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第4章 陰謀、逆襲、リバイバル

可愛さ余って憎さ百倍ですわ!

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 広場の歓声が大きくなる。レオンかミーアか、またはその両方が登場したのだろう。しかし外界の喧噪は、この静かな部屋にはあまりにも響いてこなかった。

 ヴェロニカの美しくしなやかな首を何度絞めたいと願ったことだろう。揺れる髪の間から覗く白いそれは、何度も何度も彼を誘惑した。その欲望を埋めるように、代替品を虐待することで耐えてきた。
 寸前で思いとどまってきたのは、それ以上に彼女と共に過ごす日々を望んできたからだ。二人でいれば、世界は完璧で他には何も必要ない。邪魔なものを全て排除して、永遠の楽園を手に入れるまで、あと少しだった。

 しかし、彼女は去ろうとしていた。狡猾な蛇にそそのかされ、彼女がその実をすっかり食べてしまう前に、なんとしても止めなければならない。本当はなにもかも手に入れた後に、こうしようと思っていた。だが仕方がない。計画にアクシデントはつきものだ。
 彼女が相応しいのは、自分の隣に他ならない。他の誰の側でも、その笑顔を見せるなんて、許せない。あの男の存在すら、即座に消し去ってやりたい。 

 首を絞める手に力を加える。
 ヴェロニカの大きな瞳からこぼれ落ちた涙が、彼の手に落ち、流れていく。

「大丈夫、もう少しで楽になるからね」

 愛を込めて、なるべく心配させないように声をかけた。ヴェロニカの手が彼の手を剥がそうともがく。力で敵うはずもないのに、なお生きようと手を伸ばす。

(ああ、やっぱり、君は最高だよ)

 その姿は、想像していたよりも遙かに彼を高揚させた。頬に流れたのは涙だ。胸が震え、感動を覚えたためだ。

 思い出す。誰にも理解されなかったあの頃を。

 病の床で母は愛を囁きながら死んだ。だから少年にとって死は愛だった。殺すことは、愛することに等しかった。それを唯一体現したのはヴェロニカだった。あの蝶を殺す事で、苦しみから解放したのだ。慈しむ、愛故に。
 蝶を握りつぶして悲しそうに微笑む彼女は、この世の何よりも美しかった。
 だから彼は虫やネズミを殺し続けた。殺すことは愛する事だ。いつしかそれは病理のようにつきまとい、逃れられぬ妄執を産んだ。死に、抗いがたく魅了されていた。

 幸せを願い美しく身を引くことが、愛であると彼女は言った。

「僕に言わせれば、それは敗北者の言い訳だ」

 手に入れられないものを諦める口上は、自分が逃げるためで、人を想う心では決してない。
 教えてあげなくては。本当の愛を。
 深部に入り込み、全てを奪い、二度と癒えない傷を残すことが真実の愛であると。
 
 ヴェロニカを愛していた。だからいつか、この手で殺さなくてはならないと思っていた。それが彼にできる最大限の愛だった。

 手に、さらに力を込める。彼女の抵抗は少しずつ弱まる。

 やがてその手がだらりと床に垂れ下がると同時に、彼女の体もまた力なく崩れ落ちる。その体が床に落ちてしまう前に優しく抱き留めると、そっと抱え、ソファーにゆっくりと横たえた。

「ヴェロニカ……」

 呼びかけても返事はない。
 ヴェロニカの濡れた睫毛はぴったりと閉じ、紅色だった頬は白い。

 ――ついに彼は、ヴェロニカの全てを手に入れた。

 しばらく彼女の顔を見つめていた彼は、しかしまだ満たされなかった。

(どうして? 君はようやく僕とひとつになれたのに)

 ヴェロニカのまだ温かい頬を撫でるが、やはり足りない。

(そうか……。君はあれを望んでいるんだね?)

