上 下
179 / 307
本編第一章

はじめましての宰相様です

しおりを挟む
 季節は早くも3月半ばを迎えていた。


 王都の社交シーズンは1月から3月まで。12月頃から続々と王都に集ってきた貴族たちも、そろそろ王都を後にする頃だ。

 例年なら3月の頭には王都を引き払う我が家だが、今年は騎士団との契約があるため、3月末まで滞在する。アッシュバーン家ではシンシア様とロイド様がそもそも王都住まいなので、迷惑をかけることもない。

 あちこちでクロージングのパーティやイベントなどが繰り広げられているため、王都は3月いっぱいまでは賑やかだ。そんな王都の門をくぐり抜け、馬車に揺られること小1時間。私と父とマリサはマクスウェル侯爵家にやってきた。

「アンジェリカ嬢、よくきたな」
「エリオット様。ご無沙汰しております。エヴァンジェリン様のお茶会依頼ですわね」

 玄関で私たちを出迎えてくれたのは、マクスウェル少年ことエリオット。彼の母親への強い思いが実を結び、私たちはここに来ることができた。ちなみに継母は自宅でお留守番だ。今回の訪問は非公式だし、病身の奥方がおいでの屋敷にぞろぞろ伺うのも失礼だろうと、訪問の数を最小限に絞った結果だ。

「よくいらした、ダスティン男爵、それに御令嬢」

 私たちの幼い再会の背後から、落ち着いた硬質な声が聞こえてきた。

(この人が、ミーシャ・マクスウェル宰相……)

 すらりとした細身の男性は、縁のない眼鏡の奥の神秘的なアイスグレーの瞳で私と父をまっすぐ射抜いた。髪の色は黒、エリオットと同じだが、質感がまるで違う。こちらは真っ直ぐなストレートで、肩の辺りで切り揃えられていた。全身から醸し出される、冷たい空気。王家の懐刀とはよく言ったものだ。この瞳に睨まれると言葉を発することすら臆してしまう。

「はじめておめにかかります、マクスウェル宰相。バーナード・ダスティンと申します。こちらは娘のアンジェリカです」
「はじめまして、宰相様」

 私は笑顔を引っ込め、爪の先髪の先まで神経を尖らせて最上級のお辞儀をした。

「今回は御令嬢に息子が無理を言ったようで、申し訳ない。また、我が家の申し出を快く引き受けてくださり、感謝申し上げる」
「とんでもないことでございます。我が領で開発した知識がお力になるのでしたら、いくらでも御用命いただきたいものです」
「手紙でも伝えたと思うが、あまり大袈裟な話にはしたくないのだ。これは私的な内容ゆえ……」
「心得ております。今回はアッシュバーン辺境伯家、ハイネル公爵家の皆様からのご推薦で、恐れ多くもマクスウェル侯爵に我が領の特産について話を聞いていただける機会と捉えております」

 うちの父はとても頭のいい人だ。領地が貧乏なのと人がいいせいであまりパッとしない印象なだけで、高位貴族との付き合い方も心得ている。これに乗じて我が領に便宜を図ってもらおうとか、相手の弱みを握ろうとか、そんなことはこれっぽちも考えないし、相手の掌の上で踊らされるような馬鹿もしない。それは、長年アッシュバーン辺境伯の庇護下にある貴族として過ごしてきた、また過ごさざるを得なかった代々のダスティン家当主の血がなせることなのかもしれない。でも、その身綺麗なところが、伯爵老やアッシュバーン辺境伯の信頼を勝ち得ることにつながってきたのだ。

 だから今回の目的が、病床にあるマクスウェル侯爵夫人に料理を振る舞うことであったとしても、恩着せがましいことはしない。あくまで我が家は、食用化に成功したじゃがいもの調理方法について、侯爵に紹介をするだけだ。

