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他人より遠い アンソニー視点
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いっそ他人であれ、と実の兄に対してアンソニーはずっと思っていた。自分の中に兄と同じ血が流れていると思いたくなかった。長男であるのに、後継に選ばれなかった兄は、可愛らしい婚約者の入婿になることが決まった。本来なら次男である自分が入婿になるべきだったのに、兄の「後継者教育なんてやりたくない。」と言う一言で、その責務が自分に回ってきた。物心ついた時には、両親は優しいだけでなく、厳しい教育係になり、家の中に安らぎが減っていった。
兄は入婿になるための教育が必要ではあったが、婚約者となるご令嬢が優秀で後継者教育を受けていたため、兄に課せられた教育は彼女を補佐する程度のもので、それも婚約者の家からそんなにキリキリしなくて良いとお許しが出て、彼は緩やかな幼少期を送った。
それでも、アンソニーは兄を羨ましいとは思ったことがない。自分に与えられた責任や義務をありがたく思っていたからだ。
ただその思いが変わったのは、オリヴィアに再会した頃だ。彼女は初めて会った時の利発そうな雰囲気はそのままに、伯爵令嬢として恥ずかしくない美しい女性に変身していた。
兄はお世辞にも、彼女と釣り合うとは言い難く、いくらあちら側が許したとしても、もう少し教育に力を注いだ方が良いのでは?と父に進言した。
父も思うところはあったらしい。すぐに教育係を配置したが、補佐業務を教えられるのは貴族の夫人であり、ある子爵家の夫人が来てくれることになった。
子爵夫人は貴族の子供の教育係を務めるほど、優秀な人材ではあるが、彼女の教え子達は皆初めは五、六歳の子供達であり、当時十三歳にもなっていた兄は、些か成長し過ぎていた。
子爵夫人は、今思えば兄の好みのタイプであった。だが、子爵夫人はきちんとした貞操観念をお持ちの身持の良い夫人だった為、兄がしつこくアプローチを繰り返す前に教育係を辞退して来た。
十三歳ともなると、徐々に力がつき始める年頃で、兄は剣術などは得意ではなかったが、か弱い女性の一人ぐらいならどうにでも出来ただろう。夫人は聡明な方で、取り返しのつかない状況になる前に、兄の前から居なくなる選択をした。
兄は急に変わった新しい教育係には靡かなかった。子爵夫人とは正反対の、豪胆な女性に食指は動かなかったらしい。
その後も兄は誰に似たのか、好みの女性が現れると、婚約者がいるにもかかわらずお構いなしに、アプローチし、ややこしいことになる、と言うことを繰り返していた。
兄が好む女性は子爵夫人を除くと、平民が圧倒的に多かった。貴族なら淑女教育を学ぶ時期を過ぎるとどのご令嬢も貴族である自覚が生まれ顔つきが以前とは変わる。
それは喜ばしい変化であるのに、兄には気に入らなかったようで、婚約者であるオリヴィアとの間にも、目には見えない薄い溝が音もなく作られていった。
オリヴィアはどんどん美しくなっていく。その頃になると、アンソニーは自らの意思で彼女と距離を置いていた。いくら兄があんなでも、弟も同じように振る舞うなんて言う暴挙は許してはならない。
アンソニーは生まれた恋心を丸々封印した。彼女の姿を目に入れなければ、回避できると愚かにも考えたアンソニーは、後継者教育を理由に領地に引き篭もる。兄には何故かアンソニーが病気だと伝わっていたようだが、兄にも会いたくなかったため、丁度良かった。
兄の子どもを身籠った、と平民の女性が婚約者のオリヴィアに迫ったと聞かされた時はハラワタが煮え繰り返った。
調べてみると、正真正銘の兄の息子であることがわかった。女性は平民ながら裕福な家に生まれたお嬢様で、世間知らずだった。
兄は誰のことも否定せずに受け入れる。来る者拒まず、の精神で婚約者を差し置いてしまう。最初はどちらからのアプローチであれど、受け入れたのは兄である。
兄はその平民の女性にも、オリヴィアにも謝ることはしなかった。彼はいつものヘラヘラした笑顔で自分の言いたいことを言い、周りを混乱させる。彼はその後、平民の女性に何も行動を起こさなかった。子どもまで拵えておいて、どういうつもりかと勘繰ったのだが、どうやら何も考えていないようだ。
アンソニーは次期当主として、彼女に連絡を取ると、彼女の意思を確認したのち、一筆書かせて、環境を整えてやった。
彼女との約束は二つ。彼女は今回のことで、兄の性根を思い知ったようで、こちらからの提案を快く承諾してくれた。
アンソニーは使える駒を二つ手に入れ、時期を待った。
その頃にはオリヴィアの伯爵家とも、意思を確認することができた。伯爵は、オリヴィアの幸せの為に、兄を許さない敵と認定したようで、アンソニーと利害は一致した。
あちらは、出来の悪い婚約者との婚約を解消したい。こちらは、不出来な兄を切り捨てたい。
こちらの望みに対して、動きがあったのは意外な人物からだった。
貴族ではなく、平民としての人生を送りたいと、渦中の兄から相談を、受けたのだ。
「なら、私に考えがあります。」
私は機を逃さなかった。兄はいつも通り何も考えずに飛びついた。面白いほど上手くいっているが、ちっとも笑えないのは、そこにオリヴィアの意思がないからだ。
アンソニーはこれからの計画を遂行することで確実にオリヴィアに悲しい思いをさせることはわかっていた。
それでも、計画を止められない自分の愚かさをオリヴィアには知られたくなかった。
