断頭台のロクサーナ

さくたろう

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第五章 夢見る少女は夢から醒める

臓物をぶちまけ、女王は狂気に憑りつかれる

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 レットの瞳もロキシーを見つめ返す。

「ロクサーナ・ファフニール」

 名を呼ばれて、体が震える。
 彼のこれほど冷たい声は初めてだった。厳密に言えば、この世界においては。

 そうだ、あの瞳を知っている。
 かつてあの瞳で、あの声で、彼はロキシーに言ったのだ。

 ――私が真に愛するのは、モニカ様だけだ。

 違うはずだ。
 だってこの世界の彼は、いつだって優しかった。ロキシーが以前の世界のロクサーナと違うように、レットだって違う。
 だけど、本当にそうなのか。彼は一緒なのでは。自分だって、何も変わっていないのでは。臆病で、何者でもない女のまま、なにも守れずに――。

「……あなたは、撃った人物を見たのか?」

 静かな問いが投げかけられる。

「レット、なぜなの」

 答えの代わりに疑問が口を出る。

「見たのかと聞いている。答えるんだ」

「わたしは――」

 彼は気づいているはずだ。
 だって、あの日、確かに目が合った。

 きっと理由があったんだと言い聞かせて、黙っていることにしたのに。なのに今、聞き出そうとしている。

「わたしを、撃ったのは……」

 撃った人物をどうして尋ねるのか、ロキシーには分からない。
 言えと言うのか? わたしを撃ったのは、あなたですと。

「誰も……誰も、見ませんでした」

 耐え切れずうつむいた。
 どうしても、言うことが出来なかった。

「馬鹿な!」

 平民出身の議員たちが大声を出す。

「彼女が見ていない以上、軍が撃ったとなぜ言い切れる」

 レットの声が聞こえ、顔を上げる。もう彼は、ロキシーを見ていない。
 モニカが薄く笑っている。

「なんで……どうしてだロキシー」

 ルーカスが悲痛な表情を浮かべる。
 だが即座、決意を込めた表情になると、レットに向けて言う。

「フォード大尉だ! フォード大尉が彼女を撃った!」

「お得意の妄想か、ルーカス・ブラットレイ」

「なんだと……!」

「見たまえ諸君、この青年はかつて恐ろしい妄想に憑りつかれ、愚かにも私を殺そうとしたんだ」

 議会には怒号が飛び交う。
 静粛に! と叫ぶ議長の声は瞬く間に掻き消されていく。暴れた議員が、兵士に連れ出されていく。

「フォードさん、あんたもっとマシな人間だと思っていた」

 フィンが憎しみを込めた声でそう言うが、レットは答えない。
 その中で、モニカだけが笑っていた。

「彼女を、後でわたくしの所へ連れてきてくださる? だって、あまりにも可哀想じゃないの」



 騒ぎが収まり、議会が閉会となった後、モニカのいる場所に、ロキシーは一人で通された。
 見覚えのある客室には、見覚えのない装飾が並ぶ。
 既にモニカは待っていた。彼女の座る椅子の後ろに、レットが立っている。

 分かっていても、自分が傷ついているのを感じていた。促されるまま向かい合うようにソファーに座る。出されたお茶に手をつける気にもなれなかった。

「あなたと、レットは……」 

 疑問は尻切れだが、モニカは認める。

「そうよ、ロキシー。恋人なの」 

「いつからなの」

「もう、ずっと前からよ」

 モニカは微笑んだ。
 レットは表情一つ変えずにそれを聞いている。

「あなたがオリバー・ファフニールの死を伝えに来て、わたくしを傷つけた日だって、彼は深夜まで、わたくしを慰めてくれたんだから。
 休暇を取って、一緒にお酒を飲んだ日もあるわ。彼、言っていたわよ? 愛しているのは、わたくしだけ。ロキシーなんて、仕方がなく面倒を見ているだけだって。今は厄介払いができてよかったって」

 両手を握りしめる。爪が肌に食い込んだ。そうしないと耐え切れなかった。

 レットはロキシーと暮らしながらも、モニカと関係していたのだ。
 覚悟を決めて、尋ねる。

「本当にそう思っているの?」

「……当然だ。私は初めから、モニカ様を愛していた。だから婚約もしたんだ」
 
 目を伏せたまま、レットは答える。
 思わず立ち上がり叫んだ。

「じゃあ、どうしてわたしに優しくしたのよ!」

「同情したんだ。オリバー・ファフニールは恩人だったし、あなたはか弱く、哀れだったから」

「ならそれを、わたしの目を見て言いなさい!」

 そこでようやく、レットはロキシーの顔を見た。その瞳は、やはり冷たい。

「私が愛しているのは、モニカ様で、ロクサーナ、あなたではない」
 
 結んだ絆は一方的に解かれた。
 お茶を飲んでいたモニカはカップを机に置いた後でため息をつく。

「見苦しいわロキシー。レットはわたくしを愛しているのよ」

 モニカは微笑む。

「だから、心配しないでロキシー。彼は幸せだし、わたくしも、とっても幸せよ。この幸せを、いい子のあなたは前の世界みたいに奪ったりしないでしょう?」


 ◇◆◇


「アブサンと阿片か、いい趣味だ」

 ソファーに座りながら酒を飲むモニカを、レットは立ったまま見下ろした。
 ロキシーが去った途端、モニカは別人のように無機質な表情に変わり、無口になった。

「……気分が悪いわ」

「だろうな」

 言いながら、レットは酒瓶をモニカの手から奪い、遠ざける。
 それを睨みつけながら、モニカは立ち上がった。

「レット。わたくしにキスしなさい」

 抵抗もなくレットは屈み、口づけをしてから顔を離す。

「ご所望のものを」

「……これがキス? 笑わせないで」

 襟首をつかみ、モニカは強引に唇を寄せた。
 貪りつくすかのような長いキスの後で、レットは呆れたように言い放つ。

「一体、誰の代わりなんだか」

「それはお互い様でしょう?」

 モニカは目を細める。

「ああレット。あなたって、そんなに冷たい目ができるのね。とても素敵、ぞくぞくしちゃうわ。これからは、お城で暮らせばいいわ。今夜、わたくしのお部屋へいらっしゃい。この前みたいに、一緒に過ごしましょう?」

 うふふ、あはは、とモニカは笑う。

 王政の仮面は剝ぎ取られ、貴族は国外へ逃げ、神の教えを説くはずの僧侶たちは保身に走る。
 そうして曝け出された臓物の中には、怒れる国民たちだけが残った。

 この国は、海に沈む泥船だ。もうすでに、溺れているのかもしれない。ならば、果てまで行くだけだ。心地の良い夢に取り憑かれながら――。
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