断頭台のロクサーナ

さくたろう

文字の大きさ
上 下
92 / 133
第五章 夢見る少女は夢から醒める

蜘蛛の毒牙に、羊はかかる

しおりを挟む
 クリフが二度目に倒れてから、すでに三か月ほど経っていた。
 彼の部屋を、ロイは見舞う。

「どうですか」

「悪くはないよ」

 言葉通り、窓から王都を眺めているクリフの顔色はいい。 
 実際、倒れた原因は不明だった。一度目も二度目も、嘔吐し寝込んだが数日で回復している。

 側に寄り、同じように街を見た。いつもと変わらない、美しい都だ。

「ロクサーナはどうしている?」

 クリフは彼女のことを、度々気にかけていた。
 
「え、ええまあ、父親が亡くなりましたが、元気なようですよ――」

 思わず言葉を濁すが、クリフはそれを見逃さない。

「隠すな。フォード大尉と暮らしているんだろう」

「……はい」
 
 よもやロクサーナへの恋心が再燃し、大尉に嫉妬でもしているのだろうか。
 だがそういう訳でもなさそうだ。クリフは極めて冷静だった。

「あの男は、信頼できる人物なのか? この城で見かけたとの噂もあるぞ。何の用事だ」

「軍人ですから、こちらに用があることもあるのでしょう」

 つい先日も、ロクサーナの付き添で来ていた。
 彼はあの娘を大層大事にしているらしい。

「昔の知り合いにでも会っているのかもしれんな」

 クリフは街から視線を動かし、離れの宮を見つめた。モニカが気に入り、住居として使っている。

「なあ、ロイ。私は史上最悪の愚王として後世に語り継がれるのではあるまいな」

「まさか。弱気になられては困ります」

「私のこれは父上と同じ病か?」

 クリフが問うが、ロイは否定する。

「医師はそうは言っていませんでしたよ」 

「ああ、実に私はぴんぴんしているし、倒れたのは数日だけだ。なのに、元老たちは私を部屋に閉じ込める。モニカが代理をしているんだろう? 奴らが必要なのは、私の名だけのようだ」

「万全を期しているんですよ。病の原因を突き止めるまでは、公務を中止にしたほうがいいとの判断です」

「病か……」

 クリフはしばしの間黙り、考え込むようだった。

「巷でと呼ばれているものを知っているか?」

 聞き覚えの無い薬の名にロイは首をひねる。時にクリフは、ロイよりも世間のことを知っていた。

「病の特効薬でしょうか?」

「……いや。知らないなら良いんだ――」

 クリフは静かに言い、困り果てたように目じりを下げ笑った。

「私に王位を退けとの話が来ている」

 その言葉にロイは憤慨した。頭に血が昇る。

「なんだって! どこの不届き者ですか!」

「あちこちからさ。病がちな私は、人々を不安にさせる。……受けようと思う」

 自分のことであるのに、クリフは肩をすくめる。
 想像するに、初めから伝えたかった話はこれらしい。

 クリフほど誠実で聡明な人物はいない。
 ロイが彼に従うのは、代々王家を守る家系で育ったからだけではない。その人柄に惚れこんでいるからだ。

「なぜです! あなたほど王に相応しいお方はいない! 俺からそいつらに言います!」

「王になって分かったが、実際、誰がなっても変わりはしないんだ。どうにもならない潮流に、抗ったところで進みを遅らせるのがせいぜいなんだろう」

 いつその話がクリフに来たのか知らないが、昨日今日ではないのだろう。もう覚悟を決めているようだった。

「私は、この馬鹿げた戦争を終わらせるように言ったんだ。理性的に始めたはずが、すでに泥沼だ。破滅への一本道を迷いなく進むのはもう十分だ。国内を見ろ、団結どころか身内同士で共食いに夢中だろう。わずかに領土を失い、わずかに得た。もう仕舞いだ。蜃気楼の上の勝利に目を向けるのでなく、国内の声に耳を傾けろ――」

