397 / 399
決意の徒 第九章・幽明(13)
しおりを挟む
やがて無常にも時は過ぎ行き、神村と森岡の最後の対面は終焉を迎えた。
ところが、最後の際になってとんでもないハプニングが生じた。精も魂も尽き果てた神村がお付の者に抱えられるようにして部屋を出て行く寸前だった。
神村は歩みを止め、顔を途中まで森岡の方に振り返ると、いかにも悲しげな顔で口を動かした。
「……」
――む……え……ん?
森岡には、神村が何を言い残したかったのか、定かには読み取れなかった。
――むえんとは無縁……もう先生と俺との縁は切れたということなのか。
だが聞き返す間もなく、神村はそのまま立ち去ってしまったのである。
それまでの様子を見ても、これまでの生き様に照らし合わせても、決してするはずのない神村の苦悶の表情に、森岡は不覚にも呆然とその場に立ち竦んでしまい、師にその真意を訊ねる機会を逸してしまったのである。
――無縁とはいったい……先生は何を言い残したかったのだろうか。
森岡は、その後幾度となく、最後の表情の意味を自らに問い続けてみたが、納得する答えを見つけることはできなかった。
神村との最後の面会の日から、一ヶ月半が過ぎたある日の夜中――。
森岡は、過去のある出来事を夢に見ていた。
それは八年前、神村と多宝塔建立の地を探して、鹿児島へ出向いたときの事だった。車一台がようやく通れるだけの山間を抜ける砂利道にタクシーを走らせていたとき、いきなり神村が車を止めて、獣道らしき道を頼りに、山の中へ入って行った。森岡は訳がわからぬまま、ともかく後を着いて行った。
すると、およそ百メートル分け入ったところに、二十畳ほどの平地があり、十五基の小さな石塔群が人知れず林立していた。
神村によると、それは遊女の墓石群だという。戦国時代、この辺りで金が産出したのに伴い、多くの人夫が集められた。遊女は彼らの慰みのために、強制的に連行された者たちだった。そして残酷な事に、必要がなくなると、口封じのために殺害されたのだという。
神村は、タクシーがその麓を通り掛かったとき、多くの女性たちの霊が石塔の在る方へ消えていったのを見たというのだ。神村はスーツの上に袈裟を掛け、数珠を手にして経を唱え始めた。森岡も目を閉じ、手を合わせてお題目を唱えていた。
それから数分が経ったと思われた。お題目を唱える事に集中していた森岡は、ふと神村の声がしないことに気づいた。目を開けると、石塔の前から師の姿が消えていた。辺りを探しても見つからず、車に戻ったのかと思い、麓に下りようとするが、道に迷って辿り着けない。
「先生、先生どちらですか、先生……先生……」
森岡は必死で神村の名を叫ぶが、虚しく返事は返って来なかった。
早朝、森岡はけたたましい電話の音で夢から起こされた。
久田帝玄から神村正遠の臨終を知らせるものだった。
森岡は静かに受話器を置くと、窓を開けて西の空を仰いだ。
彼は、溢れる想いを心に刻んでいた。
『身は幽明相別つとも、師の魂は永遠に我が心中に有る』と。
ところが、最後の際になってとんでもないハプニングが生じた。精も魂も尽き果てた神村がお付の者に抱えられるようにして部屋を出て行く寸前だった。
神村は歩みを止め、顔を途中まで森岡の方に振り返ると、いかにも悲しげな顔で口を動かした。
「……」
――む……え……ん?
森岡には、神村が何を言い残したかったのか、定かには読み取れなかった。
――むえんとは無縁……もう先生と俺との縁は切れたということなのか。
だが聞き返す間もなく、神村はそのまま立ち去ってしまったのである。
それまでの様子を見ても、これまでの生き様に照らし合わせても、決してするはずのない神村の苦悶の表情に、森岡は不覚にも呆然とその場に立ち竦んでしまい、師にその真意を訊ねる機会を逸してしまったのである。
――無縁とはいったい……先生は何を言い残したかったのだろうか。
森岡は、その後幾度となく、最後の表情の意味を自らに問い続けてみたが、納得する答えを見つけることはできなかった。
神村との最後の面会の日から、一ヶ月半が過ぎたある日の夜中――。
森岡は、過去のある出来事を夢に見ていた。
それは八年前、神村と多宝塔建立の地を探して、鹿児島へ出向いたときの事だった。車一台がようやく通れるだけの山間を抜ける砂利道にタクシーを走らせていたとき、いきなり神村が車を止めて、獣道らしき道を頼りに、山の中へ入って行った。森岡は訳がわからぬまま、ともかく後を着いて行った。
すると、およそ百メートル分け入ったところに、二十畳ほどの平地があり、十五基の小さな石塔群が人知れず林立していた。
神村によると、それは遊女の墓石群だという。戦国時代、この辺りで金が産出したのに伴い、多くの人夫が集められた。遊女は彼らの慰みのために、強制的に連行された者たちだった。そして残酷な事に、必要がなくなると、口封じのために殺害されたのだという。
神村は、タクシーがその麓を通り掛かったとき、多くの女性たちの霊が石塔の在る方へ消えていったのを見たというのだ。神村はスーツの上に袈裟を掛け、数珠を手にして経を唱え始めた。森岡も目を閉じ、手を合わせてお題目を唱えていた。
それから数分が経ったと思われた。お題目を唱える事に集中していた森岡は、ふと神村の声がしないことに気づいた。目を開けると、石塔の前から師の姿が消えていた。辺りを探しても見つからず、車に戻ったのかと思い、麓に下りようとするが、道に迷って辿り着けない。
「先生、先生どちらですか、先生……先生……」
森岡は必死で神村の名を叫ぶが、虚しく返事は返って来なかった。
早朝、森岡はけたたましい電話の音で夢から起こされた。
久田帝玄から神村正遠の臨終を知らせるものだった。
森岡は静かに受話器を置くと、窓を開けて西の空を仰いだ。
彼は、溢れる想いを心に刻んでいた。
『身は幽明相別つとも、師の魂は永遠に我が心中に有る』と。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【R-18】クリしつけ
蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。
彼女の母は蜜の味
緋山悠希
恋愛
ある日、彼女の深雪からお母さんを買い物に連れて行ってあげて欲しいと頼まれる。密かに綺麗なお母さんとの2人の時間に期待を抱きながら「別にいいよ」と優しい彼氏を演じる健二。そんな健二に待っていたのは大人の女性の洗礼だった…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる