上 下
28 / 108
第2章 激情、戦闘、インモラル

アルテミスはどこに行ってしまったのかしら?

しおりを挟む
 わたくしはその頃、すっかり修道女としての生活が板に付いていました。
 毎朝四時に起床し、部屋を整頓、それからお祈り、お世辞にも美味しいとは言えない朝ご飯を食べた後、畑や裁縫仕事、時たまおつかいなんかをこなしました。こういう規則正しい生活をしているのは、学園と変わりありませんわ。そうそう、ここでも友達ができました。わたくしと同じ歳くらいの女の子たちも数人いて、よくおしゃべりをするのです。

「ねえ、チェチーリア。やっぱりグレイとは恋人同士なんでしょう?」

 食事中、思わず飲んでいた水を噴出し、目の前の子にかかってしまいました。
 余計なおしゃべりはご法度。キッと修道院長に睨まれてしまったため、その会話はそこで終わったのですが……。

 どうしてか、度々、こんなことを聞かれるのです。
 そのたびに否定しているのですが、中々彼女たちは納得してくれないのです。わたくしとグレイが恋人同士なんて、あるわけがないでしょう?

 乙女ゲームLRでは、グレイはヒロインにぞっこんで……なんだか前にも同じ事を言いましたっけ? とにかく彼がわたくしを好きになることはありえません。だってそんなシナリオ、ないのですから。

「でもグレイはほとんど毎日ここへ来るでしょう? あなたに会いに」

 畑仕事をしているとまたそんなことを言われます。にやにやしている友人に言い返しました。

「それは、わたくしを見張るためですわ!」

「あら~、照れちゃって」

 のれんに腕押し。
 娯楽の少ない修道院では、こんな小さなことでも愉悦なのです。それに皆さんは口にはしないものの、姉を失ったわたくしをお励まそうともしてくれているようです。まあ、お姉様が亡くなったとはもちろん信じていませんけれども。

「あら、ほらまたグレイよ!」

 そう言って、修道女の一人が指差した門の先には、町からこちらに走ってくるグレイの姿が見えました。

「行ってらっしゃいよ、チェチーリア!」

「あ、ちょっと!」

 背中を押されたわたくしは門の前に勢いよくつんのめりました。乱れた髪を整え咳払いをしてからグレイを待ちます。
 と、いつもと彼の様子が違うことに気がつきました。手には汚れた絨毯のようなものを抱えています。近づくにつれ、それが何か分かりました。

「グレイ……! 一体、その子はどうしたんですの!?」

「森の中で倒れていたのを、猟師が見つけたんだ! さっき道で通りかかって……。放っておいたら死んでしまう。ここには手当てできる道具があるだろう!」

 そう言って、グレイは抱えていたを差し出しました。元々白かったであろう毛並みは血と泥で汚れています。その子はぐったりとしていました。体には撃たれたような跡がいくつもあります。血は止まっているようですが、重傷です。

「すぐに準備しますわ!」

 元々この修道院は野戦病院の跡地なのです。だから、いざというときの医療器具はありました。わたくしは他の皆さんにも声をかけて、その子の手当てをします。
 こういうときの皆さんはすごいです。団結してその子を救おうと奮闘します。

 その子は意識がないのか、傷口を洗う時も、体に残った銃弾を取り出す時も、そして傷口を縫い合わせる時も、始終静かに目を閉じていました。
 一番酷かったのは、右の前足でした。銃弾が骨に達していって、足が取れかかっていたので、壊死してしまう前に切断するしかありませんでした。消毒したのこぎりで切り落とすのですが、流石にその時はその子も酷く暴れました。数人がかりで押さえて、噛まれてもひっかかれても離しませんでした。
 やがて全ての処置が終わったとき、もう夕方で、その子もわたくしたちもぐったりとしていました。

 処置が終わって、その子の体はすごく冷たくなっていました。微かに動く胸によって生きているのだと分かりましたが、今まさに死に向かっているのかもしれません。

 他の方たちは先にお休みを取りました。でもわたくしはどうしてもその子の側を離れたくありませんでした。言葉も通じず、たった一人で痛い目にあったこの子の不安を少しでも取り去ってあげたくて、近くにいたかったのです。自分と重ねてしまったのかもしれません。

 壁に沿って設置された長椅子に、その子を横たえて、毛布をかけました。わたくしはその隣に座りました。ステンドグラスには神の御子と聖母様のお姿が写されています。それが夕陽を浴びて、わたくしの体に落ちました。
 と、椅子の反対側にすとんと誰かが座りました。見るとグレイでした。とっくに帰っていたと思っていたので驚きです。

「あなたもいたんですの?」

「心配だったから」

 見知らぬ犬を心配するなんて、グレイは責任感が強いですね。
 その子を挟んで左右にわたくしたちはいました。わたくしは、その子の白い頭をなでながら、思ったことを言いました。

「この子は、一体どんな目に遭ったんでしょう?」

「さあな。猟師の中には、不要になった猟犬を山に捨て、戻ってこないように撃つと聞いたことがある。もしかしたら、そういった一匹だったのかもしれない」

「そんな……」

 その子は傍から見てもとても美しい犬でした。捨てるなんて、考えられません。
 そういえば、昔お姉様と一緒に迷子の子犬を保護したことがあります。飼いたかったのですけれど、お父様が認めてくれませんでした。