 熱がこもっていったクリフだが、そこまで言ったところでため息をついた。

「そう告げた数日後、私は病に倒れ、何もかもうやむやだ。また強制的に兵を集めるというんだろう? 軍部は戦争を続けたいんだからな」

 どこか諦めたように小さく首を振る。

「誰が敵かも分からない。誰も信頼できなくなる前に、遠くへ行きたいんだ。そうだな、父上が高地に建てた屋敷にでも行こうか」

 では俺も一緒に、とロイが言いかけたところで遮られる。

「――着いて来るなよ。レイチェルと王都に留まれ。結婚式を挙げるんだろう?」

 婚約者を思い、思わず赤面した。
 クリフはおかしそうに笑う。

「顔を赤らめるな、気色が悪い。その様子だと、この後会うのか」

 長年寄り添ってきたクリフだ。お見通しらしい。
 レイチェルを城内の一室で待たせていた。この後一緒に式の打ち合わせをする予定だ。

「ロイ」

 突然、鋭い声がかけられ、はっとクリフを見る。
 それから彼は、いつになく真剣な表情で言った。

「次期王が道を外さないように、どうか側で支えてやってほしい」

 
 


 レイチェルを待たせている部屋の扉に手をかけたところで、奇妙さを覚えた。くすくすと笑う声が聞こえたためだ。
 
 誰か一緒にいるのか、と中に入り、その人物を確かめたところで思わず表情が固まる。

「モニカ様……」

 モニカが、レイチェルと向かい合うようにして座っていた。ロイが踏み入れると二人は会話を止めたため、何を話していたのか知らないが、表情は明るい。
 モニカはロイに笑いかける。

「ロイ、ご機嫌いかが? お兄様はお元気でいらした?」

 新聞では、花の咲いたような笑顔――と評されていた彼女の笑みだが、薄気味悪さをロイはいつも覚えていた。
 笑いかけられると、ぞわり、と背筋が凍る。

「ご自分で確かめられてはいかがです」

「わたくし、とっても忙しいの。行きたいけれど、暇がないんだもの」

「ロイ様、そんな言い方をされてはいけませんわ」

 レイチェルが立ち上がり、ロイの側に歩み寄る。ブロンドの髪を結い上げ、貴族の令嬢が一着は持っている小花柄のドレスに身を包む。首元にはいつかあげた首飾りが輝いていた。

 優しくおっとりとした性格の彼女は、ロイの心のよりどころだった。
 そんな愛する婚約者が、ロイが最も苦手とする娘と一緒にいる。その心の揺れを、上手く隠せたかは分からない。
 
「モニカ様は、噂通り素敵な方ですもの。まるで責めるような言い方に聞こえましたわ」

 責めていたのだ。

「わたくしも、レイチェルさんのこと、すごく好きになってしまいましたわ。ねえ、良かったら今度、ゆっくりお茶でもいかが? ここには気を許せる方が少なくて……」

 すがるような表情をするモニカは、あまりにも儚げだ。レイチェルは感激したのか両手を口に当てる。

「まあ……! もちろんですわ! そんなに素晴らしいことをおっしゃっていただけるなんて……!」

 だめだ、と思わず言いそうになる。 

 モニカとレイチェルが懇意になるのは、何としてでも阻止しなくては。どんな風に利用されるか分からない。だがやはり、言葉にはできない。

 モニカはロイに微笑んだ。

「ロイも、よろしくね? これからきっと、長い付き合いになるのだから――」



 城を後にし、レイチェルと二人で馬車に乗る。

(モニカ様に近づき過ぎるなと言うべきか。だが、確たる根拠もなしに――)
 
 本当に、友人が欲しいだけかもしれない。それにモニカの魅力を語り続けるレイチェルに、そんなことを言えるはずがない。
 
「レイチェル」彼女の話が終わったところで、クリフに問われて以来気になっていたことを尋ねた。

「相続薬とはどんな薬か知っているか?」

「まあ、ロイ様、怖いことをおっしゃるのね」

 レイチェルはからかうように笑い、どうやら本当にロイが知らないらしいと分かると不思議そうに言った。

「どうしてそんなことを? ――だって、ヒ素のことですわ」
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

