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第八章 Fallen Angel
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都会のビルの狭間に建つ、レトロモダンなマンションの一室に上杉タカシと山口瑠歌は住んでいた。9to5のサラリーマンたちとは生活のリズムも異なる二人だが、タカシは音楽と酒と癒しを、ルカは地域医療に携わりながら、ささやかに、幸せに暮らしている。
「んー……。ルカ?もう起きたの」
自分の隣りで眠っているはずの恋人を抱こうと腕を延ばし、虚しくシーツの上だけを滑った自分の手の感触で、タカシはルカが既に起床したことを知る。
「ああ、おはようございます、タカシさん。ゆうべも遅かったでしょう?未だゆっくり眠ってていいですよ?」
素肌の上にシャツを羽織っただけのルカがベッドサイドに立てば、タカシは確信を持って彼の腕を引っ張り、ベッドへと引きずり込もうとする。
「ちょっと!……もうタカシさん!」
ルカは笑いながらも、タカシを叱る。
「これではクリニックに時間通りに入れないでしょう?」
そうなのだ。ルカは優秀な眼科医だ。自分のせいで、彼の評判が落ちるようなことになってはいけない。タカシは朝から愛しいルカの姿に激しい衝動を感じながらも、大切な恋人のためにそっと手を離す。
「最近帰りが遅いでしょう?タカシさんも寝不足ですよね」
ルカはさりげなくタカシの体調を気にかける。
「大丈夫。こう見えてもオレ、寝溜めが出来るほうなのよ。実はもうすぐ、うちの店が三周年を迎えるから、新しいカクテルとか試作してて…」
「え?それはお祝いしなくては!」
タカシの店、BAR Lucasが三周年と聞き、ルカは我が事のように喜んだ。
「…オレがドイツから帰って一年半ですから…タカシさんもすっかりマスターなんですね」
「なぁにその笑い。BARのマスターは似合ってない?」
タカシはわざと機嫌を悪く装い、ベッドから突然飛び起きる。
「そーゆー、意地悪サンはオレが食べちゃう!」
幼稚園児さながらにおどけながら、タカシはルカに抱きつき、肌の感触と自分だけが感じることの出来る彼の匂いに満たされる。抱きしめていないと、怖くなる。人を愛すると、こんなに弱くなってしまうものなんだろうか、とタカシはいつも思う。
「あの…オレ、是非お祝いしたいのでタカシさん、何か欲しいものとかないですか?」
タカシに抱きしめられながら、ルカは嬉しそうに尋ねてくる。
「欲しいもの?それは山口瑠歌ってひとを1名…」
「もう!真面目に答えてくださいよ」
「そんなこと言ったって…今は幸せだし、何も欲しいものなんて、ないし」
タカシは困ったように眉を下げる。
「んー、強いて言えば、NYにいた時みたいにさ、ピアノに没頭できる場所とかあったらいいな、とは思うけど」
この界隈じゃ無理でしょう?現実的に笑うタカシに、ルカだけは大真面目に頷いた。
「はい、それ、参考にさせて頂きますね」
「…ルカは気持ちだけで十分なんだから」
ストレートに受け止めるルカに対して、タカシはかえって慌てた。
「ふふ、オレ、タカシさんに喜ばれるようなプレゼント、頑張って叶えますからね」
“山口クリニック”の診療時間を終えた後、ルカはとある場所へと向かっていた。向かった先は、この界隈から少し離れた場所にある、雑居ビルのなかのスタジオである。
「…たしか、この辺りだったと思うんだが」
ルカはスマートフォンを取り出し、目的地となるスタジオに架電する。
“………へーい、こちらスタジオ・ブルー”
携帯のスピーカーから聞こえてきたのは、ルカにとっては旧知の仲である、大学時代の先輩、福士 良の声であった。
「お久しぶりです、福士先輩。オレです、ルカです!」
“……ん?ルカぁ?………うっそ?マジかよ、あのルカ?久しぶりだなぁ…。お前、噂ではドイツに行ったって聞いてたぞ??”
