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聖域の闇 第七章・野望(7)
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「しかも、伝承の場は高野山の奥ノ院のとあるお堂。堀田真快大阿闍梨様が立会人だったそうです」
「天真宗の僧侶が高野山で、ですか」
弓削が信じられないと言った顔つきで言った。
「それだけ、お二人が秀でたお方だということでしょう」
ふむ、と首を傾げたままの弓削とは違い、
「総務さんは良くお調べになられましたね」
と、森岡が感心顔で言った。
「門主の野望を阻止するためにも、必死で瑞真寺をお調べになったのでしょう。法主様にまでお訊ねになったほどです」
「法主さんに?」
森岡が首を捻った。
「実は、堀部真快大阿闍梨様は、当初伝承を栄薩現法主様にとお考えになったようなのですが、法主様は遠慮されたようです。何かの折に、その事実を法主様からお聞きになっていた総務さんが、あらためてその際の詳しい経緯をお訊ねになったのです。すると、法主様はご自分が辞退する代わりに栄興前門主を推薦されたそうなのです」
「なぜですか」
弓削も訝しげな顔をした。
「おそらく、御自分より器量がありながら、日の目を見ることのできない栄興前門主のお立場に同情されたのでしょうか」
景山の推量に、
「なるほど、法主さんの御人徳を考えれば有り得ますね」
弓削は得心したが、
「しかし、そのことと現栄覚門主との関りは」
と、森岡が迫った。
「栄覚門主は栄興前門主に、つまり実父であり師に、自らを伝承者にと懇願したそうですが、お前は神村上人に遠く及ばぬ、とにべもなく退けられたそうです」
「なぜそれを」
知っているのか、と森岡が訊く。
「栄興前門主が神村上人への奥義伝承を法主さんに報告されたとき、そうおっしゃったそうです」
「またしても、先生に対する嫉妬ですか」
森岡が苦々しい顔をすると、
「憎悪も加わってかもしれませんね」
と、弓削も言葉を加えた。
「まさしく、実子である栄覚門主の気質を懸念された栄興前門主が、堀部真快大阿闍梨様に奥の院の使用を願われたということだそうです」
景山も同調した。
「ところで、神村上人が現継承者だと言われましたが、次の継承者は決まっているのでしょうか」
弓削が興味深げに訊いた。
「そこまではわかりません」
と答えた景山が、
「いつもお傍にいらっしゃる森岡さんは、何かお気づきになられませんか」
と視線を向けた。
「そのようなこと、全く視界の外のことでしたので見当が付きませんが、ただ天真宗内には候補者はいないのでしょうね」
「どうしてでしょうか」
「お話を聞いた限りでは、神村先生も栄興上人も荒行を十度達成されています。もしそれが天真宗僧侶における資格条件の一つだとすれば、少なくとも現在の天真宗に条件を満足している僧侶は一人もいないと承知しています」
「いえ、それは少し違います」
景山が異議を唱えた。
「たしかに、お二人とも最終的には十度以上荒行を達成されていますが、栄興前門主が奥義を伝承されたときは、まだ八度しか達成されていなかったと伺っています。つまり、継承者がこれはと思う人物であれば伝承できるということです」
「そうなのですか」
弓削も意外という顔をした。
「もっとも、栄興前門主にしろ神村上人にしろ、奥義を継承した者は身に圧し掛かる責任の重さに慄き、更なる高みを目指して修行を重ねられたのでしょう」
景山の達観した口調に、森岡も顎を引いた。
「先生は三十八歳で十度目を達成された後、十一度目までに六年の間があります。なるほど、その六年の閒に、先生は栄興上人の荒行を導かれ、反対に御自身は栄興上人から密教奥義を継承されて、その後の二度の荒行へと繋がったということですか」
森岡は大学時代を思い出していた。
神村が度々修行に入ったため、会えない時期が多々あったのだが、ちょうど新生活を始めたばかりの頃で、深く関心を抱く心の余裕がなかった。
そういうことなら、と森岡が意外なことを口にした。
「お二人にも十分チャンスがありますね」
「えっ?」
「はあ?」
景山と弓削は呆気に取られた声を発した。
「それは有り得ません」
いち早く我を取り戻した景山が断じた。
「いや、有り得ます。お二人ともその若さで五度の荒行を達成されています。しかも此度のご支援で先生の眼鏡に適っています」
「それとこれとは話が違うでしょう」
弓削も恐れ多いといった面で否定した。
「栄興上人は荒行の過程で先生の力量をお認めになったのですよ。人の世の縁なんて同じようなものでしょう」
年齢から言えば、神村から直接伝承されることはないが、その次の候補として推薦される可能性を森岡は示唆したのである。
「……」
二人の口から言葉が出ない。
森岡は泡を食ったような顔が可笑しくて、
「まだ先のことですよ」
気持ちを解すように言い、
「それはそうと、栄覚門主は是が非でも密教奥義継承者という箔を付けたいでしょうね」
と話題を栄覚門主に戻した。
二人は我に戻ったかように顔を引き締めた。
「ただの法主ではないと証明したいでしょうからね」
弓削が皮肉を込め、
「森岡さんの『強烈な衝撃を与える演出』という言葉ではありませんが、信徒に宗粗の血脈者であることを公表するとき、さらに密教奥義の継承者の立場を付加できれば、法主への流れを止めることができなくなるかもしれません」
景山も暗い声で同調した。
森岡は二人に小さく肯き、