この度、猛獣公爵の嫁になりまして~厄介払いされた令嬢は旦那様に溺愛されながら、もふもふ達と楽しくモノづくりライフを送っています~

柚木崎 史乃
ファンタジー
名門伯爵家の次女であるコーデリアは、魔力に恵まれなかったせいで双子の姉であるビクトリアと比較されて育った。 家族から疎まれ虐げられる日々に、コーデリアの心は疲弊し限界を迎えていた。 そんな時、どういうわけか縁談を持ちかけてきた貴族がいた。彼の名はジェイド。社交界では、「猛獣公爵」と呼ばれ恐れられている存在だ。 というのも、ある日を境に文字通り猛獣の姿へと変わってしまったらしいのだ。 けれど、いざ顔を合わせてみると全く怖くないどころか寧ろ優しく紳士で、その姿も動物が好きなコーデリアからすれば思わず触りたくなるほど毛並みの良い愛らしい白熊であった。 そんな彼は月に数回、人の姿に戻る。しかも、本来の姿は類まれな美青年なものだから、コーデリアはその度にたじたじになってしまう。 ジェイド曰くここ数年、公爵領では鉱山から流れてくる瘴気が原因で獣の姿になってしまう奇病が流行っているらしい。 それを知ったコーデリアは、瘴気の影響で不便な生活を強いられている領民たちのために鉱石を使って次々と便利な魔導具を発明していく。 そして、ジェイドからその才能を評価され知らず知らずのうちに溺愛されていくのであった。 一方、コーデリアを厄介払いした家族は悪事が白日のもとに晒された挙句、王家からも見放され窮地に追い込まれていくが……。 これは、虐げられていた才女が嫁ぎ先でその才能を発揮し、周囲の人々に無自覚に愛され幸せになるまでを描いた物語。 他サイトでも掲載中。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

〘完〙前世を思い出したら悪役皇太子妃に転生してました!皇太子妃なんて罰ゲームでしかないので円満離婚をご所望です

hanakuro
恋愛
物語の始まりは、ガイアール帝国の皇太子と隣国カラマノ王国の王女との結婚式が行われためでたい日。 夫婦となった皇太子マリオンと皇太子妃エルメが初夜を迎えた時、エルメは前世を思い出す。 自著小説『悪役皇太子妃はただ皇太子の愛が欲しかっただけ・・』の悪役皇太子妃エルメに転生していることに気付く。何とか初夜から逃げ出し、混乱する頭を整理するエルメ。 すると皇太子の愛をいずれ現れる癒やしの乙女に奪われた自分が乙女に嫌がらせをして、それを知った皇太子に離婚され、追放されるというバッドエンドが待ち受けていることに気付く。 訪れる自分の未来を悟ったエルメの中にある想いが芽生える。 円満離婚して、示談金いっぱい貰って、市井でのんびり悠々自適に暮らそうと・・ しかし、エルメの思惑とは違い皇太子からは溺愛され、やがて現れた癒やしの乙女からは・・・ はたしてエルメは円満離婚して、のんびりハッピースローライフを送ることができるのか!?

お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!

水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。 シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。 緊張しながら迎えた謁見の日。 シエルから言われた。 「俺がお前を愛することはない」 ああ、そうですか。 結構です。 白い結婚大歓迎! 私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。 私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。

【完結】すべてを妹に奪われたら、第2皇子から手順を踏んで溺愛されてました。【番外編完結】

三矢さくら
恋愛
「侯爵家を継承できるという前提が変わった以上、結婚を考え直させてほしい」 マダレナは王立学院を無事に卒業したばかりの、カルドーゾ侯爵家長女。 幼馴染で伯爵家3男のジョアンを婿に迎える結婚式を、1か月後に控えて慌ただしい日々を送っていた。 そんなある日、凛々しい美人のマダレナとは真逆の、可愛らしい顔立ちが男性貴族から人気の妹パトリシアが、王国の第2王子リカルド殿下と結婚することが決まる。 しかも、リカルド殿下は兄王太子が国王に即位した後、名目ばかりの〈大公〉となるのではなく、カルドーゾ侯爵家の継承を望まれていた。 侯爵家の継承権を喪失したマダレナは、話しが違うとばかりに幼馴染のジョアンから婚約破棄を突きつけられる。 失意の日々をおくるマダレナであったが、王国の最高権力者とも言える王太后から呼び出される。 王国の宗主国である〈太陽帝国〉から輿入れした王太后は、孫である第2王子リカルドのワガママでマダレナの運命を変えてしまったことを詫びる。 そして、お詫びの印としてマダレナに爵位を贈りたいと申し出る。それも宗主国である帝国に由来する爵位で、王国の爵位より地位も待遇も上の扱いになる爵位だ。 急激な身分の変化に戸惑うマダレナであったが、その陰に王太后の又甥である帝国の第2皇子アルフォンソから注がれる、ふかい愛情があることに、やがて気が付いていき……。 *女性向けHOTランキング1位に掲載していただきました!(2024.7.14-17)たくさんの方にお読みいただき、ありがとうございます! *完結しました! *番外編も完結しました!

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、マリアは片田舎で遠いため、会ったことはなかった。でもある時、マリアは、妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは、結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

処理中です...