止まない雨はない

結城りえる

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第九章 ふたり

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 その頃、都内の高級ホテルのラウンジで、堺谷はグラスをゆったりと傾けていた。店は彼一人が貸しきった状態であり、彼の周囲やラウンジの入り口には黒服のボディガードたちが眼を光らせていた。
 そんな中に、同じ黒服姿でありながら物腰の柔らかな男性が一人だけ混じっている。彼は堺谷がもっとも信頼を置く秘書、風間隼人だった。その隼人の胸元で、スマートフォンの振動音が鳴る。彼は堺谷に一礼した後、少し離れてその電話に応答した。 
「………そうですか、わかりました。引き続き、報告をお待ちしています」
 風間は電話を切り、再び堺谷の後ろへと控えた。 
「………やはり動きおったかのォ」 
 堺谷はグラスの中のロックアイスを見つめながら、独り言のように風間に声をかけた。 
「………仰せの通りでした。こうなることは解っておいでだったのでしょう?堺谷様もお人が悪くはございませんか?」 
 風間はまるで誰かに同情するかのような口調で応える。 
「……たしかに風間、お前さんの言う通りじゃがのォ…。自分の城を守れずして、己の大切な人間を守れはせんじゃろう?」 
 そう言いながら、腕を組んだ堺谷に、風間は眼を伏せた。 
「…確かにそうですね。ですが、」
 風間はさらに言葉を続ける。
「上杉タカシと山口瑠歌には、試練としては、少々重過ぎるような気がします」 
「相変わらずおぬしは優しいのォ、風間。やはりタカシが気になるか?」 
 堺谷の問いに、風間は微笑する。
「私も確かに一度は音楽を極めた身でしたので、数年前にウォルドルフ・アストリアで隣の部屋から扉越しに彼のピアノを初めて聴いたとき、たしかに荒削りで滅茶苦茶な印象はありましたが、弟子にしてみたいと思ったのは確かです」 

 そういう意味では、堺谷様の手厳しい試練で、彼が潰れてしまわないかと、心配はしてしまいますよ。

「なるほどのォ…。では久しぶりにワシのために一曲弾いてくれんか、風間」
「かしこまりました」 
 風間は静かに堺谷から離れ、彼の視線の先にあった、漆黒のグランドピアノに腰掛ける。そこで白手袋を外し、ブルース調でなめらかな音を奏で始めた。 
 この音色をもしもタカシが直接聴くことが出来ていたら、驚愕と感激とで複雑な反応を同時にするかもしれない。なぜなら風間は、かつて日本人としては世界に名も知れ渡った、ジャズピアニスト界では神のような存在のアーティストなのだ。 
「………奴には乗り越えられる壁と思うが」 
 堺谷はグラスに口をつけ、ブランデーを飲み干した。 
「さて……上手く蛇どもを追い払えるか、お手並み拝見とするかのォ…」 
 己がタカシに与えた店と土地の資産価値を充分承知していた堺谷は、いずれ彼らにトラブルが生じることも、想定内だったのである。

***************
 
 一方、拉致されたルカは、シャツを剥がされ、“蛇”のオフィスで逃げ出せぬよう、殴る蹴るの暴行を受けていた。
 殴られたとき、口の端を少し切ったらしい。口のなかに血が滲み、不快な鉄のような味がした。上半身裸で縛られたルカは、床の上に力なく寝転がっていた。タカシのことだ。きっとここに乗り込んでくるに違いない。出来ればそうなって欲しくない、とルカは思う。
 人質である自分がこんな目に遭うくらいなのだ。タカシも無事では済まされないだろう。 
「……こんなことをしても、タカシさんは来ないと思いますよ…」 
 連中をなんとかあきらめさせることは出来ないだろうか。ルカは床に這い蹲りながらも、タカシを守ろうとしていた。
「随分と姿や顔に似合わず、強い男だこと!」 
 コツコツと皮靴の音をさせながら、ルカが囚われている部屋に一人の男が入ってきた。黒髪で長髪。ギラギラとした吊り上った眼をした、青白い顔の男だった。少し中性的な雰囲気があるせいか、女性のような言葉遣いである。「アタシは“ジャノメ”。この界隈で都市開発にチカラを入れたビジネスをしてるのだけど…」 
 非人道的な扱いをしておきながら、この男はルカの前で美辞麗句を並べ立てる。 
「そのためにはね、あなたの大切な恋人のお店を手に入れる必要があってねぇ…」 
「…………タカシさんは、あの場所を手放したりはしません」 
 腫れ上がった顔を向けたまま、ルカもそう言い放った。 
「……ったく、あなたも医者ならもう少しオツムが働くかと思ったのにねぇ…。馬鹿にはあの土地の利用価値ってものがわからないのね、もったいない…」 
 ジャノメはそう言うと、ルカの手の甲を思いきり靴のまま踏みにじった。ルカは苦痛のまま声をあげそうになるが、じっと耐える。 
「必死になってタカシを庇ってるつもりでしょうけれど、あの男にそれほどの価値があるのかしらねぇ?」 
 手先や指をさらに踏みつけたまま、ジャノメは哀れむようにルカを見下ろす。ルカは傷だらけの顔にその瞳だけは凛とした光を保ちながら、ジャノメを睨みかえした。
「あなたにタカシさんを語る権利などないですよ!」 

