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第2章 激情、戦闘、インモラル

一切は靄の中ですわ!

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 ――これが最後だ。

 ロスは口の中でそうも呟いた。
 朝のもやの中では何もかも曖昧になる。生も死も、愛も憎しみも感情も、全て揺らぎ流され形を留めることはない。

 実の所、体の傷は深かった。
 もし再び敵が襲ってきたら、彼女を守り通せるだけの力が残っていると、言い切れる自信はない。
 何よりも――これ以上彼女といることが恐ろしかった。自分が他の誰かに成り代わってしまうような、そんな恐怖があった。

 だから、ロスはを決めた。

(……俺も存外、大したことはない)

 いくら鬼神だ悪魔だと言われたところで、今はたった一人の女が恐ろしくてたまらない。正体のない夜の闇に怯える幼子のように、ロスはヴェロニカを畏怖していた。何もかも見透かすかのような曇りのない瞳を、もう見つめ返すことができなかった。

 ここは国境の近くの山脈だ。ほんの少し先に、B国がある。

 想像するに、今A国で何が起こっているのか正確に言える人物は、ロスと、そしてロスにこれを命じた人物だけではないか。
 そしてロスがこれから行おうとしていることをその人物が知らないのだから、実際、全てを知っているのはロスだけだ。

 そのロスは、ヴェロニカの体を抱えながら森の中を進んでいく。歩きながら、聞こえているはずもないのに話しかけた。

「お前は美しい、ヴェロニカ。……その気高さを、好きにならない男はいない」
 
 こうして目を閉じている彼女は純真無垢な少女のようで、普段の気の強さはまるで感じられない。

「だが、俺ではだめだ。きっとお前を汚してしまう。いるべき場所へ、帰るんだ」

 彼女を目的の場所まで連れてくると、そっと地面に横たえた。初めて会った日に受け取ったブローチをその手に握らせる。

 朝の光がはっきりと辺りを照らし出す。ヴェロニカの横顔を、白い光が包んでいく。目前のその建物は、きっと彼女を迎えてくれるだろう。


 ――契約は打ち切られた。
 もう、ロスがヴェロニカの側にいる理由は、ない。



 * * *



 その夜もまたヒューはかいがいしくもレオンに会いに行き、そしてまたしても玉砕して帰ってきた。

 いつもと違いミーア嬢が彼の側にいなかったため話を聞いてもらえるかと期待したが、結局レオンは再び冷笑しただけだった。

「いい加減、しつこい奴だな」

 などと言われる始末。元来短気なレオンだ。こうなってしまったら二度と同じ話は聞いてくれまい。

 つまり、何者かがA国を陥れようとしているのではないかという話だ。
 一瞬、ヒューはそれが、ミーア嬢の仕業ではないかと疑った。強引にレオンに近づくミーアの動きはそれだけ不自然で、実際、彼女が現れてからなにかが狂ったように思える。しかしグルーニャ男爵家に、国の暗部を動かせるだけの力があるとは思えない。ならば彼女は無関係か。

 既に深夜。王宮の中に与えられた部屋に戻る途中で丁度向かい合う中庭の奥に微かな気配を感じた。

 廊下の隅、とある一室、わずかであるが、明かりが漏れている。
 普段は使われていないはずの部屋だ。

(誰かいるのか、こんな深夜に)

 ――いかにも怪しい。
 大抵陰謀が語られるのはこんな月のない晩だ。ヒューはそっとその扉に近づいた。慌てていたのか閉め忘れた扉の隙間から中の様子がうかがえた。

 いたのは、やはりというべきか、ミーアだ。
 白いレースの寝間着に身をつつんだ彼女は相変わらず可憐であったが、いつもの余裕のある表情はない。蝋燭が灯った燭台を持ち、対面する相手に何かを必死に訴えている。

「彼はきっと……っているわ! このままだと……計画……」

 小声で話しているため、上手く内容が聞き取れない。対面する人物はミーアよりさらに低い声でしゃべるようで話の内容までは分からない。だが声色の雰囲気やミーアの目線から会話の相手が男であることは間違いない。

(相手は誰だ……)

 一体何者と密会しているのか。よく見ようと、ゆっくりと扉を開く。そして見えた人物に戦慄した。

(なぜ、あの人が!?)

 きなくさいどころの話ではない。小物を追っていたら、意図せずとんでもない大物に行き着いてしまった。
 ヒューは気づかれないように、そっとその場を後にしようとする。その人物が関わっているとしたらとんでもないことが起こる。貴族一家の没落などでは話は終わらないだろう。

 この密会は、。非常に、
 信頼できる人に知らせようと、きびすを返そうとした瞬間であった。


 ――ガツン


 頭に衝撃を感じて、床に崩れ落ちる。まともに正面から食らってしまった。

 背後から現れた第三の人物に殴られたのだと気がついたのは、薄れゆく意識の中、こちらを見つめる部屋の中の二人の人物と目が合ったからだ。

 こちらを見つめるミーアの瞳。
 
 それは、普段の天真爛漫な彼女と違い、ぞっとするほど冷たい瞳であった。
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