「あの……実はワケあって、あっちの病院を辞めて日本に戻って来ていたんです」
ルカは以前、大学時代にクラッシック音楽の同好会に所属していた。その時の縁で知り合ったのが、この福士である。
「…ところで福士先輩こそ、相変わらず音楽に携わってるんですか?」
“まぁーな。大した金になるわけじゃねーけどな。死んだ親父の遺してくれたピアノとこのスタジオは、今となっちゃ、オレのライフワークなワケよ”
福士の父はかつて、著名なピアニストであった。自宅とは別にスタジオを持ち、そこにヨーロッパの一流グランドピアノを置き、演奏会の合間には篭ってレッスンの場にしていたのだという。
そんなスタジオとピアノも、今は主が亡き後、音楽やピアノを愛する者にだけに、という条件で、息子の良が管理し、貸しスタジオになっていたのだ。
“で、久しぶりだけど何か用か?”
「はい………実は……」
ルカは良にスタジオとグランドピアノを一年間貸してくれるように、と交渉を始めた。
“………おいおい?一年って…結構馬鹿にならないぞ?まぁ、後輩のお前だし、一般に貸すよりかは安く貸してやるつもりだが、維持費やら、保険やらあるからなぁ…”
「お願いします。費用なら幾らでも可能な限り出します。ですから…」
“まぁ……そうまで言うなら。で、今、近くまで来てるンなら、そこから1分もかからないから、一度来てみてから考えてもいいだろう?”
「はい」
熱心なルカの言葉に、良も前向きに応じてくれる様子である。ルカは聞いた道順のとおり、彼のスタジオを訪ねるのだった。
*****************
当初はルカの申し出を軽く見ていた良であったが、ルカと久しぶりに再会し、スタジオで熱心にピアノを見入る彼に何かしら熱い思いを感じ、ルカにスタジオの鍵を差し出した。
「…お前の熱意にはただならぬ何かを感じるな。わかったよ。好きなだけココを使うといい」
本当に音楽やピアノを愛する人間に使ってもらえるんなら、死んだ親父も喜んでくれるだろうしな。
スタジオの鍵がルカの手のひらに載ったとき、彼はその重さに深く感動し、力をこめてそれを握りしめる。
「有難うございます福士先輩」
「いいってことよ。ま、延長したくなったら、遠慮なく言ってくれ。必要なくなったらまた、鍵さえ返してくれたらいい…」
「はい!有難うございます!本当に感謝します」
良からスタジオの鍵を受け取り、ルカは足取り軽く、まるで羽が生えたかのようにはしゃいでしまいそうだった。
……これで…これでタカシさんに最高のプレゼントをすることが出来る!!
ルカは歩きながらふと、何かを思い立ち、右手でポケットを探った。
「そうそう。これを付けて渡さないとな」
それはつい先ほど、露天商が開いていた皮製品の店でたまたま購入した、ネームタグだった。片言の日本語を操る外国人らしい露天商人に、ルカはその皮製のネームタグに“for takashi”と細工用の焼きコテで刻印するように頼んだのだ。
「いい具合にあんな店があってよかった…」
ルカはそのタグを見て、素朴な出来に満足している。あと数十メートルでタカシの店に辿り着く。彼の脳裏に浮かぶのは、タカシの喜ぶ顔。
そんなときだった。
「……ホールド・アップね?あんた」
突然、ルカは片言の日本語を話す数人の男たちに路地へと引きずり込まれた。
「…………!!」
腰には、銃口らしきものが突きつけられている。
……なんだ?何が起きてる?
突然の出来事に、ルカは混乱する。
「あんたは逆らうと、ロクなことないね」
さきほどから、東洋人らしき人物が、一人だけルカに命令をしている。
「……オレを……どうするつもりです?」
きっと、何か人違いのトラブルに違いない。ルカはちゃんと話しあえば、解放してもらえると信じた。
「オレはこの近くで眼科のクリニックにいる医師です。あなた方は、誰かと人違いされていませんか?」
「No!人違いじゃないね。あんたは人質。悪いのは、タカシと堺谷ね」
………なんだって!?
