ある冬の朝

結城りえる

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第七章 ふたり

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 ロビーカフェを出たあと、武岡と笹本はホテルの敷地内にある、ガラス張りのイートインカフェに入った。こちらの雰囲気はカジュアルで先ほどのロビーカフェよりは若者受けするような店だった。
『あのさ、課長も武岡部長も…もっと二人でちゃんと話とかしなよ。オレはこのまま帰ります…』
 笹本に“何仕切ってんだよ、お前!”と苦笑いされながらも、慎太郎は彼らをふたりきりにして帰っていった。残された二人は改まると気恥ずかしかったのか、場所を変えることにしたのだ。
「オレさ、前にもイートインカフェこの店に来たことがあってさ」
 切り出したのは武岡の方だった。
「ここのコーヒーが美味いから支払いの時にどんな豆使ってるのか聞いてみたんだ」
 他愛もない話題を出しながらも、武岡は何処か嬉しそうに見える。そんな彼に頷きながらも、笹本も頬が緩む。
「で?教えてくれるのかー?ムリだろ」
「だな。“先日ブレンド変えたのわかります?”って気付いたことに礼を言われたっけ」
「で?お前はコーヒーでいいのか?縁談ぶち壊したお詫びに奢ってやる」
「へぇー。智之優しいじゃん」
「ついでにこの“たまごサンド”っていうのも食おうぜ。白コッペにむちゃくちゃ卵入ってそうだな」
 二人はまるで子供の頃に戻ったようにはしゃいでいる。大の大人がおかしな話だが、今の二人の気持ちはふわふわとした幸福感のせいで互いにどう接してよいのかわからなかったのだ。
「なぁ…智之。実をいうとオレは今、凄く有頂天になっていて、どうしていいかわからないんだ」
 二十年近く想い続けた人が今、目の前にいてその想いが実を結んだことが未だに信じられずにいる。
「バカっ!せっかく気にしないでいようと思っていたのに、シゲのせいで思い出しちまった…。今更だろう?そういうの」
 ちょうどよいタイミングでオーダーしたコーヒーとたまごサンドが二人分運ばれてくる。運んでくれたウェイターがテーブルから離れていったタイミングで武岡が再び口を開いた。
「……シンプルなたまごサンドが、オレにとってこの先、最高のごちそうになる気がするよ。お前がオレを好きでいてくれることは、それだけで奇跡だから」
 しみじみとした口調の武岡を見つめながら、茶化そうとしていた笹本は真剣な顔に戻った。
「オレは……お前の幸せだけが生き甲斐みたいなもんだった。彼女がいるっていうのも、嘘だった。オレと一緒にいつもいたら、お前に迷惑がかかるような気がしていた。シゲは、雲の上にいなきゃいけないんだよ。なのに…バカだろ、お前?」
「おッ!このたまごサンド、本当に美味いぞ!?」
「こらっ!聞いてるのか、シゲ?」
「……聞いてるよ。ほら、智之も食べてみろって!」
 武岡は笹本のたまごサンドを千切り、彼の口に押し込んでやる。
「………ん?なんだこれ!!めちゃくちゃ美味いぞ?」
 ボリュームのあるゆで卵ペーストが笹本の口元にべったりと付き、その様子は子供のようだ。
「オレがバカだって証拠を見せてやる」
 それは不意打ちだった。テーブルを挟み、半身を前に乗り出したまま、静かな刻が続く。武岡が笹本にキスをしたのは二度目であったが、本人公認のキスは、たまごサンドの味がしていた。
 

 その頃、慎太郎は帰りの電車に揺られ、武岡と笹本のことを考えていた。
口惜しさは残るが、あの二人はとてもお似合いだと思った。まさか笹本が土壇場で本当に武岡への想いを告白するなどとは、本人に突撃する予定だと明かされていたとしても、信じることが出来なかったからだ。
「ポンコツがっちりノッポもやるときはやるんだな…」
 そんな自分に向けられた告白を目の当たりにした武岡のあのときの顔が驚きと奇跡を噛み締めているような、晴れやかな表情だった。
「あんなに想っていた相手に告白されたんだから、部長も嬉しかったんだろうな」
 二人はこのまま結ばれてくれるはず。そう思うと何故か慎太郎もとても嬉しくなった。結局、自分は武岡に惹かれつつも、笹本のこともどこか憎めずにいたのだと思った。
「……けど、オレ、会社クビになんないかなぁ…?マジでヤバい気がしてきた」
 二人の将来を心配する前に、自分の身の振り方を考えておかないといけない状況になりつつある。社長であり、武岡の父である謙一郎は、大切な縁談の場を派手にブチ壊して会社に泥を塗るようなことをした自分たちを、けっして赦しはしない気がするのだ。
「オレ、入ったばかりだったのにもう転職なのか?洒落にならないじゃん」
 慎太郎は思う。まさか自分がこんな大胆な行動に手を貸すことになるとは思いもよらなかった、と。だからこそ、ふたりには必ず幸せになってもらいたい。そう願わずにはいられなかった。


