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本編第二章

覆面作家の正体です2

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作中に昨今の時事ニュースに似通った話が出てきます。もともとこの話の構想は2022年の時点であったものです(正確に言うと、歌劇団設立のお話のあたりにはすでにプロットができていました)。ニュースとはまったく無関係であり、いたずらな気持ちでタイムリーに採用したわけではないことをあらかじめお断りしておきます。なお非常に痛ましい事件であったと、私自身も受け止めていますし、2度と起きてほしくない問題であると強く思います。
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「初めてお目にかかります。ガイ・オコーナーと申します」

 そう礼儀正しくお辞儀する青年は、なんというか……大きかった。

「えっと、その、ずいぶん大きくていらっしゃいますね」

 うっかり自己紹介をすっとばすくらいに、とにかく圧倒的にでかくて驚いた。

「むさ苦しくて申し訳ありません。身長が2メートルありまして、家でも母によく“恐いから黙って背後に立つな”と叱られます」

 言いながら背中を丸める青年は、背丈だけでなく横幅も大きかった。太っているわけではなく、筋肉質というヤツだ。庶民らしい厚手のシャツを着込んでいるが、その上からでもわかる胸と腕の厚さが逞しい。私とケイティが2人で座っているソファと同じものが対面にあって、彼はそこに案内されたのだけど、2人掛けのソファが完全に1人用と化している。ちなみにケイティは目を見開いたままだ。憧れのシャティ・クロウ女史が青年男性だという情報は事前に与えていたけれど、ここまでムッキムキの男の人が現れるとはさすがに想像していなかったのだろう。加えてその風貌も厳つい雰囲気で、ひと睨みされようものなら裸足で逃げ出したくなるくらいの強烈なインパクトがある。例えていうなら熊っぽいというか……。

 これが、王都中の乙女の心を虜にした小説家の真の姿。なんというか……ギャップがすごい。ケイティは……うん、まだ衝撃から立ち直っていない。時間がないから待たずに進めることにした。

 一足早く立ち直った私は自己紹介が遅れた非礼を詫びた。こんな子どもが仕事の依頼など信じてもらえないかもしれないがと付け加える。

 けれどガイさんは首を振った。

「ライトネルさんとキャロルさんが一目置かれるお嬢様だと伺っています。私なんかよりずっと聡明でいらっしゃる方が、わざわざご指名くださったことを大変光栄に思います」

 双子の名声は私が考える以上に広がっているらしい。その双子に認めてもらえているのはこそばゆい感じもするけれど、おかげで不審がられることなく話が進みそうだ。

「さっそくなんですが、こちらをご覧ください。トゥキルス産のサボテンの花を乾燥させたもので作ったサシェです」

 アンジェロがその天才的な鼻で組み合わせたサンプルを、私は差し出した。ガイさんとサウル副会頭が手にとって、匂いを確かめる。

「これは……!」
「ほう、素晴らしい香りですな。事前にお話は聞いていましたが、これほどとは」

 サウル副会頭は新店舗の準備をはじめもろもろ手伝ってくれた人だが、実際に商品として出す予定のアンジェロ作のサンプルを確認するのは初めてだった。

「今まで経験したことがない香りですね! こちらはしっとりとした素直な香り、例えて言うなら月光の中で踊る妖精のような……こちらはもっと華やかで、その中にスパイシーな刺激がある……常春の世界に鳴り響く稲妻の刺激とでも言いましょうか」

 うっとりと香りを楽しむガイさんとサウル副会頭の姿に、私はビジネスの成功の予感を掴んだ。

「お褒めに預かり光栄です。こちらの2種類は調香師がブレンドしたものの中から、最高のものを選び出しました。じつは、販売にあたってイメージしているものがありまして。そうよね、ケイティ」
「は、はい! 1つ目の香りは、清純で何物にも染まらない光、そこに佇む乙女の姿を彷彿とさせ、まさしく恋月夜の一編と言えます!  ヒロインが騎士との逢瀬を重ねるバルコニーのシーン……そこに降り注ぐ月の光のようです。2つ目は、晴れて結ばれたヒロインと騎士の平和な時間が、突然の事件で壊されて再び離れ離れになる、続編の“永遠の祈り”そのものだと思うんです!」