ルカは思わず息を飲む。以前だったが、タカシがこんなことを言っていた。
≪最近さぁ…土地が高騰してンの。そのせいでさ、ルーカスを売れって、地上げ屋がよく来るんだよね…≫
≪地上げ屋ですか…≫
≪そ。ま、ココは堺谷サンから貰った店だし、そう簡単に売るつもりなんてないんだけどさ。連中にしてみたら、ここは数百億の価値があるらしくって≫
≪数百億!?そんなに??≫
≪でしょう?自分でいうのもなんだけど、あんなオンボロな店にそんな価値があるなんて思わなかったもの。で、マフィアも絡んでるみたいでさ≫
≪そんな……!気をつけてくださいね、タカシさん≫
≪ははは、そうするよ≫
****************
つい最近、そんな会話をしたばかりだったというのに、自分は失念していたのだ。ならば今、自分を捕らえている連中はその一味というわけか?
「…オレを捕まえて、どうするつもりなんですか?」
後ろ手にロープで何重もきつく縛られながら、ルカは話が出来そうな東洋人に声をかける。
「あんたを使って、タカシと話が出来るようにするだけ」
「……それは無理です!」
「そんなこと、ないね。タカシ、あんたに惚れてる。あんたを殺すいえば、タカシ、言うこときくね」
「……………っ」
やはり、そういうことか。
ルカは今、拘束された自身を呪った。
ごめんなさい………タカシさん。
その頃、Bar Lucasでは、タカシがカウンターでシェイカーを振りながら、なんとなく落ち着かない様子でいた。店内は常連たちで溢れ、バイトに雇っている鳴海や佐屋たちもなかなか手が空かない状態が続いていた。
遅い……。
時間は10時を過ぎていた。
≪今夜は早くタカシさんのお店に伺えると思いますよ≫
ルカは今朝、そんなふうに自分に言っていた。
「おい、鳴海!悪いけど、ちょっと店番頼むね…」
タカシはオーダーに一区切りがつくと、カウンターの天板を跳ね上げ、店の出口に向かいながら留守番を頼む。
「あー!またさぼるつもりか?三周年のイベントぐらい、ちゃんと仕切ってくれって!」
口を尖らせる鳴海を無視したまま、タカシは建て付けの悪い、古びたドアを開けて出て行った。そのまま数十メートル歩いたとき、タカシは革靴のつま先で、何か堅いものを踏みつけていた。
「ん?…………なんだろ、これ?」
屈んで拾いあげると、皮のタグが付いた、鍵だった。タグは見るからに新しく、皮の匂いさえまだ持ち主を定めていないかのようだった。
「…………“for takashi”………タカシへ?」
その文字の刻印を見た途端、彼は言い知れぬ胸騒ぎを覚えた。
「ルカっ?いるのか?いたら返事してくれ!!」
辺りを探しながら、近くの路地を覗いて回った。
すると路地を少し入った行き止まりの壁に、服のようなものが、奇妙に両腕を広げたように貼り付けられていた。それを目の当たりにした瞬間、タカシの顔が瞬時に青ざめる。
「…………………っ!!」
それはルカが、今朝出かけるときに着ていたシャツだったのだ。
「ルカっ………」
タカシは駆け寄り、壁に貼り付けてあった服を剥ぎ取った。間違いない。それはルカのシャツだ。彼が服を握り締めると、カサカサと紙の音がした。タカシは慌ててルカのシャツのポケットを探った。すると、なかには脅迫状らしきものが入っていたのだ。
“お前の大事な男を預かっている。返して欲しければ、三丁目の≪蛇≫のオフィスへ来い”
くそっ………!!