 あなたのような、暴力や金が全てだと思っている亡者に、あの人の素晴らしさなど、1ミリだって解りっこしないでしょうね。

「いきがってるんじゃないわよ…」 
 ジャノメはルカの言葉に腹を立てると、そのまま彼の顔を蹴りつけた。そのせいで、彼の切れた口からさらに血しぶきが飛び散った。ジャノメはそれを見ながら、愉快そうにあざ笑う。
「全く!聞いて呆れるわね。愛だの恋だのって、カタチのないものに縋って!そんなものを信じてるのは馬鹿だけよ」 
「…………………っ」 
 ここで自分は倒れるわけにはいかない。このジャノメに屈してはならない。ルカは歯を食いしばりながらじっと耐え続ける。
 そのときだった。急に部屋の外部が騒々しくなりはじめる。まるで乱闘が始まったかのように、荒くれ共が我先に走っていく。 
「馬鹿がもう一人ご到着のようよ?」 
 ジャノメは髪をかき上げながら、楽しそうに笑う。全ては計画通り。ルカさえ手のなかに居れば、タカシなど、大したことはないと踏んでいる。  
「ルカっ!?何処だ、ルカ?無事かッ」  
 タカシの声が近づいてくる。自分を呼んでいる声がする。誰よりも愛しいはずの声なのに、今はそれが近づいてくることが恐ろしい。
 ドアを蹴り破り、必死な形相のタカシが見た光景は、あまりにも惨い仕打ちを受けたルカの姿だった。 
「ルカっ!」 
 一瞬、タカシは恐怖で声が詰まる。それでも喉からありったけの声を振り絞り、愛しい彼の名を呼んだ。 
「……来ては………ダメです」  
 痛みで動かすことが困難になった指先を震わせ、ルカはタカシに告げる。そんな彼に駆け寄ろうとしたタカシの目の前に、ジャノメとその部下が阻む。
「あら?欲しい品物には、対価を支払うのがビジネスってものでしょう?」
「ビジネスだって!?」 
 タカシは苦々しい顔で睨み返す。 
「そいつは知らなかったよ。お釣りはたっぷり返さないとな…」
 
 オレに直接用があるンなら、来たらよかったじゃない?よくも汚ない手で散々ルカに触ってくれたな!?

 殴打された傷のせいか、意識が朦朧としながらも、ルカは床に転がったまま、タカシから眼が離せずにいた。このままでは、タカシが危険だ。NYのダウンタウンで彼がユキトを失ったときの恐怖を、今度は自分が味わうことになってしまうのだろうか。 
「や……!やめて……タカシさん……オレは大丈夫です。だから………手荒な真似は………」  
 無力な今の自分に何が出来る?だが……多勢を相手に、タカシは果敢に拳を振るい、足蹴りを食らわせ、荒くれ共をなぎ倒していく。

 ………タカシさん?