 武岡と笹本は今、縁談で一悶着あった当該ホテルのエグゼクティブフロアーの一室にいた。イートインカフェからガーデンテラスを散策した後、落ち着く場所に移動したのだ。
「実はな、智之。縁談が壊れたら、ここに篭城するつもりで部屋を取っておいたんだ」
 テラスから臨むレインボーブリッジを眺めながら、武岡は手にしたカードキーを見せた。
「……お前、バカじゃなくてガキだったというオチかよ?」
 笹本は笑いながら彼の腕を肘で突いた。
「適当な理由を見つけて、なんとしても逃げたかったからな。けれど、いざとなったら、そうもういかないのかと思って。なんていうか、オレはやっぱり会社の為に生きなきゃならないのかも、と思えてさ。ギリギリまで悩んでいた」
「まぁ…オレも似たようなものかな。お前のこと、好きだけど諦めかけてた。なのに焚き付けてきたのが、浅野だ」
「そっか…。彼が助けてくれたか。恩に着る。ところで唐突だが、智之、オレのこと、本当に好きでいてくれるのか?」
 急に真剣な顔になった武岡に向き合うようにして、笹本は応える。
「……バーロー、今更何いってんだ。おかげでオレは会社をクビになるかもわからんのだ。冗談なワケねーだろ」
「そっか…。ならば、覚悟を決めて、オレのものになれ」
「あァ?生意気言いやがって!政略結婚から助けてやった恩を忘れるなよ?」
 ゆっくりと上昇してゆく優雅なエレベーターに導かれ、そんな経緯で二人はエグゼクティブフロアーの回廊を歩き「なぁ、シゲ、聞いていいか!」
「なんだ?」
「わ、笑わずに聞けよ?お、オレはこういうこともあろうかと思ってだな、その手のビデオとか観たりしてだな…」
  笹本は武岡の目を直視することが出来なかった。自分の好きな相手は男だ。だったら男同士が愛情を伝えあうには、知らなくてはならないことだと思ったという。
「…おまえ、可愛いなぁ」
  武岡は思わず彼を抱きしめてキスをし、一緒にベッドに倒れこんだ。
「お前、オレが怖いんじゃないのか?だったら、無理矢理しなくたって良いんだぞ?」
「こら、シゲ!さっき言ってたことと違う」
「だな。オレはお前を自分のものにしたかった」
「だったら…遠慮するな」
「オレは智之の気持ちが大事だからな」
 昔は、あんなにヒョロヒョロして、小さくて、泣いてばかりいたのに、いつの間にかオレより大きくなっていた。
身長の高さを自慢していたのはいつだっけ?高校の時か?腹が立つくらい、バレンタインの日にはチョコレートを女子から貰っていたからな。なんか、色々悔しくてオレは代わりに半分食ってやった。モテるシゲが羨ましかったんじゃない。今ならわかる。オレはアイツに、女子を近付けたくなかった。それだけ、余裕のない恋をしていた。叶いっこない恋だと思ってた。
 武岡にうなじにキスをされながら下半身に与えられる愛撫は、笹本を心地良さで震えさせた。
(オレがもしシゲを抱こうとしたら、やっぱりどうやったらいいか悩んじまうかも…)
 笹本は昔の武岡の姿を思い浮かべ、眼を閉じて横たわり、彼の頭髪を子供のように撫でる。武岡を長年助けて支えてきたつもりだったが、実は自分も何処かで守られてきていたのだと気付いていた。
 腕立て伏せ100回を唯一のルーティンにしているだけあって、上腕の逞しさは武岡にも負けていない。そんな腕で彼は武岡を引き寄せるように彼の背に腕をまわした。
「お前にハグされるのって、いつも心地よかったんだよな…。幼稚園の頃に“大丈夫だから”って言われてからずっと…」
 10cm上の距離から見つめてくる武岡は、くやしい位に色っぽくてハンサムだと思う。
「……股間を撫でながら言うセリフじゃねーよ、シゲ」
