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決意の徒 第二章・蠢動(3)
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森岡の本領は迅速果断なことである。大阪に戻ると言ったのは、最寄りの米子空港からも、同じ島根の出雲空港からも千歳空港への直行便が無かったからである。
「そうこなくては」
傍らに置いていたボストンバッグをポンポンと叩いた相良は、端からそのつもりで準備していたのだと言った。
「統万、あれを」
と、森岡が声を掛けた。
足立統万はセカンドバッグから空茶封筒を取り出して森岡に手渡した。
「これは情報料だ」
「とんでもない。まだどうなるかわかりませんし、前回も過分に頂きました」
森岡が差し出した茶封筒を相良が押し返した。厚みから推測すると百万円である。
「邪魔にはならん、取って置け」
「お金は要りません、その代り頼みがあるのですが」
相良が恐縮そうに切り出した。
「ほう、お前にしては神妙だな。何だ」
「実は、来年の春に亡き祖父の十三回忌法要があるのですが」
と言って相良がその先の言葉を躊躇った。
「どうした。本当にお前らしくないな」
「それが、父が申しますにはその法要の導師を御前様にお願いできないものかと」
「親父さんが御前様に、ってか」
「私が父に先輩と御前様の関係を話したものですから」
相良は肩を窄めて森岡を見た。
しばらく沈思していた森岡は、
「お前のお祖父さんは天山修行堂で荒行をされていたか」
と訊ねた。
「一度だけですが、先代帝法上人様にご教示を賜ったと聞いています」
「法縁はあるということか」
森岡は蕎麦を口に入れながら再度思案した。
「わかった。御前様には俺が頼んでみよう」
「有難うございます」
相良は歓喜して頭を下げた。
「だが、物入りになるぞ」
「承知しています。交通費や宿泊費の他にお礼は五十万用意します」
森岡が厳しい顔つきで相良を見た。
「甘いのにも程があるぞ」
「はあ」
相良は思いも寄らない森岡の口調に動揺した。
「お前、天真宗の坊主にしちゃあ、御前様の値打ちを知らないようだな」
森岡は先刻の仕返しとばかりに言った。
「では、いくら包めば良いのですか」
「まず、御前様ご本人には最低でも百万」
「まず?」
「お前なあ、御前様に導師をお願いするとして、脇導師は誰が務めるのだ」
「父では駄目ですか」
「失礼だが、親父さんの僧階は」
「権大僧都です」
聞こえは良いが、天真宗で言えば上から六番目の僧階でしかない。ちなみに天真宗では、上から大僧正、権大僧正、僧正、権僧正、大僧都、権大僧都、僧都、権僧都……、と続く。
「……だろう。権大僧正の脇導師を権大僧都が務められると思うか」
「ああ……」
相良はようやく次第が呑み込めた。
「同じ権大僧正でも、御前様は影の法主とも呼ばれるほど別格なお方。少なくとも他に権大僧正を一人、僧正か権僧正を二人従えなければ格好が付かない」
「ではいくらになりますか」
相良は恐る恐る訊いた。
「権大僧正に五十万、僧正あるいは権僧正に三十万ずつの、合計二百万ちょっとかな。諸経費を入れると三本にはなるな」
「三百万」
相良は茫然となった。当初の目論見の約四倍である。
「相良、さっき前回分は過分だったと言ったな」
「は、はい」
「ならば」
と、再び統万に目配せをした。
統万はセカンドバッグから札束を一つ取り出して森岡に確認した。だが、微かに首を横に振ったのを見てもう一束掴んで森岡に渡した。三つではないことは、森岡の過分という言葉でわかっている。
「黙ってこれを受け取れ」
森岡は、受け取った二百万円を茶封筒の上に載せて相良に差し出した。
「しかし……」
「俺に遠慮はするな。ただし情報の裏を話して貰うぞ」
有無を言わせぬ体で言った。
「わかりました」
「それとな、相良。お前、御前様に導師をお願いするもう一つの意味はわかっているだろうな」
「はあ?」
相良は、いかにも間抜けな声を出した。
「それもわからないのか、呑気なものだな」
「何かありますか」
「天山修行堂で荒行を積むことになるぞ」
「私が? ま、まさか」
相良にとっては青天の霹靂だった。
相良は、島根県西部の浜田という街の末寺を継ぐ身である。その資格は、総本山か大本山または本山での所定の修行を済ませれば得ることができ、荒行は必要なかった。
「この話、親父さんが言い出したのだったな」
はい、と肯いた相良の顔が歪んだ。
「あちゃあ、親父は端からそれも目的で」
