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決意の徒 第一章・疑念(9)
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瑠津は噛み砕くように説いた。
「茜さん、当時の灘屋は、それはそれは相当な権勢家だったのよ。その旧家のお嫁さんに子供ができないということが、どれほど不都合なことだったか。むろん、お父様に原因があるのだけれど、灘屋の総領に子供を作る能力がないことなど、世間に憚れることだったのね」
名家に生まれ育った瑠津には容易に理解できることだった。
「お母様に明確な原因があれば、おそらく離縁して新しい奥様を迎えられたのでしょうけど、もし離縁して、再婚されたお母様が子供を生んでしまわれたら、それこそお父様に原因があったと知らしめることになるでしょう」
「それでお祖父様とお母様が相談し、苦渋の決断をされたということですか」
と言った茜が、そうかと呟いた。
「洋介さんを連れて行かなかったお母様の心情が初めてわかった気がします」
「そうね。森岡君が傍にいれば、ずっとご自分の不義を後悔して生きることになるわね」
と言って瑠津が茜を見つめた。
「彼は、俺は生まれてはいけなかった悪魔の子かもしれない、と苦しんでいたの」
「悪魔って、そんな……」
茜は言葉を継ぐことができなかった。
「確かに、悪魔だなんて思い込みが激し過ぎるけど、実は彼には思い当る節があったらしいの」
「……」
「彼は、幼い頃不思議と人の心が読めたらしいの」
「霊感ですか」
「そうかもしれないわね。彼はお祖父様の胡坐の上に座って来客を見ていると、不思議と本心なのか嘘を言っているのかがわかったと言っていたわ。お祖父様はたいそう可愛がられたようだけど、親戚や村人の中には気味悪がって近づかない者もいたらしいの」
「そんなことが……、でも、彼なら有り得ることかも」
「何か聞いているの」
「彼のお祖母様と曾祖母様も霊力がお有りになったらしいのです」
「なるほど、血筋ということね」
「しかも灘屋は、先の真言宗金剛峰寺の座主であられた堀部真快大阿闍梨様とは先祖が同じとか」
「本当なの」
瑠津は信じられないという顔をした。
はい、と茜は洋一の遺言書の内容を明かした。
「そうだとしたら、ますます彼に霊力があっても何の不思議もないのに、それを不義の末に生まれた悪の産物に結び付けてしまったのね」
「悲しい不幸が続きましたから、悪い方、悪い方へと考えてしまったのでしょう」
「でも、中学へ上がった頃からその力は消えたらしいの」
「霊感自体は今も消えているようですが、彼の洞察力と推理力はその名残りなのでしょう」
そうかもしれないわね、と瑠津は肯いた。
「もう一度言いますが、あくまでも森岡君の推量ですよ」
瑠津は念を押した。
茜は黙って軽く顎を引いた。
「ただ、そう考えるとすべての辻褄が合うと彼は言っていたわ」
「確かめることはできなかったのですか」
「お父様がお亡くなりになったのは、彼が十一歳のときよ。少年の彼は何も疑ってはいなかった。彼が疑念を持ったのは中学を卒業する頃だったということよ」
茜は、そうだという顔をした。
「お祖母様は? お祖母様なら、何かご存知ではなかったのではないしょうか」
ううん、瑠津は虚しい目をして首を振った。
「森岡君にそのような酷いことはできないわ。もし、お祖母様が何もご存知なかったら、唯一の肉親であるお祖母様まで苦しめることになるのよ」
「そうですね」
茜も力なく肯くと、
「彼が疑念を抱いたきっかけは何だったのですか」
と話題を戻した。
「一つは、お祖父様とお母様の不義の噂が村中に広がって、彼の耳に入ったらしいの」
「まあ……」
茜は顔を歪めた。
「幸いにも、まだ幼かったから、そのときは意味もよくわからず、すぐに忘れてしまったらしいけど、中学卒業を間近にしたある日、衝撃的な言葉を耳にしたらしいの」