 恥ずかしくなってつい悪態をついてしまった。いわゆる、ムードぶち壊しというやつ。
「ふふ…余裕だな、智之。そうじゃなきゃオレたちはこれから“ふたり”で試練の大海原に放り出されるわけだし」
 武岡の指先が急にせわしなく笹本の性を扱き始めると、あっという間に彼の表情が一変する。
「や……ヤバいって…」
「やめるわけないよ、智之。いたずらでこんなことするか」
 強い口調のわりには武岡の口元に微笑が浮かぶ。
「あっ……ん」
 仰け反って声を上げた笹本を見ながら、武岡の頬に赤みが差す。彼のうなじから胸にかけてのラインが、呼吸をするたびに上下している。その胸筋の間を一筋の汗が伝ってゆっくりと流れるさまがやけに生々しく映った。動物学的にはオス同士。それでも魅了される性的な光景。
「智之……凄くエッチ」
「…バカヤロウ、どっちがだよ…」
「ははは…言えてる」
「……そう思うなら煽るな。お前の囁きはいちいち下半身に響く」
「そうか、ならお詫びのしるしを…」
 武岡は体をさらに下に移動させると、笹本のそそり立つ茎に舌を這わせ始めた。その行動に笹本が飛び上がりそうな勢いで反応する。
「シ…シゲ!そんなことするなっ…やめ…」
「可愛いよ、智之。初めて舐めさせてもらえた」
「バカっ……お前調子に乗りすぎだろ!汚ないって…」
「さっきシャワー浴びたの、忘れたのか?汚くない。このキャンディーは舐めるたびに堅くなる。アイスは溶けるのに」
 笹本はシーツを握りしめながら武岡の舌の動きに懸命に耐えた。なんて卑猥な光景だろう。自分の性を想う相手に猫のように舌で弄ばれている。
「もう……ダメ……シゲ……出ちゃう…はぅ…」
 目尻に涙を浮かべ笹本が訴えると、武岡は微笑んだままさらに手を動かしながら彼の亀頭を舌で弄り続けた。
(……同じ男だとタチが悪い……を知り尽くしてるせいで)
 笹本は恨めしそうに心で呟いた。ドクン……と心の性器が欲望を吐露する。
「イクーーーっあああ」
 その瞬間に安堵にも似たような笑みで武岡は笹本を見守る。自分の愛撫で想う相手が達するところを見届けることが出来ることに不思議な幸福感を感じていた。
「智之……かわいい…。お前を食べたい…。」
「……シゲ…に見られた……カッコ悪ぃ…」
「智之もそろそろ諦めろ。オレなんてお前に何度鼻水垂らして大泣きした顔を見られたことやら」
  武岡は自虐ネタを語るように遠い目をする。
「それはお前がいじめられてたガキの頃の話だろ?あれは可愛いから良いんだよっ」
「可愛いで許されるなら、オレも同じだぞ。智之だから可愛い」
「可愛いとか言うな、バカ」
「ホントの事だ。お前はオレにとって可愛いくてたまらん」
  武岡はそう言い放つと、笹本に優しくキスをした。笹本は思う。コイツはホントにズルい。優しくてイケメンで、何よりもオレを好きだと言う。
「…たった今から恥ずかしい、はナシだ!」
  笹本は自分に言い聞かせるように言った。
「お前はホントに可愛いよ、智之。大好きだよ。ところで相談なんだが…」
  武岡は申し訳なさそうに苦笑する。
「お前の相談はろくなことが無いが、しょうがないから聞いてやる!」
「智之なら解ってくれると思ってたよ。お前を見てたらオレもさすがに限界なんだよな」
「げ!ちょっと…それは無理だろ?嘘だろ?」
  ジリジリと迫り来る武岡の下半身に釘付けになりながら、笹本は冷や汗をかきながら逃げ腰になった。尋常じゃない大きさで、アレがあれなのか?と。
「シゲ、お前のデカ過ぎだろ?オレには…無理な気がする」
「大丈夫だよ、智之。優しくするから」
「ちょ…ちょっと待て!まだ心の準備がだな…」
「なんだよそれ?準備なんてSEXしながらでも出来る」