「心配………するな、ルカ!こういう歓楽街の住人になれば、いざこざなんて、しょっちゅう吹っ掛けられる。そのたびに泣き寝入りなんてしてられないからな。おかげで前より遥かに強くなったさ……」
 殴りかかってきた相手の腕を掴み、背中でグニャリと曲げ、相手は悲鳴をあげて逃げる。ある者は完全にノックアウトされ、ある者は肋骨辺りを押さえて動けず、そしてまたある者は戦闘放棄して逃げていく。そう、ルカの想像をはるかに越えて、タカシはこの都会のサバイバルで確実に強くのし上がってきたのである。
 そしていつの間にか、残るは、ジャノメだけとなっていた。 
「どいつもこいつも、使えない奴等ね!!」 
 ジャノメは胸元から拳銃を取り出し、その銃口をタカシに向ける。 
「撃てるものなら、撃ってみてよ?」  
 銃口を向けたぐらいでは、タカシは怯まない。 
「あはははは…開き直ってざま無いわ。アタシの勝ちよ、タカシ!!」 
 トリガーを、ジャノメが骨のように白い己の指で引いたまさにそのときだった。

 …………………っ!!

 いきなり屈強な男たちが部屋に流れ込んでくると、ジャノメの一瞬の隙をついて、拳銃を蹴り上げ、それはそのまま発射されずに天井に当たって床におもちゃのように落下した。 
「…………あんたたちは!」  
 彼等はタカシには見覚えがある男たちだった。そう、堺谷のボディガードを務める精鋭たちだったのだ。  
「……よう頑張ったのォ……タカシ。そして瑠歌」  
 部屋の入り口には、いつの間にか堺谷が立っていた。彼は己の部下にタカシとルカを見守らせ、風間隼人を通じて危険があれば駆けつける用意があったのだ。
「久しぶりじゃのォ、ジャノメ。この界隈はワシのものだと判っていながら、随分とやりたい放題しおったのォ?」 
「フン…。いまさら老いぼれがシャシャリ出てこないでちょうだい!」
「まぁ、そう言うな。実はお前に忠告しておこうと思うてな」  
 堺谷はまるで旧知の仲であるような口ぶりでジャノメに話かける。  
「土地を買い漁るのは個人の勝手じゃが、この景気ももってあと数ヶ月じゃ。夢の200億円も、半分以上紙切れになるぞ」
「そんなデマ、いったい誰が信じるっての?」 
 ジャノメは鼻で笑う。   
「ワシがデマなんぞ言ってどうする?経済アナリストどもがこぞってそう断言しておるぞ?お前さんとて噂を聞いておらぬわけはなかろう?ま、ワシはちゃんとお前に忠告してやったからな。万が一お前が大損したとしても、ワシのせいではないのォ」  
 自信たっぷりにそう言い放った堺谷に対し、ジャノメは思うところがあったのだろう。急に踵を返し、立ち去ろうとする。  
「フン。やめたわ…。鬱陶しいあんたたちと関わって、わざわざ手間隙かけて得る金でもないわね」  
 その捨てセリフは充分負け惜しみに聞こえなくもなかったが、タカシはようやく騒動がこれで収まることに安堵した。 
「……大丈夫だったかのォ、タカシ?」  
 堺谷はその場でタカシに声をかける。  
「はい……。助けて頂いて、有難うございました」  
「いいや。瑠歌を本当に守ったのは、おぬしだからのォ。瑠歌は大丈夫か?」 
 ようやくルカを抱き起こしながら、タカシは頷く。 
「……気を失っています。オレに関わる度に、このひとは、その身を傷つけてばかりで……」  
 タカシの長い睫毛に涙の粒が光る。身を挺して、いつもタカシを守ろうとするルカ。愛しているのなら、自分はこのひとを自由にしてあげるべきなのだろうか?タカシはルカを腕に抱きながら、傷だらけのその頬に自分のそれを寄せ、静かに眼を閉じた……。


*****************

 タカシはしばらく「Bar Lucas」を休業し、ルカの手当てをし続けた。あれほど酷い暴行をうけながらも、肋骨にヒビが入った程度で済み、ほとんどが打撲だけだったことは不幸中の幸いだった。もしもあのときの拳銃がまともに使用されていたなら、自分たちは存命してはいなかっただろう。
 二人が暮らす部屋の寝室で、手当てされた痛々しいルカが眠っている。その間、タカシは片時も彼の傍を離れずにいた。
 ただ、自分は彼を愛しているだけなのに、その運命の激しさは、ルカを危険に巻き込み、傷つけてしまう。  
「…ねぇ、ルカ」  
 タカシはぐっすりと眠るルカに話しかける。  
「オレはアンタとは一緒にいてはいけないのかな?」  

