上 下
180 / 307
本編第一章

はじめましての宰相様です2

しおりを挟む
 ひとまず私と父は応接室に通された。マクスウェル家の使用人がすぐさまお茶を準備してくれる。

 心なし父も緊張しているようだ。カップを持つ手がいつもよりぎこちない。

 そんな私たちを前に、マクスウェル宰相は鋭く切り込んできた。

「こちらから招待しておきながら申し訳ないのだが、時間も限られている。単刀直入に話したい」
「承知しております」

 父が恭しく答えると、宰相はそのまま顔色を変えず話を続けた。

「本日は、妻の好みに合いそうな料理を紹介してくれるということで、貴殿とキッチンメイドを迎えさせていただいた。既に話がいっているものと思うが、妻は長女を出産後から体調が思わしくなく、特にここ数ヶ月は自室のベッドで過ごしている。医師にも定期的に見てもらっているのだが、容体は一向に回復しない。最近では食事量も落ち込んでしまい、厨房の料理人たちもあれこれ手を尽くしてくれているが、こちらも芳しくない」

 宰相の話はエリオットから聞いたものとほぼ同じだった。私たちは口を挟まず神妙に頷くだけに留める。

「手紙で指示されたとおり、じゃがいものアク抜きについては昨晩のうちに終えられているはずだ。そのじゃがいもを使って、そちらのキッチンメイドと我が家の料理人が協力して調理する手筈だと聞いているが、それで良かっただろうか」
「はい。ただ、事前にもお願いしておりましたとおり、メニューの選定には恐れながら我が娘、アンジェリカの意見も参考にしていただければと思います」
「ふむ……」

 そうして宰相は、この部屋に入って初めて私の方を見た。美しいアイスグレーの双眸が、眼鏡の奥から覗いている。温かみのない、鋭利な刃物の鈍い光のような色。だがその奥に深い洞察を感じさせる、英知の色でもあった。

 宰相の言うとおり、実は昨日のうちに竈門の灰を使ったアク抜きの指示をしておいたので、じゃがいもの準備はばっちりなはずだ。既に厨房にはマリサが向かっているから、何かあったとしても大丈夫なはず。

そして今回の最大の問題は何を作るか、だった。今回は伯爵老や騎士団幹部の皆さんに披露したようなコース料理は初めから考えていない。お相手はベッドに伏せがちな病人だし、前情報で食欲がかなり減退しているとのことだったから、用意するのはほんの一品か二品。今頃厨房に合流したマリサが、マクスウェル家の料理人たちから奥様の好みなどについて情報収集しているはずだ。その情報などをもとにメニューを決めることになっている。

今までとかなり勝手が違う話。そして、今後のさまざまな計画のためにも絶対に失敗できない話。その大事な局面で何を作るかは、極めて重要なテーマになるから、いくら信頼できるマリサといえど丸投げはできなかった。何より、自分が関わらなければと思ったのだ。

 だから私の居場所はここではない。貴族の令嬢のくせに厨房に行くのははしたないと批判されても、私は向かわねばならない。

「バレーリ団長もハイネル公爵もアッシュバーン辺境伯爵も……、そしてロイドも推す御令嬢か。じゃがいもの食用化に成功したのも御令嬢の功績だと聞いている」
「左様にございます。アンジェリカがいなければポテト料理は生まれませんでした。今我が領において、娘ほどこの料理に精通している者はおりません」
「……あいわかった。よかろう。誰か、彼女を厨房に案内しなさい」

 宰相の指示で控えていた使用人のひとりが歩みを寄せた。と同時に、宰相の隣に座していたエリオットが「父上」と声をあげた。

「父上、私も厨房に行ってみてよろしいでしょうか」
「何?」
「じゃがいもの料理とやらができるのをこの目で見てみたいのです。この料理は既に騎士団でも広まっていると聞きました。それに精霊祭で入手したポテトクッキーは孤児院で作られたものです。アッシュバーン家でも既に取り入れられ、今後はハイネル家の領でも採用されると聞いています。私もこの目で見ておきたいのです」

 真剣な表情で父親を見上げるエリオットの横顔は、瞳の色こそ違うものの宰相そっくりだった。顔色を窺わせない宰相と比べ、やや直情型ではあるが、悪くない横顔だ。精霊祭の屋台で、我儘を押し通そうとしたときとはまったく違う。

