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決意の徒 第四章・談合(7)
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そうではありません、と森岡は首を横に振る。
「前回、妙智会が一致結束したのは、憚りながら藤井兄弟の専横に対する異議という大義名分があったからです。しかし、今回はそれがありません。永井宗務総長は、一応私たちと歩調を合わされたのですから、表面上は裏切ったことにはなりません」
「そう言われれば、そうですね。となると、仮に宗務総長が我々を裏切っていたとしても、彼は痛くも痒くもないのですね」
景山の虚しい呟きに、森岡は歯軋りしながら、
「どちらが裏切ったにせよ、悔しいですが、私の完敗です」
と絶望の声で呻いた。
本妙寺新貫主を選出する合議まで、残り僅かに三日。
「策士、策に溺れる」とはこのことで、今となっては一色魁嶺に対する規律委員会を合議の直前に開催させたことが裏目に出た格好となった。
栄覚門主に反撃する暇を与えないつもりが、まるでブーメランのように自身に跳ね返ってしまったのである。
かつての岡崎家での総務清堂との密会を、あるいは坂根好之の枕木山での行動を漏らしたのは宗務院ではないかと疑っていた。それはつまり、宗務院の中に瑞真寺への内通者を認めていたはずである。
その後、総務清堂との密会は、岡崎家の女将がやむなく勅使河原公彦に漏らしたものだと判明したが、宗務院への疑念は残ったままだった。
だが、まさかそれが永井宗務総長か中原宗務次長のどちらかなどとは思いも寄らないことだった。永井宗務総長とは、久田帝玄の醜聞事件を通じて気脈が通じていると信じていたし、中原宗務次長は中原是遠の実子で、神村正遠の弟弟子なのである。
中原遼遠に関して、景山には賢しらに言った森岡だったが、彼もまたこのような事態に陥って、初めて久田帝玄の嫉妬という言葉を思い出していたのである
しかしながら、事ここに至っては一切の言い訳は通らなかった。
景山律堂には注意を促しながら、万が一の情報漏れの危惧を予見できなかった詰めの甘さの代償を払わされる結果となったのである。
完全なる森岡の敗北であり、彼が描く神村の将来計画が足元から瓦解した瞬間でもあった。神村の僧階は「僧正」であり、久田帝玄の後を継いで別格大本山法国寺の貫主に上がるには、まず大本山または本山の貫主を務め「権大僧正」の僧階を得なければならなかった。
今回、大本山本妙寺の貫主の座を逃すことになれば、またいずれかの大本山か本山の執事長から始めるか、貫主に欠員が出て、しかもその執事長が無資格者で選挙になった場合しか機会が無かった。栄薩現法主や総務藤井清堂、あるいは久田帝玄が心を砕いたとしても、それなりの時間を覚悟しなければならないのである。
「そうそう」
と、森岡の心中を察して、景山が話題を転じた。
「先日の瑞の坊ですが、森岡さんの勘は当っていました」
「因縁があったのですね」
「瑞真寺は室町時代に建立されたのですが、その懸案を推進した時の宗務総長が瑞の坊の三輪円尚(えんしょう)上人だったのです」
「なるほど、それで一字貰い受けたのですね」
「当時は興寿院という子院でしたが、後に宿坊を開いたとき、一字を授かり瑞の坊と名付けたそうです」
景山は謂れを説明すると、
「ですが、現在の三輪円乗(えんじょう)上人が瑞真寺に加勢をしている気配はありません」
と最後に一言付け加えた。
――しかし、何か引っ掛かる。
森岡にはわだかまりが残ったが、もはやその原因を突き止めるだけの気力は残っていなかった。
「前回、妙智会が一致結束したのは、憚りながら藤井兄弟の専横に対する異議という大義名分があったからです。しかし、今回はそれがありません。永井宗務総長は、一応私たちと歩調を合わされたのですから、表面上は裏切ったことにはなりません」
「そう言われれば、そうですね。となると、仮に宗務総長が我々を裏切っていたとしても、彼は痛くも痒くもないのですね」
景山の虚しい呟きに、森岡は歯軋りしながら、
「どちらが裏切ったにせよ、悔しいですが、私の完敗です」
と絶望の声で呻いた。
本妙寺新貫主を選出する合議まで、残り僅かに三日。
「策士、策に溺れる」とはこのことで、今となっては一色魁嶺に対する規律委員会を合議の直前に開催させたことが裏目に出た格好となった。
栄覚門主に反撃する暇を与えないつもりが、まるでブーメランのように自身に跳ね返ってしまったのである。
かつての岡崎家での総務清堂との密会を、あるいは坂根好之の枕木山での行動を漏らしたのは宗務院ではないかと疑っていた。それはつまり、宗務院の中に瑞真寺への内通者を認めていたはずである。
その後、総務清堂との密会は、岡崎家の女将がやむなく勅使河原公彦に漏らしたものだと判明したが、宗務院への疑念は残ったままだった。
だが、まさかそれが永井宗務総長か中原宗務次長のどちらかなどとは思いも寄らないことだった。永井宗務総長とは、久田帝玄の醜聞事件を通じて気脈が通じていると信じていたし、中原宗務次長は中原是遠の実子で、神村正遠の弟弟子なのである。
中原遼遠に関して、景山には賢しらに言った森岡だったが、彼もまたこのような事態に陥って、初めて久田帝玄の嫉妬という言葉を思い出していたのである
しかしながら、事ここに至っては一切の言い訳は通らなかった。
景山律堂には注意を促しながら、万が一の情報漏れの危惧を予見できなかった詰めの甘さの代償を払わされる結果となったのである。
完全なる森岡の敗北であり、彼が描く神村の将来計画が足元から瓦解した瞬間でもあった。神村の僧階は「僧正」であり、久田帝玄の後を継いで別格大本山法国寺の貫主に上がるには、まず大本山または本山の貫主を務め「権大僧正」の僧階を得なければならなかった。
今回、大本山本妙寺の貫主の座を逃すことになれば、またいずれかの大本山か本山の執事長から始めるか、貫主に欠員が出て、しかもその執事長が無資格者で選挙になった場合しか機会が無かった。栄薩現法主や総務藤井清堂、あるいは久田帝玄が心を砕いたとしても、それなりの時間を覚悟しなければならないのである。
「そうそう」
と、森岡の心中を察して、景山が話題を転じた。
「先日の瑞の坊ですが、森岡さんの勘は当っていました」
「因縁があったのですね」
「瑞真寺は室町時代に建立されたのですが、その懸案を推進した時の宗務総長が瑞の坊の三輪円尚(えんしょう)上人だったのです」
「なるほど、それで一字貰い受けたのですね」
「当時は興寿院という子院でしたが、後に宿坊を開いたとき、一字を授かり瑞の坊と名付けたそうです」
景山は謂れを説明すると、
「ですが、現在の三輪円乗(えんじょう)上人が瑞真寺に加勢をしている気配はありません」
と最後に一言付け加えた。
――しかし、何か引っ掛かる。
森岡にはわだかまりが残ったが、もはやその原因を突き止めるだけの気力は残っていなかった。
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