断頭台のロクサーナ

さくたろう

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第四章 砂糖でできた甘い楽園

罪を、わたしはまた重ねる

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 ロキシーは悲鳴をあげてベッドを落ち、這いずりながら壁際へと逃れた。

「あなただったんだわ! もっと早く気が付くべきだった! そうよ、思い出した! 何もかも、思い出したわ!
 あなたはあの時笑ってた。わたしが首を切られたとき! わたしの死が嬉しくてたまらなかったのよ! 他の誰もがわたしに憎しみを向ける中、あなただけが笑っていたのよ!」

 腰が抜けたように立ち上がれない。
 記憶が混乱している。レットが助け起こそうと伸ばした手を思い切り振り払った。

 あの憎しみの渦の中で、どうして笑うことができたんだ。簡単じゃないか。全部、この男が仕組んでいたことだったからだ。

「……そうよ。そう考えれば辻褄が合う。あなたがクリフ様を殺したのね? 彼はわたしが王位を継ぐのに障害となるもの。あなたが女王の夫になるのに、彼は邪魔だもの! それだけじゃない! わたしに、たくさん人を処刑するように言ったわ。今思えば、皆有能な人たちだった! わたしは従ったの! 何人もの首を切った。だって、あなたに愛されたかった! だけどあなたは、自分の理想の国を作りたかっただけだった。遂に愛してはくれなかった!」

 優しい笑顔の裏側にある、深い漆黒の空洞。かつての自分はそこに向かって真っ直ぐに落ちていった。

「だからあの時笑えたんだわ。反乱軍が、モニカを擁立したから、偽の女王一人死んでも、王国は続いていくもの。あなたはわたしも、モニカさえも愛さなかった……! 誰一人愛さなかった! 女王が本当は誰かなんて、どうでもよかったんだわ!
 モニカは食中毒で死んだって言ってた。だけどそれさえ、あなたが毒を盛ったのかもしれない!」

 次々と頭に浮かぶ言葉が消えてしまう前に、口に出した。
 突如として錯雑とした罵りを受けたレットは当惑の表情でロキシーに一歩近づく。

「どうしたんだ、あなたが何を言っているのか、私には少しも分からない!」

 込み上げた吐き気に抗えず、ロキシーはその場に嘔吐した。何もかも全て、吐き出してしまいたかった。
 レットが寄る気配がして、ロキシーは言った。

「近づか、ないで……!」

 混乱のまま、ロキシーの頭の中を、別の世界の記憶が掻き乱した。自分の思い出にはない世界のこと。それでも確かに、実感を伴って思い起こされる。
 この世の全てが憎かった。
 モニカを呪った。モニカを憎んだ。どうしてモニカばっかり! モニカを殺した。モニカを殺した。この手で、モニカを、何度も何度も殺した。
 モニカを殺す間際の自分の表情、感情。これが自分の姿なの? なんて醜い女だろう、まるで化け物みたいじゃないか。これがモニカが経験した世界なの? これは地獄そのものだ。
 モニカは、こんな経験をしてもなお、わたしを許そうとしてくれていたの?
 なのにわたしは、また、あの子を絶望に陥れようとしている。

(最低だ、最低だわ……)

 空っぽの器に注ぎ込まれた偽善と欺瞞。それが自分の正体だ。

 胃液と涙が床に落ちる。やがて吐くものがなくなった時、ようやくロキシーは立ち上がる。
 動くなと命令されたレットは、哀れにもその場で棒立ちをしていた。

「どうしたんだ、あなたの身に、何が……」

「言っても信じてくれないわ」

「信じるとも、言ってくれ。あなたのことなら何だって信じる!」

「嘘よ!」

「いつだって味方だ!」

 遂に彼は、ロキシーの両肩を掴んだ。背筋が凍りつく。それでも抵抗できないのは、この彼の、誠実さを知っているからだ。

 かつてのレットと今のレットは寸分違わず同じ人間のはずだ。なのに、どうして目の前のこの男は、これほどまでに切迫しているのだろうか。

 ロキシーは昔の女王ではない。
 愛することの喜びも、愛されることのやるせなさも知っている。罪を、償う難しさも知っている。
 養父母がいて、ルーカスがいて、父がいて、レットがいて、あの一筋縄ではないモニカがいて。怒濤の日々を過ごして、泣いて怒って嫌って好いて、だからそれを知ることができた。

 いつかの自分は思っていた。
 人と人の出会いが無限にある限り、人なんて簡単に変わり続けることを、かつては確かに知っていた。

 目の前のこの人は、未だなんの罪も犯していない。過去の記憶すら覚えていない。だから罪を背負っていない。ただ誠実で、人を愛して守れる人だ。分かってる。彼は善人だ。
 されど彼は、誰も愛してはいないのでは。またロキシーは利用されているのでは。

 混乱は続いていた。ずっとレットに会いたかった。会いたくなかった。愛していた。憎んでいた――。
 
 気が付けばロキシーは、レットに洗いざらい話していた。

 母が死んだ日、過去にもロクサーナとして生きた記憶が蘇ったこと。

 その記憶の中でも、やはりモニカと双子として育ったこと。だが実は、モニカは養子で、王女だったこと。レットがモニカと婚約し、嫉妬したこと。嘘をつき王女として名乗り出て、レットをモニカから奪ったこと。だがモニカが王女だと知った反乱軍と、彼女だけを一心に愛していたレットにより、遂に捕らえられ首を切られて死んだこと。

 おぞましい記憶だった。

 それだけだと思っていたが、実はそれはモニカが体験した過去の一つに過ぎなかった。幾度もこの世界をループしていて、その全てで若くして死んだ。ほとんどはロキシーのせいで苦しんだ。
 
 なのにモニカはロキシーを許した。許しがたい罪を許して、側にいてくれた。辛いときも支え合って、だから今日まで生きてこれた。 

 モニカは、この世界で起こり得る事象をほとんど知っている。彼女はロキシーを守ってくれている。ロキシーの本性は悪だから、容易くそれに染まらぬように――。


 話し終わってから、無言の時が流れた。


 自分が語る話を客観的に聞いて、まるで嘘か、精神薄弱者の妄言のように思える。

 いつの間にか、雨音が戻っている。
 対面する男がどんな表情をしているのか確かめるのが恐ろしくて、下を向いたままロキシーは言った。

「……信じられないでしょう?」

「確かに、信じがたい話ではあるが……」

 だが息が漏れるような小さな笑い声が聞こえ、顔を上げた。戸惑ってはいるものの、拒否はしていなかった。

「私を無理矢理奪うほど好きだったことは、思いがけず嬉しいですね」

「意地もあったの。モニカに負けたくないって」

「だから私がこの屋敷に迎えに来たとき、あなたは涙を流したんですね。会いたくてたまらなかったんですか?」

「ねえレット。冗談を言ったわけじゃないのよ」

「もちろん、私も冗談は言っていませんよ」

 レットは言う。

「それでよく分かった。あなたが私を見る度に、その瞳の奥にほんの一瞬、恐怖がよぎる、その訳が。私はあなたにとって、命を奪う男だったのか」

 レットがロキシーに歩み寄り、力強く言った。

「ロキシー様。あなたを絶対に殺しません。殺させも、しません」

 それからふいに、神妙な面持ちになる。

「その話を知っているのは、モニカ様とルーカス君ですか」

 黙って頷いた。

 レットが戦地へと赴く前は、ロキシーとモニカとルーカスは仲が良かった。 
 それでそう思ったのだろうか。だがそうではなかったようだ。

「……次は私の話も聞いてくださいますか? 戦場で、何が起こったのか、についてです」
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