「……いいだろう。だがおまえは素人だ。見るだけだ。邪魔をするなよ」
「もちろんです! ありがとうございます!!」

 そして飛び上がるように立ち上がったエリオットは晴れやかな笑顔をこちらに向けた。神童と呼ばれる少年の、年相応の晴れやかさがそこにはあった。



 家令に案内されながら長い廊下を進みつつ、エリオットが私に耳打ちしてきた。

「アンジェリカ嬢。君がきてくれて本当に助かったよ。あの父上が、仕事の都合をつけて応対するあたり、本気で期待しているのだと思う」
「宰相様が家においでなのは珍しいのですか?」
「あぁ。日中に家にいることは稀だ。基本的に毎日王宮に出仕しているからな。泊まり込むことも多いし。もちろん精霊のご機嫌をそこねないよう、帰宅もきちんとしているが、家族と時間を過ごすことはとても少ないのだ」

 そんな宰相だが、今回の提案をするや否や、すぐさま時間をとってくれた。期待値が高い、というより、それだけ奥方の症状が危機的ということなのかもしれない。溺れる者藁をも掴む心理状態だ。

 あの冷静沈着な宰相が、一介の男爵家が生み出した怪しい調理法にまで縋りたくなるほど、事態は深刻なのだろう。責任は重大だ。

「マクスウェル侯爵夫人のために、全力を尽くすことをお約束しますわ」

 そう告げたところで、厨房に到着した。




「お嬢様、お待ちしてましたよ」

 笑顔でマリサが迎えてくれる。彼女の背後には数名の料理人らしき人々の姿。家令とともにやってきた私と、とりわけ主家の御曹司の姿に一同が恐縮するのがわかった。エリオットが彼らに労いの挨拶をし、私の紹介をしてくれる。彼らからすれば男爵家も貴族だ。キッチンメイドのマリサだけならまだしも、私の登場も驚きでしかないだろう。私も彼らに挨拶しながら、気兼ねなく仕事に取り組んでいただけるようお願いしたが、侯爵家の使用人たちは教育も行き届いており、固まった表情がなかなか崩れなかった。

 私としてももっと気を遣いたかったが、なにせ時間がない。あの宰相相手でも父なら如才なく応対できるだろうが、共通の話題もそう多くはないだろうからちょっとかわいそうだ。

 私は急ぎマリサと相談した。

「マリサ、奥様の好みはわかった?」
「はい。ただ、奥様はどんなものでも選り好みせず、なんでもお召し上がりになる方だそうですよ。もともと食が細い方だそうで、食事量はそれほを多くなかったそうですが、それでもご出産前までは、調理人たちが作る料理を残すことなく召し上がっていたそうです」

 食の細さは生来のもので、たくさん作ってもらっても残してしまうから、自分の食事は少なめにしてほしいと嫁いだ頃に要望があり、厨房でもそのように対応していたのだという。それでも2人目出産までは十分健康的に過ごしていられたから、そこは大きな問題ではないようだ。味付けの好みに関しても、「侯爵家の食事はなんでもおいしい」と文句をつけることなく召し上がっていたという。

「強いて言えば、甘い物はそれほど多くは召し上がらなかったようです。女性は甘い物が好きだと言いますけれど、そうでない方もおいでですものね」

 甘い物がそれほど好きではないという夫人。確かに孤児院で提供したポテトクッキーは、高価な砂糖を節約したかったことと、じゃがいもの素朴な味を楽しんでもらいたかったことを考えて、甘さ控えめにしてあった。だからこそ夫人の口にあったのかもしれない。

「確かに母上は甘味はそれほど召し上がらなかったが、全然口にしないというほどでもなかったぞ。元気なときはお茶会なども披露していたし、その際には料理人たちも張り切ってお菓子を用意していたからな」
「食べられないというわけではないのですね……」

 となると、病を得たことで味覚が変わった可能性もある。私はここに来る前に集めていた情報を繋ぎ合わせつつ、ふと顔をあげた。

「あの、普段侯爵家ではどんなお料理を提供されているのですか?」
「どんな、って、普通の料理だと思うぞ」
「その普通が知りたいのですが……」

 私の依頼に答えに窮したエリオットが、料理人の方に向かった。

「誰か説明できる者はいるだろうか」
「恐れながら、今晩の食事メニューなら今すぐご案内できますが」

 声を上げたのはがっしりとした体つきの中年男性。ひとりブローチのついたコック帽を被っているところをみると、この人が料理長かもしれない。

「ぜひ教えていただきたいです」
「はぁ……。今晩はメインがシチューの予定でして、昨日から煮込んでいるところです」
「あの、それって味見できませんか?」
「えぇ!?」
「お願いします。侯爵夫人のためのメニューを考案するために必要なことなんです」
「ロータス、私からも頼む」