 胸に小説を書き抱き、ケイティは身を乗り出して熱く語り始めた。

「この香りにこれほどふさわしい名前がありますでしょうか! 私はこの香りに包まれてこの小説を読みながら眠りにつきたい……!」

 頬を染めながら本を抱き寄せるケイティ。驚愕から一転してのスイッチオンに、サウル副会頭もガイさんも目を丸くしていた。

「ケイティ、あなたの気持ちはよくわかったから、落ち着いて、ね? サウルさんもガイさんもびっくりされてるから……」
「え? あ!! すみません! 私ったら……っ!」

 いつもはびしっとしたキャリアウーマンが慌ててすとん、と座り込む。抱きしめていた本に今更気づいて、それを背中に押し込んだ。

「ははっ、お嬢さんもシャティ・クロウに魅せられたクチですかな」

 サウル副会頭は気分を害することなく、ケイティを優しい目で見つめていた。

「はい……! 恋月夜を好きにならない女性などいるでしょうか! 本当にロマンティックで、心を揺さぶる素晴らしい作品ですもの」
「……その、ありがとうございます。ケイティさんのような方に喜んでいただけて大変光栄です。小説の出版にはずいぶん悩みましたが、出してよかったと思います」

 コワモテの顔にはにかんだ笑顔らしきものを浮かべるガイさんも、心象を悪くした印象はない。ひやっとしたけれど、これでさらに提案がしやすくなった。

「こちらのお願いというのは、シャティ・クロウさんの小説“恋月夜”と“永遠の祈り”という名前をお借りしたいということなんです。この2つの香りに、その名前を冠して販売したいと考えています」

 私はこのビジネスを始めることになった由縁について、彼に説明した。隣国トゥキルスの王族が絡むビジネスということも押し出した。平民の彼に対して権威をちらつかせるのは申し訳ないが、使える札は使った方がいい。

 案の定、ガイさんは驚くのを通り越して、真っ青になった。

「王族が絡んだビジネス……そんな、ものに、私が関わるなんて……!」

 コワモテの顔は今度は泣きそうな表情になったりと、何やら忙しい。脅しているようで大変申し訳ないが、その分、彼の執筆状況改善に協力はするつもりだ。

 慌てふためくガイさんを横目で見ながら、サウル副会長が付け加えた。

「実は、恋月夜に関しては、何度か“舞台化したい”と王立劇場からも申し出がありましてね。しかし、ガイはそれを断っているのですよ」
「え、そうなのですか?」

 私は彼とガイさんを交互に見つめた。

「はい。舞台化のお話は大変ありがたいことだとは思うのですが、あの作品は私も非常に思い入れのあるものでして、自分の預かり知らぬところで改編などされることが恐いのです。かといって今の私には舞台制作に関わる時間もありません。ですので泣く泣くお断りした次第です」
「ご自分の作品の世界観を大事にしてらっしゃるのですね」
「はい、こんな平民の書く単なる娯楽小説のくせに、何を生意気なことをと思われるかもしれませんが……」
「いいえ、それはとても大切なことです。私も、ガイさんの意思に反して我を押し通そうとは思いません」

 ビジネス的にはどうしても引き入れたい人ではあるが、彼の矜持を奪うつもりはない。彼と私は対等。そう口にすると、彼はゆるやかに笑った。

「アンジェリカお嬢様。このお話、お受けいたします」
「本当ですか!?」
「えぇ。発表して数年経つものに、今でも興味を持ってくださっている方々がいらっしゃることはとてもありがたいことだと思っています。そして未だに続きを求めるお声が出版社に届いていることも知っています。しかし、今の私にはその声に応える力がありません。代わりにこのサシェが世に出てくれるなら、ケイティさんのような、今でも小説を愛してくださる方々に、私の想いを届けることができると思うのです」

 そうしてガイさんは、ケイティの方を見た。

「私は覆面作家ですから、ファンの方々のお声を直接うかがう機会が今までありませんでした。出版関係者など、数少ない知り合いはいますが、私のこのなりですから、みなさん、どこか不安げで……。ケイティさんのようにまっすぐ声を届けてくださる方にお会いできて、大変嬉しく思っています。おそらく私はもう、この先筆を取ることはできないでしょう。ですからこれが、作家シャティ・クロウからの、ファンの皆様への最後のプレゼントにさせていただきたいと思っています」
「筆を取ることはない……!? どうしてですか!?」

