黒い聖域

久遠

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決意の徒 第九章・幽明(7)

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 ほんの一時(ひととき)救われた心地の森岡だったが、すぐさま現実に立ち戻った。世俗に生きなければならない彼には、最後にどうしても神村に教えを請いたいことがあったのである。
「先生、本当に今日が最後なのでしょうか」
 噛み締めるように言葉を吐いた森岡に、
「そうだ。この世では今日が君との最後の日となる」
 神村は冷酷にも映る穏やかな表情で答えた。
「では、最後にご教示下さい。先生亡き後、私は何をすれば良いのでしょう。どう生きて行けば良いのでしょう」
 森岡の切実な言葉に、神村はしばらく瞑目した。
 外は早くも日が傾き始めていた。晩秋の沈みゆく陽の光は、庭の木々や草花を薄く照らし、障子の隙間から差し込んだ木漏れ日は、神村の閉じた目や鼻や頬を弱々しくなぞっていった。
 そのそこはかとなく移ろい往く時の流れが、神村と自身の先行きに重なって仕方なく、森岡は虚しい切なさに曝されるばかりだった。 
 やがて、神村はゆっくりと目を見開くと諭すように言った。
「私が生きていれば、こうしただろうということを誰かのためにやりなさい」
 森岡は即座に反論した。
「先生、それは無理です。私は、先生のお力になれることが人生最大の目的であり、喜びだったのです。いえ、生きて行く糧だったのです。その先生の代わりになる人物など、この世にいるはずがありません」
 神村を絶対の存在としていた森岡にとっては、唯一無二の真理だった。
 だが、神村は眉一つ動かさなかった。
「大丈夫だ、森岡君。必ずや君の力を必要とする、また君も支援したいと思う人物が現れる。私に対する想いとは異なるかもしれないが、きっと君の心を動かす人物は現れる。しかし、もし現れなかったら……」
 神村はその先を言い掛けて、口を閉じた。
「もし現れなかったら、何でしょうか。先生教えて下さい。先生……」
 森岡は哀願した。
「いや、止そう。それは、いずれ君自身で悟るときが必ず来る」 
「……」
 森岡は、それ以上神村に催促することはできなかった。神村の表情がそれを許さなかったのである。
 森岡は、これまでがそうであったように、神村亡き後もまた彼の言葉を信じて生きて行くしかなかった。
 神村は森岡への形見として、人生の道筋に関わる段取りをいくつか手配していた。しかし、それを受け取るかどうかは森岡自身の悟りが肝要だった。為に、神村は差し出がましい口を控えたのである。
「ところで」
 と、一転神村が遠慮がちな口調になった。  
「私も君に最後の願いを言っても良いかね」
「もちろんです。どのようなことでもおっしゃって下さい」
 森岡は渇望の目で神村を見た。
 彼は、最後の最後まで神村の力になりたかった。神村の願いが、難題であればあるほど向後の生きる糧になると思っていた。
「一つは、先程話の出た経王寺の後見を君に託したい」
「経王寺にはどなたが入られますか」
「甥の正胤(しょういん)が入る。だが、なにぶん彼はまだ若い。君が後援して、守り立ててやってくれると私も安心できるのだが」
「承知致しました。経王寺は、私にとっても思い入れのある大切なお寺です。必ずや正胤さんを支えて参ります」
「もう一つは、私の夢を引き継いでもらえないだろうか」
「先生の夢……。なるほど、承知致しました。必ずや先生に代わる人物を探し出し、実現致します」
 森岡は力強く宣言した。神村の夢を引き継げば、神村の言った「支援したい人物」に行き当たるかもしれないと思った。
「いや、違う」
 思わず神村は小さく呻いたが、
「ありがとう」
 と言葉を濁した。
 
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