 主家の令息と超絶美少女からのお願い攻撃に、ロータスと呼ばれた料理長はいろんな意味で断れず、私たちをさらに奥へと案内してくれた。



しおりを挟む
感想 103

あなたにおすすめの小説

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。

克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位 11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位 11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位 11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位

乙女ゲームの悪役令嬢に転生したけど何もしなかったらヒロインがイジメを自演し始めたのでお望み通りにしてあげました。魔法で(°∀°)

ラララキヲ
ファンタジー
 乙女ゲームのラスボスになって死ぬ悪役令嬢に転生したけれど、中身が転生者な時点で既に乙女ゲームは破綻していると思うの。だからわたくしはわたくしのままに生きるわ。  ……それなのにヒロインさんがイジメを自演し始めた。ゲームのストーリーを展開したいと言う事はヒロインさんはわたくしが死ぬ事をお望みね?なら、わたくしも戦いますわ。  でも、わたくしも暇じゃないので魔法でね。 ヒロイン「私はホラー映画の主人公か?!」  『見えない何か』に襲われるヒロインは──── ※作中『イジメ』という表現が出てきますがこの作品はイジメを肯定するものではありません※ ※作中、『イジメ』は、していません。生死をかけた戦いです※ ◇テンプレ乙女ゲーム舞台転生。 ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇なろうにも上げてます。

断罪イベント返しなんぞされてたまるか。私は普通に生きたいんだ邪魔するな!!

ファンタジー
「ミレイユ・ギルマン!」 ミレヴン国立宮廷学校卒業記念の夜会にて、突如叫んだのは第一王子であるセルジオ・ライナルディ。 「お前のような性悪な女を王妃には出来ない! よって今日ここで私は公爵令嬢ミレイユ・ギルマンとの婚約を破棄し、男爵令嬢アンナ・ラブレと婚姻する!!」 そう宣言されたミレイユ・ギルマンは冷静に「さようでございますか。ですが、『性悪な』というのはどういうことでしょうか?」と返す。それに反論するセルジオ。彼に肩を抱かれている渦中の男爵令嬢アンナ・ラブレは思った。 (やっべえ。これ前世の投稿サイトで何万回も見た展開だ!)と。 ※pixiv、カクヨム、小説家になろうにも同じものを投稿しています。

悪役令嬢の独壇場

あくび。
ファンタジー
子爵令嬢のララリーは、学園の卒業パーティーの中心部を遠巻きに見ていた。 彼女は転生者で、この世界が乙女ゲームの舞台だということを知っている。 自分はモブ令嬢という位置づけではあるけれど、入学してからは、ゲームの記憶を掘り起こして各イベントだって散々覗き見してきた。 正直に言えば、登場人物の性格やイベントの内容がゲームと違う気がするけれど、大筋はゲームの通りに進んでいると思う。 ということは、今日はクライマックスの婚約破棄が行われるはずなのだ。 そう思って卒業パーティーの様子を傍から眺めていたのだけど。 あら?これは、何かがおかしいですね。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

悪役令嬢になりたくないので、攻略対象をヒロインに捧げます

久乃り
恋愛
乙女ゲームの世界に転生していた。 その記憶は突然降りてきて、記憶と現実のすり合わせに毎日苦労する羽目になる元日本の女子高校生佐藤美和。 1周回ったばかりで、2週目のターゲットを考えていたところだったため、乙女ゲームの世界に入り込んで嬉しい!とは思ったものの、自分はヒロインではなく、ライバルキャラ。ルート次第では悪役令嬢にもなってしまう公爵令嬢アンネローゼだった。 しかも、もう学校に通っているので、ゲームは進行中!ヒロインがどのルートに進んでいるのか確認しなくては、自分の立ち位置が分からない。いわゆる破滅エンドを回避するべきか?それとも、、勝手に動いて自分がヒロインになってしまうか? 自分の死に方からいって、他にも転生者がいる気がする。そのひとを探し出さないと! 自分の運命は、悪役令嬢か?破滅エンドか?ヒロインか?それともモブ? ゲーム修正が入らないことを祈りつつ、転生仲間を探し出し、この乙女ゲームの世界を生き抜くのだ! 他サイトにて別名義で掲載していた作品です。

転生貴族のスローライフ

マツユキ
ファンタジー
現代の日本で、病気により若くして死んでしまった主人公。気づいたら異世界で貴族の三男として転生していた しかし、生まれた家は力主義を掲げる辺境伯家。自分の力を上手く使えない主人公は、追放されてしまう事に。しかも、追放先は誰も足を踏み入れようとはしない場所だった これは、転生者である主人公が最凶の地で、国よりも最強の街を起こす物語である *基本は1日空けて更新したいと思っています。連日更新をする場合もありますので、よろしくお願いします

処理中です...