 父が再び頭を下げたことで、侯爵の視線が自然と私に向いた。

「ふむ。こちらが例の御令嬢か。バレーリ殿がたいそう持ち上げていた……」
「きょ、恐悦至極に存じます……」

 私も父に倣って頭を下げる。そう、今回の訪問には、あのバレーリ騎士団団長も推薦状をつけてくださったのだ。

 ポテト料理は私もある程度は精通しているが、いかんせん身体の小ささもあり、私が腕を振るうわけにはいかない。そして一応貴族の継母が厨房に立つのも体面が悪い。となれば連れていけるのはマリサだけだ。だがマリサは平民で、ここは侯爵家。騎士団寮の厨房に立つのとはわけが違う。

 そこで私たちはマリサの身分や人柄の保証をしてもらおうと、ロイド副団長に頼んだ。ロイド副団長は宰相とも同級生で既知の間柄、さらにはお互いに信頼もある。そのお願いをしに面会を打診し、厨房の手伝いがてら執務室を訪れると、そこには当然バレーリ団長がおり、話の流れで「なら俺が書いてやろう」となったのだ。

「あの陰険メガネに恩が売れるんだ、こんな楽しいことがあるか!」と嬉々としてペンを取る彼を止めることは誰にもできなかった。そして彼はあろうことか、マリサのことだけでなく私のことも持ち上げ、ぜひ同行させるべきだと強く進言してくれた、らしい。

 顔を引き攣らせつつ、一旦は止めようかと思ったが、ここで団長が推薦してくれなければ私が宰相に会うことはできない。ポテト料理は表向きはダスティン領で開発されたもの、となっており、一部の人間は私がやったことと知っているが、そもそもまだ6歳の子どもだ。我が家を代表して誰かがマクスウェル家に行くとしたら、それは父になる。

 別に私が行く必要が絶対あるかといえばそうでもないけれど、エリオットのお母様の容体についても心配だったし、何より頭をさんざん振り絞って妹から聞かされた乙女ゲームの内容を思い出したとき、ふと引っかかることがあったのだ。

 それは「宰相の息子」として出てくるエリオットのエピソード。眼鏡キャラの彼はカイルハート殿下の側近候補として、学院では殿下の側に侍っていた。以前エリオットが言っていた話では、幼少時の今は側近候補から外れ、ミシェルが選ばれたということだったが、ゲームの中ではミシェルはもう死亡しているから、彼やギルフォードが側にいたのだろう。

 そんな彼の性格は「冷徹」の一言。寡黙キャラで、現役宰相として忙しい父に代わり、家の管理も任されていた。さらに学院では生徒会にも身を置き学院の秩序維持に一役も二役もかっていた、多忙な仕事人間。いつも眉間に皺を寄せ、カイルハート殿下はじめ、他の生徒たちにも容赦無く苦言を呈する。他人に笑顔など見せたことのない彼が、ヒロインの純粋な気持ちと励ましに支えられ、いつしか彼女に恋する、というものだ。

 あの常識知らずのエリオットと恋……と思うと背中の辺りがむず痒くなるのだが、それは置いておいて。今のエリオットはなかなかに石頭だけど、冷徹なイメージからは程遠い。

 そんな彼の性格を裏付けるエピソードが、家族不和だったはずだ。仕事ばかりで家のことはかまけず、出来のいい息子に押し付けたきりの父。歳の離れた妹がいるという話だったが、ゲームの中では没交渉な上にお互いを憎み合っている、そんな設定だった気がする。

 そしてどれだけ思い返してみても、彼の母親のエピソードが出てこないのだ。家庭の要となるのはいつだって母親のはずだが、まったく思い出せない。

(思い出せないってことは……)

 もしかすると、ゲームの中ではすでにいなかったのかも、という可能性。なぜならこの世界の医療水準はあまり高くない。現にスノウとフローラの母はお産のときに亡くなっているし、ルシアンの母親も彼女が若い頃に亡くなった。父はまだ40代だけど、その両親もすでにないし、騎士爵に叙せられた母方の祖父母も、私が生まれた後相次いで亡くなっていると聞く。身体を壊して寝たきりに近い状態にあるという侯爵夫人がこのまま亡くなったとしても不思議ではない。