「いらなくなったら捨てるなんて、どこの場所にも酷い人はいるものですね。はじめは必要だから、側に置いたはずなのに……」

 くやしいですわ。
 グレイがこちらを見つめているのは気がつきましたが、知らない振りをしました。わたくしの目から出た液体が、白い毛皮に落ちました。

 いいえ、泣いてなんていませんわ。だって、この子は生きていますもの。
 わたくしの立場を重ねたのではないか? いいえ、小さい頃から覚悟していたことですもの。

 いつか、わたくしは追放されて、家族はばらばらになって。「悪役は退治され、そして二人は幸せになりました」なんて、当たり前のシナリオです。だから、悲しくなって泣くことなんてあり得ません。
 下を向くわたくしの耳に、遠慮がちな声が聞こえまいた。

「オレは後悔している。あなたがレオン様とミーア嬢に詰め寄られたとき、本当はあなたに罪はないと分かっていた。あなたのことは、いつだって見ていたから。レオン様の命に従い、あなたを捕らえたことは間違っていた。オレがあの時、はっきりと言えばよかったんだ。あなたがミーア嬢に悪さをするなんてある訳がないと」

「どうして……」

 どうして、レオン様の口から一番聞きたかったことをあなたが言うんですの? 

 幼い頃からずっと一緒だったレオン様には信じて欲しかった。お互い手を取り合って、無邪気に笑った日々は真実だったと思いたかった。

 でも、でも。シナリオなんですから、しかたがないのです。レオン様がわたくしを信じてくれなかったことも、ミーア嬢を愛してしまうことも、初めから決まっていたこと、しかたがないことなのです。彼に罪はありません。
 好きになっていけないと分かっていつつ、レオン様を好きになってしまったことも、きっとシナリオのせいなんですわ。しかたがないこと。わたくしに罪はありません。

 目の前にハンカチが差し出されました。わたくしの顔はすでに涙と鼻水でぐちゃぐちゃでした。
 
「ありがとうございますわ、グレイ。なにもお礼なんてできませんけれど、そう言ってくださったことで救われましたわ」

 グレイがくれたハンカチでチーンと鼻をかみました。彼が少しだけ笑ったような気がします。

「礼なんていらない。ただあなたが元気であればそれでいい」

 ああ、彼はなんて良い隣人なのでしょう。



 翌日、翌々日とその白いわんちゃんは元気を取り戻していきました。体を洗って綺麗にしてあげると、それはそれは見事な美しい子になりました。

 わたくしは犬を飼ったら付けたかった名前である、「ポチ」と名付けました。でもあまり気に入っていないみたいで反応は馨しくありません。「ハチ」の方がよかったでしょうか。そんなことをグレイに言うと「そういうことじゃないんじゃないのか」と言われました。

 ……もしかして、元の名前が気に入っているのでしょうか? でもそれを知るよしはありません。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

英雄になった夫が妻子と帰還するそうです

白野佑奈
恋愛
初夜もなく戦場へ向かった夫。それから5年。 愛する彼の為に必死に留守を守ってきたけれど、戦場で『英雄』になった彼には、すでに妻子がいて、王命により離婚することに。 好きだからこそ王命に従うしかない。大人しく離縁して、実家の領地で暮らすことになったのに。 今、目の前にいる人は誰なのだろう? ヤンデレ激愛系ヒーローと、周囲に翻弄される流され系ヒロインです。 珍しくもちょっとだけ切ない系を目指してみました(恥) ざまぁが少々キツイので、※がついています。苦手な方はご注意下さい。

【完結】恋人との子を我が家の跡取りにする? 冗談も大概にして下さいませ

水月 潮
恋愛
侯爵家令嬢アイリーン・エヴァンスは遠縁の伯爵家令息のシリル・マイソンと婚約している。 ある日、シリルの恋人と名乗る女性・エイダ・バーク男爵家令嬢がエヴァンス侯爵邸を訪れた。 なんでも彼の子供が出来たから、シリルと別れてくれとのこと。 アイリーンはそれを承諾し、二人を追い返そうとするが、シリルとエイダはこの子を侯爵家の跡取りにして、アイリーンは侯爵家から出て行けというとんでもないことを主張する。 ※設定は緩いので物語としてお楽しみ頂けたらと思います ☆HOTランキング20位(2021.6.21) 感謝です*.* HOTランキング5位(2021.6.22)

婚約者が病弱な妹に恋をしたので、私は家を出ます。どうか、探さないでください。

待鳥園子
恋愛
婚約者が病弱な妹を見掛けて一目惚れし、私と婚約者を交換できないかと両親に聞いたらしい。 妹は清楚で可愛くて、しかも性格も良くて素直で可愛い。私が男でも、私よりもあの子が良いと、きっと思ってしまうはず。 ……これは、二人は悪くない。仕方ないこと。 けど、二人の邪魔者になるくらいなら、私が家出します! 自覚のない純粋培養貴族令嬢が腹黒策士な護衛騎士に囚われて何があっても抜け出せないほどに溺愛される話。

婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた

cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。 お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。 婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。 過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。 ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。 婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。 明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。 「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。 そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。 茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。 幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。 「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?! ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。

たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。 わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。 ううん、もう見るのも嫌だった。 結婚して1年を過ぎた。 政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。 なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。 見ようとしない。 わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。 義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。 わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。 そして彼は側室を迎えた。 拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。 ただそれがオリエに伝わることは…… とても設定はゆるいお話です。 短編から長編へ変更しました。 すみません

妹に魅了された婚約者の王太子に顔を斬られ追放された公爵令嬢は辺境でスローライフを楽しむ。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。  マクリントック公爵家の長女カチュアは、婚約者だった王太子に斬られ、顔に醜い傷を受けてしまった。王妃の座を狙う妹が王太子を魅了して操っていたのだ。カチュアは顔の傷を治してももらえず、身一つで辺境に追放されてしまった。

処理中です...