だが、兄の偽物が現れ、オリヴィアと対峙した結果、聡い彼女は気づいたのだ。彼が正真正銘兄のクリスであることに。
彼女は思い悩んだ末にアンソニーに提案を持ちかける。
「アンソニー様、私の共犯になっていただけませんか?」
誰が断れようか。アンソニーは何も言わずに、オリヴィアの細い体を優しく抱きしめた。
兄は入婿になるための教育が必要ではあったが、婚約者となるご令嬢が優秀で後継者教育を受けていたため、兄に課せられた教育は彼女を補佐する程度のもので、それも婚約者の家からそんなにキリキリしなくて良いとお許しが出て、彼は緩やかな幼少期を送った。
それでも、アンソニーは兄を羨ましいとは思ったことがない。自分に与えられた責任や義務をありがたく思っていたからだ。
ただその思いが変わったのは、オリヴィアに再会した頃だ。彼女は初めて会った時の利発そうな雰囲気はそのままに、伯爵令嬢として恥ずかしくない美しい女性に変身していた。
兄はお世辞にも、彼女と釣り合うとは言い難く、いくらあちら側が許したとしても、もう少し教育に力を注いだ方が良いのでは?と父に進言した。
父も思うところはあったらしい。すぐに教育係を配置したが、補佐業務を教えられるのは貴族の夫人であり、ある子爵家の夫人が来てくれることになった。
子爵夫人は貴族の子供の教育係を務めるほど、優秀な人材ではあるが、彼女の教え子達は皆初めは五、六歳の子供達であり、当時十三歳にもなっていた兄は、些か成長し過ぎていた。
子爵夫人は、今思えば兄の好みのタイプであった。だが、子爵夫人はきちんとした貞操観念をお持ちの身持の良い夫人だった為、兄がしつこくアプローチを繰り返す前に教育係を辞退して来た。
十三歳ともなると、徐々に力がつき始める年頃で、兄は剣術などは得意ではなかったが、か弱い女性の一人ぐらいならどうにでも出来ただろう。夫人は聡明な方で、取り返しのつかない状況になる前に、兄の前から居なくなる選択をした。
兄は急に変わった新しい教育係には靡かなかった。子爵夫人とは正反対の、豪胆な女性に食指は動かなかったらしい。
その後も兄は誰に似たのか、好みの女性が現れると、婚約者がいるにもかかわらずお構いなしに、アプローチし、ややこしいことになる、と言うことを繰り返していた。
兄が好む女性は子爵夫人を除くと、平民が圧倒的に多かった。貴族なら淑女教育を学ぶ時期を過ぎるとどのご令嬢も貴族である自覚が生まれ顔つきが以前とは変わる。
それは喜ばしい変化であるのに、兄には気に入らなかったようで、婚約者であるオリヴィアとの間にも、目には見えない薄い溝が音もなく作られていった。
オリヴィアはどんどん美しくなっていく。その頃になると、アンソニーは自らの意思で彼女と距離を置いていた。いくら兄があんなでも、弟も同じように振る舞うなんて言う暴挙は許してはならない。
アンソニーは生まれた恋心を丸々封印した。彼女の姿を目に入れなければ、回避できると愚かにも考えたアンソニーは、後継者教育を理由に領地に引き篭もる。兄には何故かアンソニーが病気だと伝わっていたようだが、兄にも会いたくなかったため、丁度良かった。
兄の子どもを身籠った、と平民の女性が婚約者のオリヴィアに迫ったと聞かされた時はハラワタが煮え繰り返った。
調べてみると、正真正銘の兄の息子であることがわかった。女性は平民ながら裕福な家に生まれたお嬢様で、世間知らずだった。
兄は誰のことも否定せずに受け入れる。来る者拒まず、の精神で婚約者を差し置いてしまう。最初はどちらからのアプローチであれど、受け入れたのは兄である。
兄はその平民の女性にも、オリヴィアにも謝ることはしなかった。彼はいつものヘラヘラした笑顔で自分の言いたいことを言い、周りを混乱させる。彼はその後、平民の女性に何も行動を起こさなかった。子どもまで拵えておいて、どういうつもりかと勘繰ったのだが、どうやら何も考えていないようだ。
アンソニーは次期当主として、彼女に連絡を取ると、彼女の意思を確認したのち、一筆書かせて、環境を整えてやった。
彼女との約束は二つ。彼女は今回のことで、兄の性根を思い知ったようで、こちらからの提案を快く承諾してくれた。
アンソニーは使える駒を二つ手に入れ、時期を待った。
その頃にはオリヴィアの伯爵家とも、意思を確認することができた。伯爵は、オリヴィアの幸せの為に、兄を許さない敵と認定したようで、アンソニーと利害は一致した。
あちらは、出来の悪い婚約者との婚約を解消したい。こちらは、不出来な兄を切り捨てたい。
こちらの望みに対して、動きがあったのは意外な人物からだった。
貴族ではなく、平民としての人生を送りたいと、渦中の兄から相談を、受けたのだ。
「なら、私に考えがあります。」
私は機を逃さなかった。兄はいつも通り何も考えずに飛びついた。面白いほど上手くいっているが、ちっとも笑えないのは、そこにオリヴィアの意思がないからだ。
アンソニーはこれからの計画を遂行することで確実にオリヴィアに悲しい思いをさせることはわかっていた。
それでも、計画を止められない自分の愚かさをオリヴィアには知られたくなかった。
だが、兄の偽物が現れ、オリヴィアと対峙した結果、聡い彼女は気づいたのだ。彼が正真正銘兄のクリスであることに。
彼女は思い悩んだ末にアンソニーに提案を持ちかける。
「アンソニー様、私の共犯になっていただけませんか?」
誰が断れようか。アンソニーは何も言わずに、オリヴィアの細い体を優しく抱きしめた。
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