怒りで血が逆流するようだった。タカシは既に弾かれるように指定された場所へと、駆け出していた…。深夜の歓楽街は、怒号と騒音で、彼の気配さえも飲み込んでいくようだった。
「んー……。ルカ?もう起きたの」
自分の隣りで眠っているはずの恋人を抱こうと腕を延ばし、虚しくシーツの上だけを滑った自分の手の感触で、タカシはルカが既に起床したことを知る。
「ああ、おはようございます、タカシさん。ゆうべも遅かったでしょう?未だゆっくり眠ってていいですよ?」
素肌の上にシャツを羽織っただけのルカがベッドサイドに立てば、タカシは確信を持って彼の腕を引っ張り、ベッドへと引きずり込もうとする。
「ちょっと!……もうタカシさん!」
ルカは笑いながらも、タカシを叱る。
「これではクリニックに時間通りに入れないでしょう?」
そうなのだ。ルカは優秀な眼科医だ。自分のせいで、彼の評判が落ちるようなことになってはいけない。タカシは朝から愛しいルカの姿に激しい衝動を感じながらも、大切な恋人のためにそっと手を離す。
「最近帰りが遅いでしょう?タカシさんも寝不足ですよね」
ルカはさりげなくタカシの体調を気にかける。
「大丈夫。こう見えてもオレ、寝溜めが出来るほうなのよ。実はもうすぐ、うちの店が三周年を迎えるから、新しいカクテルとか試作してて…」
「え?それはお祝いしなくては!」
タカシの店、BAR Lucasが三周年と聞き、ルカは我が事のように喜んだ。
「…オレがドイツから帰って一年半ですから…タカシさんもすっかりマスターなんですね」
「なぁにその笑い。BARのマスターは似合ってない?」
タカシはわざと機嫌を悪く装い、ベッドから突然飛び起きる。
「そーゆー、意地悪サンはオレが食べちゃう!」
幼稚園児さながらにおどけながら、タカシはルカに抱きつき、肌の感触と自分だけが感じることの出来る彼の匂いに満たされる。抱きしめていないと、怖くなる。人を愛すると、こんなに弱くなってしまうものなんだろうか、とタカシはいつも思う。
「あの…オレ、是非お祝いしたいのでタカシさん、何か欲しいものとかないですか?」
タカシに抱きしめられながら、ルカは嬉しそうに尋ねてくる。
「欲しいもの?それは山口瑠歌ってひとを1名…」
「もう!真面目に答えてくださいよ」
「そんなこと言ったって…今は幸せだし、何も欲しいものなんて、ないし」
タカシは困ったように眉を下げる。
「んー、強いて言えば、NYにいた時みたいにさ、ピアノに没頭できる場所とかあったらいいな、とは思うけど」
この界隈じゃ無理でしょう?現実的に笑うタカシに、ルカだけは大真面目に頷いた。
「はい、それ、参考にさせて頂きますね」
「…ルカは気持ちだけで十分なんだから」
ストレートに受け止めるルカに対して、タカシはかえって慌てた。
「ふふ、オレ、タカシさんに喜ばれるようなプレゼント、頑張って叶えますからね」
“山口クリニック”の診療時間を終えた後、ルカはとある場所へと向かっていた。向かった先は、この界隈から少し離れた場所にある、雑居ビルのなかのスタジオである。
「…たしか、この辺りだったと思うんだが」
ルカはスマートフォンを取り出し、目的地となるスタジオに架電する。
“………へーい、こちらスタジオ・ブルー”
携帯のスピーカーから聞こえてきたのは、ルカにとっては旧知の仲である、大学時代の先輩、福士 良の声であった。
「お久しぶりです、福士先輩。オレです、ルカです!」
“……ん?ルカぁ?………うっそ?マジかよ、あのルカ?久しぶりだなぁ…。お前、噂ではドイツに行ったって聞いてたぞ??”