ふふふ……、と森岡は同情とも激励とも付かぬ笑みを浮かべ、
「相良、まんまと嵌められたな。まあ、親心だと思って諦めろ」
と引導を渡した。
「そうこなくては」
傍らに置いていたボストンバッグをポンポンと叩いた相良は、端からそのつもりで準備していたのだと言った。
「統万、あれを」
と、森岡が声を掛けた。
足立統万はセカンドバッグから空茶封筒を取り出して森岡に手渡した。
「これは情報料だ」
「とんでもない。まだどうなるかわかりませんし、前回も過分に頂きました」
森岡が差し出した茶封筒を相良が押し返した。厚みから推測すると百万円である。
「邪魔にはならん、取って置け」
「お金は要りません、その代り頼みがあるのですが」
相良が恐縮そうに切り出した。
「ほう、お前にしては神妙だな。何だ」
「実は、来年の春に亡き祖父の十三回忌法要があるのですが」
と言って相良がその先の言葉を躊躇った。
「どうした。本当にお前らしくないな」
「それが、父が申しますにはその法要の導師を御前様にお願いできないものかと」
「親父さんが御前様に、ってか」
「私が父に先輩と御前様の関係を話したものですから」
相良は肩を窄めて森岡を見た。
しばらく沈思していた森岡は、
「お前のお祖父さんは天山修行堂で荒行をされていたか」
と訊ねた。
「一度だけですが、先代帝法上人様にご教示を賜ったと聞いています」
「法縁はあるということか」
森岡は蕎麦を口に入れながら再度思案した。
「わかった。御前様には俺が頼んでみよう」
「有難うございます」
相良は歓喜して頭を下げた。
「だが、物入りになるぞ」
「承知しています。交通費や宿泊費の他にお礼は五十万用意します」
森岡が厳しい顔つきで相良を見た。
「甘いのにも程があるぞ」
「はあ」
相良は思いも寄らない森岡の口調に動揺した。
「お前、天真宗の坊主にしちゃあ、御前様の値打ちを知らないようだな」
森岡は先刻の仕返しとばかりに言った。
「では、いくら包めば良いのですか」
「まず、御前様ご本人には最低でも百万」
「まず?」
「お前なあ、御前様に導師をお願いするとして、脇導師は誰が務めるのだ」
「父では駄目ですか」
「失礼だが、親父さんの僧階は」
「権大僧都です」
聞こえは良いが、天真宗で言えば上から六番目の僧階でしかない。ちなみに天真宗では、上から大僧正、権大僧正、僧正、権僧正、大僧都、権大僧都、僧都、権僧都……、と続く。
「……だろう。権大僧正の脇導師を権大僧都が務められると思うか」
「ああ……」
相良はようやく次第が呑み込めた。
「同じ権大僧正でも、御前様は影の法主とも呼ばれるほど別格なお方。少なくとも他に権大僧正を一人、僧正か権僧正を二人従えなければ格好が付かない」
「ではいくらになりますか」
相良は恐る恐る訊いた。
「権大僧正に五十万、僧正あるいは権僧正に三十万ずつの、合計二百万ちょっとかな。諸経費を入れると三本にはなるな」
「三百万」
相良は茫然となった。当初の目論見の約四倍である。
「相良、さっき前回分は過分だったと言ったな」
「は、はい」
「ならば」
と、再び統万に目配せをした。
統万はセカンドバッグから札束を一つ取り出して森岡に確認した。だが、微かに首を横に振ったのを見てもう一束掴んで森岡に渡した。三つではないことは、森岡の過分という言葉でわかっている。
「黙ってこれを受け取れ」
森岡は、受け取った二百万円を茶封筒の上に載せて相良に差し出した。
「しかし……」
「俺に遠慮はするな。ただし情報の裏を話して貰うぞ」
有無を言わせぬ体で言った。
「わかりました」
「それとな、相良。お前、御前様に導師をお願いするもう一つの意味はわかっているだろうな」
「はあ?」
相良は、いかにも間抜けな声を出した。
「それもわからないのか、呑気なものだな」
「何かありますか」
「天山修行堂で荒行を積むことになるぞ」
「私が? ま、まさか」
相良にとっては青天の霹靂だった。
相良は、島根県西部の浜田という街の末寺を継ぐ身である。その資格は、総本山か大本山または本山での所定の修行を済ませれば得ることができ、荒行は必要なかった。
「この話、親父さんが言い出したのだったな」
はい、と肯いた相良の顔が歪んだ。
「あちゃあ、親父は端からそれも目的で」
ふふふ……、と森岡は同情とも激励とも付かぬ笑みを浮かべ、
「相良、まんまと嵌められたな。まあ、親心だと思って諦めろ」
と引導を渡した。
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