  笹本はなんとか自分に迫る危機を回避するべく知恵を絞った。知識としては自分はかなり学習したつもりだ。だが、サイズによる例外については考えもしなかった。参考に出来るものとして、手っ取り早かったのは、「自分のもの」だ。自分自身は粗末な大きさじゃないと思っている。けれども「武岡のもの」は明らかに自分のそれ以上に大き過ぎた。
「ちょ…シゲ、何をしてる??!」
「指なら痛くないだろ?智之の出したもので慣らせばいい。奥、気持ち良い?」
「んなわけあるか!…っあ、あっ」
  とある場所に武岡の指が届くと、笹本は無意識のうちに声が出てしまう。
「あっ…ま…て。だめ…何…あっあっ」
  身体の奥でもどかしい葛藤が起きている。
「オレの指の長さじゃなきゃ、ここまで良くならないかもよ、智之」
  武岡は憎らしくなるほどの微笑で彼を見つめてきた。
「こういうの、嫌いじゃないだろう?大好きなお前とやっと結ばれるんだ。絶対に傷つけるような抱き方はしたくない」
  その言葉は、武岡の本心だ。それが笹本にもよく解っている。
「シゲ、指はもういい。もういいから」
 言ってしまった言葉に妙な恥じらいを感じて、笹本は顔を背けた。
「……大好きだよ、智之」
 武岡は彼の胸に頰をすり寄せた。愛おしい、ただ想いはそれだけだった。
 そして彼は笹本の脚を掴み、その間に自分の身体を静かに沈めてゆく。照れ隠しに憎まれ口でも叩くつもりだったが、その静寂な儀式に笹本は目を閉じ、武岡を受け入れた。緩慢に動く腰の動きに不思議と嫌悪感は無かった。
「はぁ……シゲ…お前、縮んだ?」
「ひどいな、智之。傷つくだろ?」
「最悪なことを考えていたからな。死ぬほど痛いだろうと…あっ…奥…ヤバい」
「智之の顔、凄くエロい。なんだよ、そんな顔して煽らないでくれよ」
「あっあっ…そっちこそ、動くな。ふぁっ…」
 無我夢中で二人は戯れ続ける。均整のとれた艶やかな武岡の背中から臀部にかけての背骨のラインが、笹本にインサートする度に弓のようにしなる。
「なぁ、智之…」
「あっあっ…話し…かけんな」
「智之…締め付けるなよ…これでも、耐えてるんだから」
 人の気も知らず、苦笑する余裕のある彼が憎らしい。自分だけが翻弄されているのが悔しくなった笹本は、武岡の性を締め付けてやろうと骨盤底筋に力をこめる。
「あっ…智之っ…こらっ待てよっ!」
 笑いながら焦り顔に変わる武岡をざまぁみろと言わんばかりに下から見上げる。
「お漏らしするなよ~シゲ」
「権勢逆転のつもりか、智之」
 フッと笑い、武岡が真顔になった。
「智之…智之の中でイキたい…オレのでいっぱいにしたい…」
「コドモかよ、お前は…あっあっ…また…不意打ち」
「なぁ、智之、イキたい。一緒に…」
 武岡は笹本の茎を握り、誘うように扱き、それを眼下に眺めてるように腰を激しく打ちつける。
「あっあっ…」
「嘘みたい…お前と…こんな関係になれるなんて…智之……好きだよ…ずっと…繋がってたい」
「ああああっ!シゲ…っ…イク…お願いだから」
「愛してるよ、智之。これから…何万回とお前を」


 お前だけを、愛するから。

 二人は重なり合うように褥に横たわる。心も身体も結ばれ、幸せな時を刻む。
 絶対に離れないように。今、二人一緒に生きてゆくことを誓った。この先は困難ばかりになるだろう。華やかなはずだった未来も閉ざされ、奇異な目で見られて別の意味で注目を集めることになるかもしれない。

「「それでも、お前が選んでくれたことを後悔させない」」

 繋いだ手を握りしめ、二人は笑った。
  
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