「そのためにも、神村先生の継承者を必死に探し出し、籠絡しようとするでしょうね」
と苦々しい顔つきで吐き捨てた。
「天真宗の僧侶が高野山で、ですか」
弓削が信じられないと言った顔つきで言った。
「それだけ、お二人が秀でたお方だということでしょう」
ふむ、と首を傾げたままの弓削とは違い、
「総務さんは良くお調べになられましたね」
と、森岡が感心顔で言った。
「門主の野望を阻止するためにも、必死で瑞真寺をお調べになったのでしょう。法主様にまでお訊ねになったほどです」
「法主さんに?」
森岡が首を捻った。
「実は、堀部真快大阿闍梨様は、当初伝承を栄薩現法主様にとお考えになったようなのですが、法主様は遠慮されたようです。何かの折に、その事実を法主様からお聞きになっていた総務さんが、あらためてその際の詳しい経緯をお訊ねになったのです。すると、法主様はご自分が辞退する代わりに栄興前門主を推薦されたそうなのです」
「なぜですか」
弓削も訝しげな顔をした。
「おそらく、御自分より器量がありながら、日の目を見ることのできない栄興前門主のお立場に同情されたのでしょうか」
景山の推量に、
「なるほど、法主さんの御人徳を考えれば有り得ますね」
弓削は得心したが、
「しかし、そのことと現栄覚門主との関りは」
と、森岡が迫った。
「栄覚門主は栄興前門主に、つまり実父であり師に、自らを伝承者にと懇願したそうですが、お前は神村上人に遠く及ばぬ、とにべもなく退けられたそうです」
「なぜそれを」
知っているのか、と森岡が訊く。
「栄興前門主が神村上人への奥義伝承を法主さんに報告されたとき、そうおっしゃったそうです」
「またしても、先生に対する嫉妬ですか」
森岡が苦々しい顔をすると、
「憎悪も加わってかもしれませんね」
と、弓削も言葉を加えた。
「まさしく、実子である栄覚門主の気質を懸念された栄興前門主が、堀部真快大阿闍梨様に奥の院の使用を願われたということだそうです」
景山も同調した。
「ところで、神村上人が現継承者だと言われましたが、次の継承者は決まっているのでしょうか」
弓削が興味深げに訊いた。
「そこまではわかりません」
と答えた景山が、
「いつもお傍にいらっしゃる森岡さんは、何かお気づきになられませんか」
と視線を向けた。
「そのようなこと、全く視界の外のことでしたので見当が付きませんが、ただ天真宗内には候補者はいないのでしょうね」
「どうしてでしょうか」
「お話を聞いた限りでは、神村先生も栄興上人も荒行を十度達成されています。もしそれが天真宗僧侶における資格条件の一つだとすれば、少なくとも現在の天真宗に条件を満足している僧侶は一人もいないと承知しています」
「いえ、それは少し違います」
景山が異議を唱えた。
「たしかに、お二人とも最終的には十度以上荒行を達成されていますが、栄興前門主が奥義を伝承されたときは、まだ八度しか達成されていなかったと伺っています。つまり、継承者がこれはと思う人物であれば伝承できるということです」
「そうなのですか」
弓削も意外という顔をした。
「もっとも、栄興前門主にしろ神村上人にしろ、奥義を継承した者は身に圧し掛かる責任の重さに慄き、更なる高みを目指して修行を重ねられたのでしょう」
景山の達観した口調に、森岡も顎を引いた。
「先生は三十八歳で十度目を達成された後、十一度目までに六年の間があります。なるほど、その六年の閒に、先生は栄興上人の荒行を導かれ、反対に御自身は栄興上人から密教奥義を継承されて、その後の二度の荒行へと繋がったということですか」
森岡は大学時代を思い出していた。
神村が度々修行に入ったため、会えない時期が多々あったのだが、ちょうど新生活を始めたばかりの頃で、深く関心を抱く心の余裕がなかった。
そういうことなら、と森岡が意外なことを口にした。
「お二人にも十分チャンスがありますね」
「えっ?」
「はあ?」
景山と弓削は呆気に取られた声を発した。
「それは有り得ません」
いち早く我を取り戻した景山が断じた。
「いや、有り得ます。お二人ともその若さで五度の荒行を達成されています。しかも此度のご支援で先生の眼鏡に適っています」
「それとこれとは話が違うでしょう」
弓削も恐れ多いといった面で否定した。
「栄興上人は荒行の過程で先生の力量をお認めになったのですよ。人の世の縁なんて同じようなものでしょう」
年齢から言えば、神村から直接伝承されることはないが、その次の候補として推薦される可能性を森岡は示唆したのである。
「……」
二人の口から言葉が出ない。
森岡は泡を食ったような顔が可笑しくて、
「まだ先のことですよ」
気持ちを解すように言い、
「それはそうと、栄覚門主は是が非でも密教奥義継承者という箔を付けたいでしょうね」
と話題を栄覚門主に戻した。
二人は我に戻ったかように顔を引き締めた。
「ただの法主ではないと証明したいでしょうからね」
弓削が皮肉を込め、
「森岡さんの『強烈な衝撃を与える演出』という言葉ではありませんが、信徒に宗粗の血脈者であることを公表するとき、さらに密教奥義の継承者の立場を付加できれば、法主への流れを止めることができなくなるかもしれません」
景山も暗い声で同調した。
森岡は二人に小さく肯き、
「そのためにも、神村先生の継承者を必死に探し出し、籠絡しようとするでしょうね」
と苦々しい顔つきで吐き捨てた。
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