黒い聖域

久遠

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決意の徒 第八章・晋山(5)

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 京都で神村正遠の晋山式が行われていた同刻、東京センチュリーホテルの一室でも、ある秘密の会合が催されていた。
 天真宗八雲御所瑞真寺の当代門主栄覚権大僧正の呼び掛けに応じ、立国会会長の勅使河原公彦、総本山滝の坊の中原遼遠、桂妙寺住職の村田光湛 、桂国寺貫主の坂東明園、相心寺の貫主を辞した一色魁嶺、そして政権与党の重鎮監物照正が顔を揃えていた。
 瑞真寺の門主は、役職に関係なく荒行の回数によって僧階が決まっていた。荒行三回成満で僧正、同五回で権大僧正の僧階が授けられた。
 栄覚は四十七歳。すでに六回の荒行を終えていた。大柄な体躯で、傍目からもその聡明さがわかる顔つきをしている。
「今頃、京都では勝ち誇った宴に酔っていることでしょうな」
 勅使河原の苦々しい言葉に、
「御門主、なぜ神村に塩を送るようなことをなされたのですか」
 と呼応した一色魁嶺の語調には、少し不満の色が滲んでいた。
 プライドの高い彼は、規律委員会で軽い処分に終わったにも拘わらず、むざむざ貫主の座から降ろされたことに納得がいかないのである。
「一色上人、そう怒らないで下さい。今は申せませんが、そう遠からず私の真意がわかるでしょう」
 栄覚は意味深い笑みを浮かべて言った。
「と申されても、神村上人を本妙寺の貫主に据えることには、私も合点が行きませんが」
 村田光湛もまた栄覚の真意を図りかねていた。
「神村上人に関しては、この一年、二年の辛抱で決着が付くとの報告が上がっています」
「誰からですか」
 村田の問いに、栄覚は不適な笑みを零した。
「それは皆様にも申し上げられません。敵を欺くにはまず味方から、との教えもございます」
「では、これ以上の詮索は止めますが、間違いはないのでしょうね」
 村田が念を押した。
 栄覚は黙って肯いたが、
「ですが、さらに大きな障害が出来てしまいました」
 と険しい顔つきで言った。
 はて? と勅使河原が首を捻った。
「御門主のお言葉を信じれば、神村上人の件は片が付くとのこと、では他に誰が障害となるのですかな」
「おわかりになりませんか」
 栄覚の問い掛けに、一同は黙り込んだ。
「森岡洋介という男ですよ」
「森岡?」
「なぜ彼が」
「まさか、そのような」
 一同はそれぞれ唖然として呟いた。
「なるほど、神村上人の宗教人としての足跡にはこの私も頭を下げざるを得ません。もし上人が御宗祖様の直弟子の一人であったなら、必ずや後継に指名されていただろうと思うほどです。ですが、それは大昔の話。現代おいては宗教人として秀でているというだけで法主になれるほど単純ではありません。もっとも上人自身は法主どころか、本妙寺の貫主の座すらも望んでいたかどうかはわかりませんがね」
「まさか、そのような」
 一色魁嶺が疑いの眼差しを向けた。
「確かです。神村上人は、己自身が宗教人としての高みに達することができれば、そして御宗祖様の教えをあまねく世に広めることができれば、僧階や役職には無欲だと思われます。事実、彼一人であれば、私もこのように警戒することもなかったですし、私が手を下さなくとも、法主の座はおろか、本妙寺の貫主の座すら射止められたかどうかも疑わしい」
 栄覚は確信に満ちた表情で言うと、ふっと自虐的な笑みを浮かべた。、
「それを、森岡という男の存在が、この私にここまでのことをさせた」
「では、今後も森岡が門主様の前に立ち塞がるとお思いなのですか」
 勅使河原が穿った目で訊いた。
「彼のその後の人生目的によっては……」
「その後? いったい何の後でしょうか」
 村田が言葉尻を捉えた。
「いえ。何でもありません」
 栄覚が口籠もったのを見て、
「お言葉ですが、御門主は神村上人とは早々に決着が付くと申され、最有力候補の中原上人とも話が纏まった今、森岡が誰を担いだとしても御門主の相手にはならないでしょう」
 村田の言葉に、
「法主の選出権を持つ四十六の子院に、十億ずつ配っても四百六十億程度です。相手が神村上人でなければ、金で済む話ではないでしょうか」
 と、勅使河原も同調した。
「いや、それは避けたいと思います。その程度の金なら、早晩森岡も手に入れることでしょう」
「では二十億」
「それはいけません、ますます買収競争になるばかりで、宗門の品位を著しく落とします」
 栄覚は不快感を滲ませて言った。
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