「どのような」
茜はごくりと唾を呑んだ。
「茜さん、当時の灘屋は、それはそれは相当な権勢家だったのよ。その旧家のお嫁さんに子供ができないということが、どれほど不都合なことだったか。むろん、お父様に原因があるのだけれど、灘屋の総領に子供を作る能力がないことなど、世間に憚れることだったのね」
名家に生まれ育った瑠津には容易に理解できることだった。
「お母様に明確な原因があれば、おそらく離縁して新しい奥様を迎えられたのでしょうけど、もし離縁して、再婚されたお母様が子供を生んでしまわれたら、それこそお父様に原因があったと知らしめることになるでしょう」
「それでお祖父様とお母様が相談し、苦渋の決断をされたということですか」
と言った茜が、そうかと呟いた。
「洋介さんを連れて行かなかったお母様の心情が初めてわかった気がします」
「そうね。森岡君が傍にいれば、ずっとご自分の不義を後悔して生きることになるわね」
と言って瑠津が茜を見つめた。
「彼は、俺は生まれてはいけなかった悪魔の子かもしれない、と苦しんでいたの」
「悪魔って、そんな……」
茜は言葉を継ぐことができなかった。
「確かに、悪魔だなんて思い込みが激し過ぎるけど、実は彼には思い当る節があったらしいの」
「……」
「彼は、幼い頃不思議と人の心が読めたらしいの」
「霊感ですか」
「そうかもしれないわね。彼はお祖父様の胡坐の上に座って来客を見ていると、不思議と本心なのか嘘を言っているのかがわかったと言っていたわ。お祖父様はたいそう可愛がられたようだけど、親戚や村人の中には気味悪がって近づかない者もいたらしいの」
「そんなことが……、でも、彼なら有り得ることかも」
「何か聞いているの」
「彼のお祖母様と曾祖母様も霊力がお有りになったらしいのです」
「なるほど、血筋ということね」
「しかも灘屋は、先の真言宗金剛峰寺の座主であられた堀部真快大阿闍梨様とは先祖が同じとか」
「本当なの」
瑠津は信じられないという顔をした。
はい、と茜は洋一の遺言書の内容を明かした。
「そうだとしたら、ますます彼に霊力があっても何の不思議もないのに、それを不義の末に生まれた悪の産物に結び付けてしまったのね」
「悲しい不幸が続きましたから、悪い方、悪い方へと考えてしまったのでしょう」
「でも、中学へ上がった頃からその力は消えたらしいの」
「霊感自体は今も消えているようですが、彼の洞察力と推理力はその名残りなのでしょう」
そうかもしれないわね、と瑠津は肯いた。
「もう一度言いますが、あくまでも森岡君の推量ですよ」
瑠津は念を押した。
茜は黙って軽く顎を引いた。
「ただ、そう考えるとすべての辻褄が合うと彼は言っていたわ」
「確かめることはできなかったのですか」
「お父様がお亡くなりになったのは、彼が十一歳のときよ。少年の彼は何も疑ってはいなかった。彼が疑念を持ったのは中学を卒業する頃だったということよ」
茜は、そうだという顔をした。
「お祖母様は? お祖母様なら、何かご存知ではなかったのではないしょうか」
ううん、瑠津は虚しい目をして首を振った。
「森岡君にそのような酷いことはできないわ。もし、お祖母様が何もご存知なかったら、唯一の肉親であるお祖母様まで苦しめることになるのよ」
「そうですね」
茜も力なく肯くと、
「彼が疑念を抱いたきっかけは何だったのですか」
と話題を戻した。
「一つは、お祖父様とお母様の不義の噂が村中に広がって、彼の耳に入ったらしいの」
「まあ……」
茜は顔を歪めた。
「幸いにも、まだ幼かったから、そのときは意味もよくわからず、すぐに忘れてしまったらしいけど、中学卒業を間近にしたある日、衝撃的な言葉を耳にしたらしいの」
「どのような」
茜はごくりと唾を呑んだ。
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