兄さんとちょっと話がしてみたいと思ったんですよ」
あたし、ではなく、わたし、と意図的にはっきりと発音した。
来て、と半袖の端をつままれる。小さな子どもの力ほどでしかなく、引っ張られてもこの身長差では微塵も動かせない。
「どこ行くんだよ」
マサキは、ぱっと振り向いた。「実はここらの土地勘、ないんですよね」
うーん、と考える。目尻を下げ、輝くような笑顔を向けてくる。
「どっか、いいとこあります? おごります」
あ、でも、とちょっと顔を曇らせる。「手持ちが少ないんで、できるかぎりあんまり高くないとこで。ごめんね」
表情がくるくると変わる。顔を見なければ、少年にも聞こえる中性的な声。
「オレもきみに訊きたいことがあるんだ。なんか訳ありっぽいし」
よかった、と安堵の笑顔を向けられる。「梶山さんの話題によく出てきたひとって、お兄さんだよね」
梶山が、オレのことをマサキに話した? いったいどういう経緯でそんな話題になるんだろう。
「ってか、お兄さんはやめてくれないかな。きみは梶山と同学年だろ?」
うん、と頷く。楽しそうに笑う。「背が高いから、てっきり年上かと思った」
なんだよそれ、と内心で思った。老けてるとでもいいたいのかな、と少しばかり不満が込み上げる。
「梶山と同じなら、オレともタメだろ」
そこまで言って、まだ名乗ってなかったことに気づいた。「オレの名は碓氷」
「碓氷……さん」
ちょっと間が空く。「碓氷さん、下の名前は?」
下の名まで、わざわざ確かめられるとは思っていなかった。不思議に思いながらも答える。
「修哉」
そう、とマサキが記憶に刻む目になる。
「僕は水沢マサキ。真っ直ぐに咲くと書いて、真咲」
よろしくね、と人懐こい笑みとともに、真咲は言った。
結局、梶山は水沢遙香について多くを語らなかった。彼女を責める言葉はひとつも漏らさない。
反射神経が鈍ったのかな、と梶山は苦笑した。まさか真っ昼間に歩きながら居眠りでもしてたわけでもあるまいし、あんな無様な落ちかたをするなんてな。
「俺の不注意だったんだ」
梶山は言った。「彼女には迷惑をかけたよ」
無理に訊き出すのはよくない気がして、あえて修哉も梶山が話す事情だけを黙って聞いていた。
改札を出たところで梶山が立ち止まる。スマートフォンの通知を確認している。
見慣れた駅の風景はどこか安心する。同時に帰宅するだけとなり、早くも一日の終わりを実感して名残惜しい気持ちも入り混じる。
最近は日も短くなって、暗くなる時刻も早まっている。日中は日差しも強く、いまだに酷暑が続く。それでもすこしずつ季節は移り変わる。どこか遠くでヒグラシの声が繰り返すのが聞こえる。晩夏の夕暮れ時のもの悲しさが漂う。
日が傾いて夕焼け空が広がる。
「慎がこの辺車転がしてるから、迎えに来るってさ。おまえも乗ってくか?」
過保護だな、と笑いつつ返答する。「いや、ちょっと寄りたいところがあるから遠慮するよ」
そうか、と梶山はあっさり引き下がる。
駅前のロータリーにやってきた慎の車に梶山が乗り込むのを見届け、修哉は自宅方向と逆の商店街へと足を向けた。在庫を切らしていた印刷用紙を購入し、店を出たところで背後から声をかけられた。
「お兄さん、ちょっと時間ある?」
聞き覚えのある声だった。振り返ると、そこには水沢遙香――いや、マサキがいた。
暮色に染まりはじめた街の風景と雑踏を背景に、マサキは人懐こく魅力的な笑顔を向けてくる。
周囲から浮かび上がるような印象を受けた。どことなく浮世離れした雰囲気を漂わせる。
駅前なのに、こちら側の公道はほぼ歩行者専用と化していて、帰宅する人通りで混雑している。なかなか下がりきらない日中からの気温に疲労し、汗を拭きながらうんざりした顔をして歩く人々。
一方でマサキはひとり、気温の違う世界に立っているように見えた。髪をひとつにくくり、いまから就活に行くかのような真っ白なシャツを二の腕までまくり、黒のスラックスと底の低い革靴の姿。髪からか服からなのか、爽やかな芳香が匂う。
修哉は返す言葉を見失い、詰まった。
「……」
なんと返せばいいかわからなかった。
「昼間に妹と会ったでしょ。たぶんもう会う機会もないだろうから、ストーカーみたいな真似しちゃいました」
えへへ、とばつが悪そうにマサキが笑う。
「もしかして、あれからずっと後をつけてた……んですか」
「一度、探偵のアルバイトってのをやってみたくて」
彼女は顔をやや横に倒し、こめかみのあたりを掻いてなんとかごまかそうとしている。「面白そうでしょ、バレずに追跡するってやつ」
修哉は小さく肩をすくめた。
「まったく気づかなかった」
だれかが後をついてくるなんて考えもしなかった。この暑いなか、ずっと尾行してたのだとすれば、よほど用事があるのか単にヒマなのか。
修哉は疑問に思った。だけど、梶山に声をかけるならまだしも――
「なんでオレに?」
「梶山さんには会いたくないって言うもんだから。顔合わせづらいでしょ」
不可思議な言い回しをする。修哉は目をしばたいた。
「……?」
「私、お兄さんとちょっと話がしてみたいと思ったんですよ」
あたし、ではなく、わたし、と意図的にはっきりと発音した。
来て、と半袖の端をつままれる。小さな子どもの力ほどでしかなく、引っ張られてもこの身長差では微塵も動かせない。
「どこ行くんだよ」
マサキは、ぱっと振り向いた。「実はここらの土地勘、ないんですよね」
うーん、と考える。目尻を下げ、輝くような笑顔を向けてくる。
「どっか、いいとこあります? おごります」
あ、でも、とちょっと顔を曇らせる。「手持ちが少ないんで、できるかぎりあんまり高くないとこで。ごめんね」
表情がくるくると変わる。顔を見なければ、少年にも聞こえる中性的な声。
「オレもきみに訊きたいことがあるんだ。なんか訳ありっぽいし」
よかった、と安堵の笑顔を向けられる。「梶山さんの話題によく出てきたひとって、お兄さんだよね」
梶山が、オレのことをマサキに話した? いったいどういう経緯でそんな話題になるんだろう。
「ってか、お兄さんはやめてくれないかな。きみは梶山と同学年だろ?」
うん、と頷く。楽しそうに笑う。「背が高いから、てっきり年上かと思った」
なんだよそれ、と内心で思った。老けてるとでもいいたいのかな、と少しばかり不満が込み上げる。
「梶山と同じなら、オレともタメだろ」
そこまで言って、まだ名乗ってなかったことに気づいた。「オレの名は碓氷」
「碓氷……さん」
ちょっと間が空く。「碓氷さん、下の名前は?」
下の名まで、わざわざ確かめられるとは思っていなかった。不思議に思いながらも答える。
「修哉」
そう、とマサキが記憶に刻む目になる。
「僕は水沢マサキ。真っ直ぐに咲くと書いて、真咲」
よろしくね、と人懐こい笑みとともに、真咲は言った。
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