 ただ、愛したいだけなのに。

 一緒に時間を過ごし、ひとつになるように身体を重ね、その泣きたくなるほどの幸せに、いつも互いは生きていると実感する。そんなささやかな人生を送りたいだけなのに。   
「………オレがこのまま消えちゃったら、またアンタ、怒ったりする?」  
 彼の手を取り、指先に唇で触れながら、タカシは苦しげな微笑で尋ねる。ルカの言葉を聞くことが怖くて、眠っている彼に話しかけるなんて、自分は彼との恋に、こんなにも臆病なのだ。
 すると、突如玄関のインターホンが数回鳴った。   
「……誰だろ?こんなトコに訪ねてくる奴なんていないはずだし、まさかまだジャノメの連中?…ってことは、ないよな…」  
 ゆっくりと立ち上がり、タカシは玄関へと向かい、ドアを開けた。   
「あ!いたいたマスター!!ルカ先生、大丈夫なのか?」  
「……すみません、突然お邪魔しちゃって。でも、お店でとんでもないことになっちゃってて…」  
 玄関の外に立っていたのは、バイトの鳴海と佐屋だった。二人とも、抱えきれないほどの花束や見舞い用の果物籠や、ラッピングの大小の箱を足元に置いている。なんでも、ルーカス御用達の酒屋の台車を借りてここまで運んだらしい。  
「……何なの、お前たち、それ?」    
 タカシは半ば呆れながら、それらの荷物の山を不思議そうに見つめる。  
「何なのじゃないって!お店の常連さんたちや、歌舞伎町のキャバクラや飲み屋や量販店の青葉の兄ちゃんまでこーんなに見舞いの品を持って店に詰め掛けちゃってさ!!」    
「見舞い?もしかして……これ、みんなルカのために?」   
「ったりめーだって!どう考えたってマスターのものじゃねーよ」  
 まるで叱りつけるように鳴海はまくし立てる。  
「……とにかく、歓楽街の皆さんや山口クリニックの患者さんとか、連絡先が判らないからって、店の前とかに置いていったり、たまたま僕たちが掃除しようと出勤したら、凄いことになってたから…」  
 佐屋に説明され、タカシは山のような見舞い品の送り主がそれぞれ誰なのか確認し始める。 
 
≪ニューハーフ・バー しるびあ≫
“ルカ先生は大丈夫?早く良くなって二人で飲みに来てちょうだいね”
 
 メッセージカードを読めば、自然に気のいいオーナーの顔が浮かぶ。

 ≪キャバクラ・リーブス≫
“タカシちゃんの彼氏が大変だって聞いたよ。ほんの気持ちだけど…。あと、これからはオレたちもチカラになってやるから……”

 馴染みの同業者からの温かいメッセージ。 
 
“ルカ先生、早くよくなってくれよ”   
“ルカ先生、元気になってね”   
“いっぱい食べて、早く戻って来てね”   
 