 やがてのろのろと立ち上がると、戸棚からナイフを取り出した。

「人間を解体するのは初めてだから、上手くできるか分からないよ。でも、なるべく丁寧にするから、安心をして」

 いつか試そうと思っていたことではある。
 流石に人間の捌き方が書かれた本はなかったが、動物の解体方法をこと詳しく書かれたものはいくつも読み、研究をした。だから上手くやる自信はそれなりにあった。

 まずは血抜きだ。食べるにせよ、なんにせよ、血を抜かなくてはたちまち傷んでしまう。

 ゆっくりと、未だ彼の手の赤い跡が残る彼女の首に、冷たい刃をあてがう。しかし、それを引く前に手を止めた。
 
 ――ふと、何者かに見られている気配がした。
 この部屋には誰もいないはずだ。彼と彼女以外には。

 振り返ると、そこにあったのは鏡台だ。鏡の向こうで、金髪の美しい青年が静かにこちらを見つめる姿が見えた。

 あれは誰だ。
 誰だって?
 あれは僕だ。
 自分自身だ。

 “あなたは誰なの”と、ヴェロニカは問いかけた。

 鏡に映る自分は、そんな自分を見つめ返してくる。感情のない、無機質な瞳で。思わず目をそらす。

「どうしてこんなに……」

 彼は愛する人を手に入れ、完全な存在になったはずだ。夢にまで見た光景だ。にも関わらず――

「――虚しい」

 彼女と一つになった感慨など一つも沸かない。心にあるのは、以前よりも広がった空虚でしかない。

「どうして! ヴェロニカ、君は僕のものなのに!!」

 怒りのままにナイフを何度も突き刺した。中身が飛び、部屋中に散る。それでも自分の中にある、この空っぽの感情は少しも満たされはしない。

 ――――僕は誰だ。僕は誰だ。僕は誰だ。

 最後まで彼女の中にあったのは自分への拒絶だった。昔の彼女ならあり得ない。
 彼女はいつの間にか、知らない人間に変わってしまった。あんな風に、強い目をする人ではなかった。蛇がイブをそそのかし、その手に知恵を握らせた。知恵とは武器だ。今までの世界の誤りを、イブは知った。

 彼は叫んだ。涙はもはや感動ではない。
 魂の底から湧き上がるのは、どこへも行き場のない正体不明の滾る熱だ。


 ヴェロニカは一人逝った。青年だけを永遠に楽園に残したまま。


 と、窓の外でどよめきが起こる。歓声とはまた違う。ふらふらと近づいて見下ろすと、婚約式が始められた会場で、いるはずのない人物が見えた。

 ――シドニア・アルフォルト。

「どうしてシドニアが」

 彼にとって、シドニアはいつも目障りだった。理想の楽園を得るためには、権力と復讐に囚われたシドニアいずれは排除すべき邪魔者だ。
 あれやこやれやと指図をするシドニアに対して従順な犬を演じてきたが、今となっては必要ない。
 善人ではないが悪人にも染まりきれず、自分の器に納まりきらぬ大望を抱く愚かな男、それがシドニアだ。
 
 そのシドニアは今、笑ってしまうくらい愚かなことに、なんと国王に向けて拳銃を構えていた。

 此度の騒ぎ、シドニアを陰で始末した後、すべてカルロに罪を被せるつもりだった。それが彼が罪を最も被らないストーリーだ。
 すでにシドニアに最も近づける者に殺せと命じていたが、生き延びたのか。

「……しくじったのか、馬鹿な奴」

 シドニアがああして現れた以上、幕引きはアルベルト息子が行うのが最も相応しいだろう。裏切り者の父をやむなく殺した、愛国心あふれる哀れな息子。民衆は悲劇が好きだ。美しく悲しい物語は感激とともに受け入れられるだろう。

 ソファーに横たわったままのヴェロニカを見下ろすと、そっと髪をなで、その唇にキスをした。

「ごめんよ、行かなくちゃ。愚かな父を止めるのも、できのよい息子の役目だろう? また、後で会いにくるよ、待っててね、ヴェロニカ」

 青年は立ち上がると、鏡の前に立ち乱れた髪を直した。

「さあ、仕上げだ、アルベルト・アルフォルト」

 鏡に映るのは、他ならぬアルベルトその人だ。
 青年は再び公爵家嫡男の仮面を被ると婚約式が行われている広場へと足早に向かった。
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