 一度落ち着いたはずのケイティだったが、敬愛する作家の衝撃的な発言を耳にして、再び身を乗り出した。ガイさんは穏やかな表情で、事情を打ち明けた。

「取引先のひとつから、結婚の紹介をいただいていまして。父ももったいない縁だと大変乗り気なのです。世帯を持って、仕事にもさらに精を出せと。お相手は平民ではありますが、うちよりも規模の大きい商売をなさっておられるおうちで、格下のうちが断れる立場にもありません。それに私のような面相の男に結婚を世話していただけるなど、ありがたい話ですから、このお話をお受けすることになると思います」
「そんな……」

 今でさえ休みなく働いている身だ。結婚となれば色々な責任も出てくるものなのだろう。彼自身が好きなことに時間をかけることがますます難しくなってしまう。それが、彼がもう小説を書けない理由ということか。

 家が貧しいのであれば、私がコピーライターの仕事を斡旋してあげられるし、若手芸術家のパトロンであるサウルさんだってなんらかの手が打てるだろう。けれど、そんな事情ではないのがまた難しい。

 仮にここで私が父の権力でも使って、彼に小説を書かせるよう命令したとしたら、ガイさんの父親は貴族からの命令だからと従うかもしれない。けれど命令に従ってしぶしぶ認める父親と、それを憂いながら執筆しなければならない息子の間に、大きな亀裂が入ることになる。サウルさんからの課題は、ガイさんが心置きなく執筆できる環境を整えることだ。それには彼の父親が二心なく息子のことを応援する状況になることが不可欠だ。

 なぜならガイさんはとても優しい人だから。彼の才能があれば、家を出て一人暮らししながら小説を書き続けることだってできるのに、それをせず、父親を支えて家業に精を出している。家族を見捨てられない人なのだとわかる。

 そんな彼の心情を思いながら、私も頷いた。

「わかりました。ということは、今後もうちがプロデュースするサシェに名前をつけていただくことも、今のままでは難しいということですね」
「おそらく父も納得しないと思います。この香り、私はとても素晴らしいものだと思っていますが……」

 小説すらも女子どものものと認めない彼の父親が、香りのビジネスを認めてくれるとは思えない。ガイさんが新規の仕事だと提案したとしても、おそらく首を縦には振らない。

 恋月夜と永遠の祈りの名前使用権は得られたが、この2つでは到底足りない。私は、彼の才能がどうしても欲しかった。それはビジネスを成功に導くための方略だから、というだけではなく、彼の作品で未来が開けた人がいることを知っているからだ。

 そう、孤児院出身のアニエスの存在だ。彼女がその才能を開花させ、今もなお成長しているのは、精霊祭の発表会で恋月夜の朗読劇を披露したことがきっかけだった。中世的な美貌の彼女がヒーローとヒロイン役を声色を変えて演じたあの短いシーンに、王都中の貴族女性が虜になった。それがあれこれ発展した今、うちの領では女性だけの歌劇団を作る構想まで生まれつつある。

 舞台化の話まで出ていたというガイさんの作品。この国に燦然と輝く綺羅星となることが間違いない存在を、葬ってしまうにはあまりにも惜しい。

 けれど、彼の父親を説得できるだけの妙案が思いつかず、しかも結婚の予定まで浮上しているとあっては時間もないときている。

「その、ご結婚については、具体的な日取りも決まっているのでしょうか?」
「いえ、まだそこまでは。2週間後の土曜日に顔合わせの予定です」
「2週間後の土曜日……?」

 なんだか聞き覚えのあるワードに、私はかっと目を見開いた。

「ガイさん! そのお見合い相手の方、どこの方なんですか!?」
「お見合い相手ですか? リンド馬車という貸し馬車事業を展開しているおうちのお嬢さんです。お名前は確か、エリザベスさんとおっしゃるそうで……」
「エリザベスさん!?」

 まさかのここでつながりましたよ……! っていうか王都狭すぎじゃないですかね!




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