 どれも、皆、ルカのことを自分のことのように心配してくれている、温かい言葉が添えられていたのだ。
 鳴海と佐屋が帰った後、見舞いの品を何回かに分けてようやく室内に運び込み、タカシは再びルカのベッドサイドに戻った。
 見舞いの品であるフラワーアレンジメントは優しく、芳しい香りを部屋のなかで放つ。そのせいだろうか、ルカがゆっくりと眼を開けながら目覚めたのだ。  
「……タカシさん」  
「……眼が覚めた、ルカ?ほぼ一昼夜眠ってたね」  
 無理に起き上がろうとしたルカをタカシは制する。   
「傷は痛む?ごめんね……またオレのせいでこんな目に遭わせて」  
「そんな………。大丈夫ですよ。それよりも、オレ、タカシさんがあんなに強いとは思いませんでした」     
「……参ったな。ああいうのはホメられたもんじゃないね。ルカは暴力は嫌いでしょ?軽蔑する?」     
 苦笑するタカシにルカは首を横に振ってみせる。  
「……あの場合は正当防衛ですから」  
「そう?……よかった。またルカに叱られるんじゃないかって、ヒヤヒヤしちゃったもの…」  
 そう言いながら、タカシはつい先ほど鳴海と佐屋が皆からの見舞いの品を持参したことを伝えた。  
「…………そうだったんですね」
 ルカは嬉しそうにつぶやきながら、ポロポロと涙をこぼした。    
「……あなたと一緒にいることを選んで、オレは間違っていなかったですね…」  
「ルカ……」  
「だから………二度とオレのためだといって、突然いなくならないで」  
「……どうして?そんなこと…」
 タカシは思わずビクリとする。さきほど呟いた自分の言葉を、彼は目覚めて聞いていたのではないだろうか、と。    
「……夢のなかで、あなたが突然いなくなってしまうことになっていたんです。でもオレは、あなたには死ぬまでずっと一緒に居て欲しい!!」
 ルカは掛け布団から腕を延ばし、タカシの顔を引き寄せた。  
「……あなたはまだ、オレのことをわかってくれていないのですか?」  
 悲しげに見つめながら、ルカはガーゼが当てられた頬を、そのままタカシに摺り寄せながらキスをする。苦痛で顔を歪めながらも、自分へのキスを止めようとしないルカを、タカシは抱きしめたい衝動で突き動かされるが、敢てそれを堪えた。  
「………ダメだよ、ルカ。傷に障る」  
 それでも、無理やり離れ、彼を宥めようとしたが、ルカは今度はタカシの腕を引き、ベッドへと引きずり込んだ。  
「…待って、ルカ。無理だって…」  
「…オレを愛してください!!」  
「……傷を治さなきゃダメだよ、ルカ」  
「いやだ、そんなの、待てませんから」  
 包帯を巻いたルカの指先が、タカシのズボンのジッパーを捕らえ、せっかちに下ろそうとする。
「……ルカ」
「何処にも行かないって言ってください。もう離れ離れになるのは、二度とご免です」
「そんなの………オレだって」   
 焼け焦げるような情熱をもてあまし、いつも身体を繋げてきた。引き裂かれる痛みに負けるくらいなら、一緒に傷つくのも悪くない……。   
 ルカはタカシと共に生きることを決めた日から、あらゆる障害は覚悟の上だったのだ。こんなに固く抱き合っているのに、涙が止まらないのは何故だろう……。苦しそうに息をするルカの身体を抱きながら、タカシは優しく腰を運び、自身が彼の内部でその温かな感覚を味わっていく。そして一方の手で、ルカ自身を何度も慈しんで包みこむ。
 脈を打つようにその快感を肌に伝えてくる彼に、静かに微笑を浮かべたタカシは、さらに彼を優しくその手の中で追い込んでいく……。  
「あああっ………タカシ………タカシさん……も……っと……オレに…」  
「ああ、わかってる、ルカ。アンタをどう抱けば、悩ましくその身体をさらに開いてくれるのか、ちゃんと………わかってるよ………」 
 ぬれそぼる唇を何度も重ねあい、指と指を絡ませてタカシはルカの身体をベッドに抑えこむ。それはまるで、ピンで留められた昆虫標本の蝶のようだった。羽を広げ、その身の美しさを誇示するがごとく、ルカの肌は赤く染まりながら汗ばんでいた。
 ひたひたと肌を打ち合い、愛の行為に没頭することだけで今まで過ごしてきた時間も、憂いも、苦しみも、痛みも忘れることができた。  
「きれいだよ、ルカ……陶器のようにいつ見てもきれいな肌だよ……。なのに、オレのせいでいつも傷つけられていく……。オレは……アンタを不幸にするんじゃないかって、いつも悩んでしまう」  
 彼の男性と、己の性で、狂わしげに甘く呻く彼を自分のものとして。  
「……傷、痛む?」

 ルカはいつも、無茶ばかり……。

 息をかすかに上げながら、タカシは甘い痺れでルカと繋がり、何度も押し寄せてくる快感に身体を撓らせた。 
「……平気です。傷なんて、どうでもよくなるくらい…」   
 その先は恥ずかしかったのだろう。ルカは行為に溺れそうだとは言えなかった。  
「……なんかいつも、大抵傷を負ってはセックスしてる…」  
 耳元でそう囁いたタカシに、ルカは顔を真っ赤にさせた。  
「……そんなふうに言わないでください」  

 恥ずかしいです。 

 顔を背けたルカに構わず、タカシは彼を追い求めた。     
「ん…………」  
 息が止まりそうなほどキスをして、何度も二人で繋がりながら、くたくたになるほど果てるのを繰り返した。

 間違ってないんだと思います。

 ルカの身体の上で重なったまま、タカシは深い眠りにつこうとしていた。その間際に聞いたルカの言葉に、とても救われたような気がしていた。 

 ねぇ、ルカ……。オレがまた離れていきそうになったら、アンタ、叱ってくれる?


 ねぇ…


 
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