「あの……実はワケあって、あっちの病院を辞めて日本に戻って来ていたんです」
ルカは以前、大学時代にクラッシック音楽の同好会に所属していた。その時の縁で知り合ったのが、この福士である。
「…ところで福士先輩こそ、相変わらず音楽に携わってるんですか?」
“まぁーな。大した金になるわけじゃねーけどな。死んだ親父の遺してくれたピアノとこのスタジオは、今となっちゃ、オレのライフワークなワケよ”
福士の父はかつて、著名なピアニストであった。自宅とは別にスタジオを持ち、そこにヨーロッパの一流グランドピアノを置き、演奏会の合間には篭ってレッスンの場にしていたのだという。
そんなスタジオとピアノも、今は主が亡き後、音楽やピアノを愛する者にだけに、という条件で、息子の良が管理し、貸しスタジオになっていたのだ。
“で、久しぶりだけど何か用か?”
「はい………実は……」
ルカは良にスタジオとグランドピアノを一年間貸してくれるように、と交渉を始めた。
“………おいおい?一年って…結構馬鹿にならないぞ?まぁ、後輩のお前だし、一般に貸すよりかは安く貸してやるつもりだが、維持費やら、保険やらあるからなぁ…”
「お願いします。費用なら幾らでも可能な限り出します。ですから…」
“まぁ……そうまで言うなら。で、今、近くまで来てるンなら、そこから1分もかからないから、一度来てみてから考えてもいいだろう?”
「はい」
熱心なルカの言葉に、良も前向きに応じてくれる様子である。ルカは聞いた道順のとおり、彼のスタジオを訪ねるのだった。
*****************
当初はルカの申し出を軽く見ていた良であったが、ルカと久しぶりに再会し、スタジオで熱心にピアノを見入る彼に何かしら熱い思いを感じ、ルカにスタジオの鍵を差し出した。
「…お前の熱意にはただならぬ何かを感じるな。わかったよ。好きなだけココを使うといい」
本当に音楽やピアノを愛する人間に使ってもらえるんなら、死んだ親父も喜んでくれるだろうしな。
スタジオの鍵がルカの手のひらに載ったとき、彼はその重さに深く感動し、力をこめてそれを握りしめる。
「有難うございます福士先輩」
「いいってことよ。ま、延長したくなったら、遠慮なく言ってくれ。必要なくなったらまた、鍵さえ返してくれたらいい…」
「はい!有難うございます!本当に感謝します」
良からスタジオの鍵を受け取り、ルカは足取り軽く、まるで羽が生えたかのようにはしゃいでしまいそうだった。
……これで…これでタカシさんに最高のプレゼントをすることが出来る!!
ルカは歩きながらふと、何かを思い立ち、右手でポケットを探った。
「そうそう。これを付けて渡さないとな」
それはつい先ほど、露天商が開いていた皮製品の店でたまたま購入した、ネームタグだった。片言の日本語を操る外国人らしい露天商人に、ルカはその皮製のネームタグに“for takashi”と細工用の焼きコテで刻印するように頼んだのだ。
「いい具合にあんな店があってよかった…」
ルカはそのタグを見て、素朴な出来に満足している。あと数十メートルでタカシの店に辿り着く。彼の脳裏に浮かぶのは、タカシの喜ぶ顔。
そんなときだった。
「……ホールド・アップね?あんた」
突然、ルカは片言の日本語を話す数人の男たちに路地へと引きずり込まれた。
「…………!!」
腰には、銃口らしきものが突きつけられている。
……なんだ?何が起きてる?
突然の出来事に、ルカは混乱する。
「あんたは逆らうと、ロクなことないね」
さきほどから、東洋人らしき人物が、一人だけルカに命令をしている。
「……オレを……どうするつもりです?」
きっと、何か人違いのトラブルに違いない。ルカはちゃんと話しあえば、解放してもらえると信じた。
「オレはこの近くで眼科のクリニックにいる医師です。あなた方は、誰かと人違いされていませんか?」
「No!人違いじゃないね。あんたは人質。悪いのは、タカシと堺谷ね」
………なんだって!?