(死亡フラグ立ちすぎじゃないの)

 医療に関してもどうにかテコ入れしたいけれど、残念ながらそっち方面の知識がない。そのうち医者一族という継母の実家筋のエリン様とお話してみてもいいかもしれない。

(とにかく、立ちそうなフラグはへし折りたいわよね)

 親しい人が不幸になるのはみたくないし、何より私の明るい婿取り計画を邪魔されたくない。身の丈に合わない高位貴族とどうこうなる未来は、潰せるうちに潰したい。

 そんないろいろな思惑が重なり、私はどうしても今回の計画に首を突っ込みたかった。ゆえにバレーリ団長の滑る筆を止めなかったのだけど。

(ただ、今回ばかりは相手が悪かったかも……)

 ただ相手を見つめるだけで竦ませる敏腕宰相を前に、納得してもらえる結果を出せるのか。

 冷たい汗が背中を流れ落ちるのを、ただただぎこちない笑顔でやり過ごすしかなかった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

悪役令嬢に転生したので、すべて無視することにしたのですが……?

りーさん
恋愛
 気がついたら、生まれ変わっていた。自分が死んだ記憶もない。どうやら、悪役令嬢に生まれ変わったみたい。しかも、生まれ変わったタイミングが、学園の入学式の前日で、攻略対象からも嫌われまくってる!?  こうなったら、破滅回避は諦めよう。だって、悪役令嬢は、悪口しか言ってなかったんだから。それだけで、公の場で断罪するような婚約者など、こっちから願い下げだ。  他の攻略対象も、別にお前らは関係ないだろ!って感じなのに、一緒に断罪に参加するんだから!そんな奴らのご機嫌をとるだけ無駄なのよ。 もう攻略対象もヒロインもシナリオも全部無視!やりたいことをやらせてもらうわ!  そうやって無視していたら、なんでか攻略対象がこっちに来るんだけど……? ※恋愛はのんびりになります。タグにあるように、主人公が恋をし出すのは後半です。 1/31 タイトル変更 破滅寸前→ゲーム開始直前

悪役令嬢によればこの世界は乙女ゲームの世界らしい

斯波
ファンタジー
ブラック企業を辞退した私が卒業後に手に入れたのは無職の称号だった。不服そうな親の目から逃れるべく、喫茶店でパート情報を探そうとしたが暴走トラックに轢かれて人生を終えた――かと思ったら村人達に恐れられ、軟禁されている10歳の少女に転生していた。どうやら少女の強大すぎる魔法は村人達の恐怖の対象となったらしい。村人の気持ちも分からなくはないが、二度目の人生を小屋での軟禁生活で終わらせるつもりは毛頭ないので、逃げることにした。だが私には強すぎるステータスと『ポイント交換システム』がある!拠点をテントに決め、日々魔物を狩りながら自由気ままな冒険者を続けてたのだが……。 ※1.恋愛要素を含みますが、出てくるのが遅いのでご注意ください。 ※2.『悪役令嬢に転生したので断罪エンドまでぐーたら過ごしたい 王子がスパルタとか聞いてないんですけど!?』と同じ世界観・時間軸のお話ですが、こちらだけでもお楽しみいただけます。

【完結】【35万pt感謝】転生したらお飾りにもならない王妃のようなので自由にやらせていただきます

宇水涼麻
恋愛
王妃レイジーナは出産を期に入れ替わった。現世の知識と前世の記憶を持ったレイジーナは王子を産む道具である現状の脱却に奮闘する。 さらには息子に殺される運命から逃れられるのか。 中世ヨーロッパ風異世界転生。

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜

光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。 それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。 自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。 隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。 それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。 私のことは私で何とかします。 ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。 魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。 もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ? これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。 表紙はPhoto AC様よりお借りしております。

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈 
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

処理中です...