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第一章
8 ノイの功労
しおりを挟むガインはしっぽをダランと垂らしたまま、部屋を出ていった。
哀愁漂うでっかいフサフサには、ちょっと、いやっ、かなり心惹かれるが、いきなり「触らせて」って言ったら、また勘違いされそうだから止めておこう。
部屋の向こうにガインの気配が無くなると、ノイが急に怒り出した。
「ガイン様がお可哀相ですー!」
何を言う? 茶色の毛玉!
人前で姫抱っこなんかされて、可哀想なのは、この俺だ。
「サミアンに怖がられるからって、俺ごと抱っこしても意味ないだろ?」
「ちーがいますー!ガイン様はクリス様にも、心を開いて頂きたいのですー!」
ノイは、また手をパタパタ振って力説し始めた。しかも同時に地団駄を踏むものだから、顔の右側で茶色の毛玉がポンポン弾み、動きがコミカルすぎて、話の内容が全く頭に入ってこない……
「ガイン様は、モテモテなんですー!モテモテ過ぎるから、自分からアピールするのは苦手なんですー!」
ノイは何が言いたいのだろう?
只の嫌な奴にしか聞こえない。
ガインが可哀想だと言いながら、全然フォローできてないし……
ノイが、一人で話し続けていると、退屈したサミアンが、声をかけてきた。
「おかあたま……」
腕の中のサミアンが温かくなり、心なし目がトロンとしている。どうやら「おねむ」みたいだ。
「いいよ、このまま寝ちゃって……」
「キュウ……」と嬉しそうに鼻を鳴らすと、青い目を閉じて丸くなった。
ノイが茶色の目を丸くして、サミアンを覗き込む。
「どうして眠いって分かったんですかー?」
「眠いと体温上がるんだよ。子供は特に分かりやすい」
「へぇー流石、お母様ですねー」
ノイの顔を見る限り、悪気は無いようだが、こいつには俺をイラッとさせる才能がある。
「お父様だよ。俺は男だからな」
「でもオメガです―」
「…………ノイは違うの?」
「私はベータです。この館の住人で、アルファはガイン様だけですし、オメガはアルファより更に数が少ないんですよー」
自分がオメガと言われても、まるで実感が湧かない。いっそのこと女体化すれば良かったのに……
――中身おっさんって俺なら遠慮するけど……
「ところでクリス様? クリス様のいらした世界では、その妙ちくりんな髪型は普通なのですか?」
「…………はっ?」
お前にだけは言われたくないわっ!
お前に、、だけはっ!!
「なんかキノコみたいで可笑しいですよ?」
と言いながら、クスッっと笑われ、こめかみに青筋が浮かぶのを感じた。
トレードマークだったお洒落マッシュだが、金色に近い茶髪から黒髪に変わったことで、存在感が増し、確かにちょっと芸人チックになっている……
俺は、言い訳がましく髪の色や顔立ちが変わったことを説明した。調子に乗りすぎて、この俺がいかにカッコよく、美しく、世間に受け入れられていたかを熱く、熱く、語ってしまった。
すると……
「そうですかー、それでクリス様は、そんなに偉そうなのですねー」
……って、ほざきやがった。
才能あるどころじゃない。コイツは俺をイラつかせる天才だ!
だが、ツッコミどころ満載のこの男の存在が、サミアンとは別の意味で癒しになっているのも確かだ。全てにおいて無邪気で憎めない。
取り敢えず『髪は伸ばそう』と心に誓った……
熟睡するサミアンを眺めながら、ふと疑問に思ったことを口にする。
「なあ、ノイ……サミアンは『おかあたま』以外は喋れないのか?」
「こちらにいらしてからは、何もお喋りになっておりませんので……ガイン様の話だと、人型の時はもう少しお喋りになられたようですが……」
獣型でも喋れるが、やはり言語は人型の方が習得し易いようだ。言葉を教えようと思っていたのだが、人化を待った方が良さそうだ。
そういえばヒロシは二歳を過ぎてから、ようやく言葉らしきものを話すようになった。最初『お父さん』と言えなくて『ととたん』と呼ばれていたことを思い出す……
腕の中では、サミアンがフスフスと鼻を鳴らして眠っている。焦らずゆっくり育ててあげたい……
獣人の子供は勝手が違うが、ヒロシの時だって、何も分からない所からのスタートだったのだから……
~~~~~~~~~~~~~~~
そんな感じで、サミアンも人化しないまま、2ヶ月ほど月日が流れた。
部屋と庭の往復だけの生活でも、移動中は、使用人や来客に会うことを避けられない。
館に出入りするのは狼と犬の獣人達だ。
ここはガインの家ではなく、代々総長に引き継がれる、いわば官邸のようなものらしい。なので、出入りも多い。
誰も俺を歓迎していないが、特に狼からの当たりがキツイ。狼族にとってガインの力は絶大で、直接何かをされるわけではないが、聞こえる声で嫌味を言われることは日常茶飯事だ。
そんな時は、サミアンが顔をペロペロ舐めて慰めてくれる……
生まれ持っての性質なのか、両親の教育が良かったのかは分からないが、とても優しい子のようだ。
番契約と云うのは、どちらかの死を以て解消されるらしい。
『俺が死ねばいい』と本気で思っている人達に囲まれて過ごすことは、ことのほか神経を疲弊させた……
「ノイ、アレの元気がないようだか、何かあったのか?」
ガインは日に日に元気を失くしていくクリスを心配して、ノイに尋ねた。
「館に出入りする狼達のせいではないでしょうか? 表立って何かされることはありませんが、敵意と云うのは伝わるものです……」
ガイン自身もその空気は感じている。弱い立場の番は尚更だろう。
「お前はどう思う?人間を番にするなど馬鹿げていると思うか?」
「私はクリス様がガイン様の『運命の番』だと信じております。クリス様が昏睡されていた時のガイン様を見れば、信じざるを得ません。ですから、どうか……『アレ』ではなく名前でお呼び下さい。そういうの大事だと思います」
「そ、そうか……」
ガインは思いもよらなかったとばかりに、唖然とした顔で頷いた。
ノイは、世話の焼ける主人の初恋が実るよう祈った……
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