ルカは思わず息を飲む。以前だったが、タカシがこんなことを言っていた。
≪最近さぁ…土地が高騰してンの。そのせいでさ、ルーカスを売れって、地上げ屋がよく来るんだよね…≫
≪地上げ屋ですか…≫
≪そ。ま、ココは堺谷サンから貰った店だし、そう簡単に売るつもりなんてないんだけどさ。連中にしてみたら、ここは数百億の価値があるらしくって≫
≪数百億!?そんなに??≫
≪でしょう?自分でいうのもなんだけど、あんなオンボロな店にそんな価値があるなんて思わなかったもの。で、マフィアも絡んでるみたいでさ≫
≪そんな……!気をつけてくださいね、タカシさん≫
≪ははは、そうするよ≫
****************
つい最近、そんな会話をしたばかりだったというのに、自分は失念していたのだ。ならば今、自分を捕らえている連中はその一味というわけか?
「…オレを捕まえて、どうするつもりなんですか?」
後ろ手にロープで何重もきつく縛られながら、ルカは話が出来そうな東洋人に声をかける。
「あんたを使って、タカシと話が出来るようにするだけ」
「……それは無理です!」
「そんなこと、ないね。タカシ、あんたに惚れてる。あんたを殺すいえば、タカシ、言うこときくね」
「……………っ」
やはり、そういうことか。
ルカは今、拘束された自身を呪った。
ごめんなさい………タカシさん。
その頃、Bar Lucasでは、タカシがカウンターでシェイカーを振りながら、なんとなく落ち着かない様子でいた。店内は常連たちで溢れ、バイトに雇っている鳴海や佐屋たちもなかなか手が空かない状態が続いていた。
遅い……。
時間は10時を過ぎていた。
≪今夜は早くタカシさんのお店に伺えると思いますよ≫
ルカは今朝、そんなふうに自分に言っていた。
「おい、鳴海!悪いけど、ちょっと店番頼むね…」
タカシはオーダーに一区切りがつくと、カウンターの天板を跳ね上げ、店の出口に向かいながら留守番を頼む。
「あー!またさぼるつもりか?三周年のイベントぐらい、ちゃんと仕切ってくれって!」
口を尖らせる鳴海を無視したまま、タカシは建て付けの悪い、古びたドアを開けて出て行った。そのまま数十メートル歩いたとき、タカシは革靴のつま先で、何か堅いものを踏みつけていた。
「ん?…………なんだろ、これ?」
屈んで拾いあげると、皮のタグが付いた、鍵だった。タグは見るからに新しく、皮の匂いさえまだ持ち主を定めていないかのようだった。
「…………“for takashi”………タカシへ?」
その文字の刻印を見た途端、彼は言い知れぬ胸騒ぎを覚えた。
「ルカっ?いるのか?いたら返事してくれ!!」
辺りを探しながら、近くの路地を覗いて回った。
すると路地を少し入った行き止まりの壁に、服のようなものが、奇妙に両腕を広げたように貼り付けられていた。それを目の当たりにした瞬間、タカシの顔が瞬時に青ざめる。
「…………………っ!!」
それはルカが、今朝出かけるときに着ていたシャツだったのだ。
「ルカっ………」
タカシは駆け寄り、壁に貼り付けてあった服を剥ぎ取った。間違いない。それはルカのシャツだ。彼が服を握り締めると、カサカサと紙の音がした。タカシは慌ててルカのシャツのポケットを探った。すると、なかには脅迫状らしきものが入っていたのだ。
“お前の大事な男を預かっている。返して欲しければ、三丁目の≪蛇≫のオフィスへ来い”
くそっ………!!
怒りで血が逆流するようだった。タカシは既に弾かれるように指定された場所へと、駆け出していた…。深夜の歓楽街は、怒号と騒音で、彼の気配さえも飲み込んでいくようだった。
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