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第3章 望郷、邂逅、アセンブル

二人は同志の友ですわ!

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「ブラットレイさん、ファーストネームはなんていうの?」

 ヴェロニカは座ったまま牢の中から見張りの赤毛に話しかけた。彼は直立不動で真正面を見ている。そこには壁しかないというのに。

「座ったら?」

 話しかけても無視だ。中尉と違い、この二等兵は冷静だった。おかまいなしにヴェロニカは話し続けた。

「あなた、家族はいるの? わたしはいるわ。父と妹が。あまり仲良くないけど」

 返事はないから、ほとんど独り言だった。

「ねえ、どうしてわたしがここにいるか教えてあげましょうか、ブラットレイ二等兵?」

 その言葉にピクリとブラットレイが反応し、その目がヴェロニカを捉えた。棒のように立っていた彼も、正体不明の娘がここにいる理由に興味を持ったらしい。ヴェロニカは微笑んでみせる。

「家族に会いに家に帰るのよ」

 彼の目が、続きを待つようにヴェロニカを促す。

 次の言葉を考える。
 家族というものは不思議だった。時折、嫌いでたまらないし、同じ環境で過ごしていても、性格も全然違う。例えばチェチーリアなど、絶対に友達にはなれないタイプだった。おそらく他人だったら積極的に関わらないであろう。
 しかし、それでも困ったときに思い出すのは家族のことだ。無事が心配でたまらないのも、会いたくて悲しくなるのも家族のことだった。

 以前の自分なら、牢に入れられるなどそれだけで恥辱だった。だが、家族に会うためと思えば、今は少しも恥とは思わなかった。
 一呼吸置いてから、ヴェロニカは話す。

「……ねえ、わたしはヴェロニカ・クオーレツィオーネ。A国伯爵の娘よ」

「まさか」

 彼が初めて口を利いた。信じられないと言いたげな表情だが、その瞳はヴェロニカの顔をじっと見つめている。まるで顔に戸籍でも書いてあると思っているようだ。

「本当よ。ほら、このブローチに家紋が刻印されているでしょう?」

 ポケットから例のブローチを取り出し渡してみる。彼はそれを注意深く受け取り審査するように月明かりに翳した。そして、見終わったのかまたヴェロニカに返し、やや困惑したように言った。

「……なぜオレにそんなことを言うんだ」

 当然のようにブローチを返したブラットレイにヴェロニカは好感を抱いた。先ほどの取り調べでの態度を見ても、この青年は信頼できると踏んだのだ。身分を明かしたのもそのためだ。

「信頼に値する人物だと思ったからよ。少なくともあの中尉よりはね」

 その言葉に彼は初めて遠慮気味に微笑んだ。

「さっきの言葉はよかった。オレたちが言えなかったことをズバリと言ってくれたから。あいつ、いつも人を殴ってばかりだ。きっと戦場で撃たれるのは正面じゃない。背後からだ」

 そういう彼は厳しい兵士の顔から年相応のいたずらっぽい少年の表情になった。続けて彼は声を顰める。

「だけど、クオーレツィオーネ家といえば、当主は今、投獄されていると聞いた。つまり、君の父だが……。娘の一人は死に、もう一人は修道院だと」

「B国人も噂が早いのね。わたしは死んだ方の娘よ。復讐のためにあの世から蘇ったの」

 冗談だが、言いながらひどく納得した心地になった。かつての貴族令嬢のヴェロニカは死んで、残ったのは余計な装飾のない、純粋なヴェロニカだ。家族に会いに、故郷に帰るだけの娘だ。

「あなた、家族はいるの?」

 もう一度同じ質問を繰り返す。
 今度、ブラットレイはヴェロニカと同じ目線に来るようににしゃがみこむ。そうすると彼の賢そうな灰色の瞳がよく見えた。もしかすると、ヴェロニカよりももっと年下かもしれない、と思った。

「姉がいる。君ほど美人でも聡明でもないが、守りたい、大切な人だ」

 遠くを見つめるように笑った。
 その悲しげな笑みときたら、もう二度と会えないことを知っているようだった。B国の進軍は続くが、あるいはA国よりもよほど深刻な状況なのかもしれない。若き兵士も動員されるほどに。ヴェロニカの胸は思いがけず痛む。それでも続きの言葉を言った。

「わたしは国境を越えたいの。ほんの手違いでB国に来てしまったけど、家に帰らなきゃいけないのよ。家族を助けるために」
 
 真剣に訴えかけるが、少年のような二等兵は首を横に振る。職務として怪しげな捕虜を見逃すまいとする態度というよりは、友人として心配するような仕草に思えた。

「無謀だ。見付かって殺されてしまうよ」

「だとしても、向かわなきゃいけないのよ。そのために生かされてきたとすら思えるの」

 そう。――きっとそうだ。

 ヴェロニカが今こうして生きてこの場にいるのは、それを成せと神が言っているのだ。
 真っ直ぐに見つめると、ブラットレイは黙った。そして無言の時が流れた後で、やがて諦めたかのように静かに息を吐いた。

「……こうしよう。君が服の下に隠し持っているその長銃で、オレを脅して鍵を奪ったことにすればいい」

 バレていたのか、とヴェロニカは驚いた。ブラットレイは続ける。

「川を越えるのは無理だ、どちら側にも一日中狙撃手が見張っているから。商人の荷馬車に潜り込めば国境を越えられると思う。やはり危険だが、最善だ」

 覚悟を決めた表情だった。そんなことをすれば、間抜けで捕虜を逃がしたとしてきっと彼は厳罰だろう。そんなことはヴェロニカだって百も承知だった。それでも、やらなければならない。

「ありがとう。A国人のわたしにも、親切にしてくれて」

「倫理も道徳心もぶっ飛んでる時代だけど、オレは正しいと思うことをしたいんだ。それに、これは誰にも言ったことがないが……オレはこの戦争、どっちの国が勝っても構わない。終わらせることが目的だから。……というか、おそらく、B国は負けるだろう」

 ヴェロニカは驚く。それは彼の秘密の告白だった。もしこの場にB国の愛国者がいたら、彼はたちまち殺されているだろう。
 目前のこの彼は聡明そうだった。戦況を正しく見ているようだ。だが、負けるとわかっていても戦場に立たなければならない理由がきっとあるのだろう。その動機は分からないが、向かう心は理解できた。
 何を犠牲にしても、をしようとしているヴェロニカと同じだ。国は違えど、二人は同士の友だった。

「B国にあなたのような立派で優しい紳士がいることが知れて良かったわ」

「B国が負けたら、君の家に亡命させてくれ」

 ブラットレイがそう冗談を言ったので、ヴェロニカも笑って頷く。「もちろんよ」と言ったのは本心からだった。

「早く戦争が終わりますように。きっとお姉さんにも会えるわ、ブラットレイ二等兵」

「ルーカスだ」

 と、彼は微笑んだ。

「ファーストネームだよ。ルーカス・ブラットレイだ」

「ルーカスね。あなたのこと忘れないわ」

「オレも、多分忘れられないと思う。大丈夫だ、君も家族に会えるさ。何もかも、きっと上手くいくよ……ヴェロニカ」

 スーザンと同じような言葉を言い、ブラットレイは牢の鍵を開けた。

 ――別れの瞬間、ヴェロニカは懐からあるものを取り出し、それを誠実なる友人に渡した。

「これを、B国のどこかにいるエミリーさんに渡して欲しいの。そして彼女の夫が、最後の時まで彼女を愛していたと伝えて欲しい」

 ブラットレイは渡された写真を食い入るように見つめた後、やがてしっかりと頷き、B国流の敬礼をした。彼ならきっと、夫の帰りを待つエミリーに渡してくれるはずだ、と頼もしく思った。
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