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本編第一章
お料理教室のご提案です1
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暑い8月がやってきた。季節はゆるやかに変われど、私ことアンジェリカの頭の中はあいも変わらずじゃがいもでいっぱいだ。
我が家に伯爵老を迎えてじゃがいも料理を振る舞ったのは7月頭のこと。その後、アッシュバーン伯爵家は我が領に数名の料理人を使わして、じゃがいもの調理法を学ばせていた。さすがはアッシュバーン家が抱えるプロの料理人。習得も早ければ順応も早い。彼らもじゃがいもの持つ魅力にすっかり取り憑かれ、この未知なる食材を使って新しい料理を生み出そうと知恵をしぼっていた。
そしてそんな折、めでたいニュースが飛び込んできた。
「ルシアンが結婚するの!?」
夕食の席で私の声が響く。にこにこ顔の両親の後ろで、黒髪の通いメイド、ルシアンが頬を染めてひっそりと微笑んだ。聞けば、アッシュバーン領で鉱夫として働く男性のところに嫁ぐことになったのだという。彼女が近々結婚するかもしれないということについて、両親は早くから知っていたらしい。ただ、その話が急に進んだのには理由があった。
「実は、彼が仕事中に事故に巻き込まれてしまいまして……」
「えぇっ! 大丈夫なの!?」
「はい。命に別状はありませんでした。ただ、足の骨を折ってしまいまして、今は静養中なんです」
「足を? それって、全然大丈夫じゃないわよ」
足を怪我したというなら身動きもなかなか取れないだろうから、日常生活にも支障が出るレベルだ。私が驚きの声をあげると、両親が追随した。
「そうなんだよ。おそらく彼ひとりでは日々の生活にも困ることになるだろう。だからね、少し結婚を早めたらどうだいって提案したんだよ。もともとこの冬にでもという話だったんだが、数ヶ月早まったところで、特に問題もないだろうし」
「真面目なルシアンだから、次のメイドが決まるまでは、って最初は断られたのだけど、でも、状況が状況だし。我が家はどうとでもなるから大丈夫よって、バーナードと一緒に説得したのよ」
「なるほど……。私も賛成です。お相手の方も喜ぶでしょうし、ルシアンも嬉しいのでしょう?」
私の問いかけに、ルシアンはますます頬を染めて、はにかみながら頷いた。ルシアンは13歳の頃からこの家に勤めてくれていたそうだ。同じ通いのメイドで元気なミリーの影に隠れてしまいがちだが、こちらが声をかける前にさっと気がついて手を回してくれる、そんな有能な女性だった。結婚後もその器用さと人柄の良さで、ご主人を支えていくだろう。
「そうと決まれば結婚式よね。もう予定はたっているの?」
「それが、急な話でしたし、そもそも彼も簡単に動けるような状態でもないですし。式はしないでおこうかと」
「そんな……! 一生に一度の機会なのに、もったいないわ!」
「ありがとうございます、お嬢様。ですが、ほかにもいろいろ問題もありまして……」
「問題?」
「はい、旦那様と奥様にもご説明申し上げたのですが、もともと冬に式を挙げる予定で、2人で貯金をしていたのですけど、今回のことが予定外すぎて。彼の治療費や、休職中の生活費などの問題もありまして、貯金を切り崩さなくてはならなくなったんです。ですから結婚式は中止することにしました」
「ええっ、そんな……」
思いも掛けない理由を聞かされ、私は唖然とした。彼の怪我もさることながら、経済的な理由で式を挙げられないというのはあんまりだ。
「おとうさま、なんとかならないのですか」
「もちろん、私もカトレアも精一杯の支援をするつもりでいたんだよ。しかしだな……」
「いいえ! 旦那様と奥様にそんなご負担をおかけするわけにはいきません!」
父の説明をルシアンが遮った。彼女は我が家の台所事情をよく知っている。
「我が家は母を早くに亡くして、幼い弟妹を育てるために私も働きに出なければならなくなったとき、旦那様が”領内での通いの仕事が便利だろう”と、無学な私を雇ってくださいました。おかげ様で弟たちが今では家のことも取り仕切ってくれるようになりました。私も安心して家を後にできます。そのことだけでも十分すぎるくらいのご厚情をいただいたのに、これ以上お願いするわけにはまいりません」
「でも……」
私は釈然としないまま両親と彼女を交互に見遣る。両親も本当は彼女になんらかの援助をしたいのだ。けれど当の本人がそれを拒否している。
「せめて、次の職場への紹介状は用意させてほしいと思っているのだけどね」
すぐには働けないご主人のためにも、ルシアンは結婚後も働きに出るつもりらしい。末端貴族とはいえ男爵家に仕えた経歴は、確かにプラスにはなる。
「私も探してはいるのですが、なにぶん鉱夫が多く住む街ですので、メイドの仕事がほとんどなく……。せっかく紹介状をいただいても、使わせていただく場がないかもしれません」
「そんな……」
彼女が嫁ぐ予定の街は、私が以前実母と住んでいたところよりももっと北で、鉱夫とその家族が多く住まうところだ。貴族の家や騎士寮などがあればメイドの口もあるだろうが、それも難しいという。
せっかくのおめでたい話なのに、なんだか暗くなってしまった。うーん、困った、なんとかしてあげたい。
私はルシアンが普通に好きだ。理由はいろいろあるけれど、一番は私に対して一切の差別意識を持っていないことが大きい。彼女は私の実母のことを知っている。しかしルビィと違って、私を軽蔑する素振りを一切見せなかった。これはマリサも同じなのだが、彼女の場合はキッチンメイドなので、台所に寄り付かなかった実母とそれほど直に接していなかったというのがある。ミリーに至っては実母のことを知らない。ルビィは説明するまでもなくあんな調子で、ロイは……正直まだよくわからないのだが、表面的には私を苦々しく思っている素振りはない。
つまりはルシアンは、私の境遇を知っていながら、私を色眼鏡で見ず、かいがいしく世話をしてくれた稀有な女性だ。私だってその恩に報いたい。しかしながら我が領には金がないし、彼女も受け取る気がないときている。
どうしたらいいんだろう、と頭をひねっていたとき、ふとひらめいたことがあった。
「そうだわ! じゃがいも!!」
「「「はっ?」」」
私が口走った言葉に、全員が目を点にした。
我が家に伯爵老を迎えてじゃがいも料理を振る舞ったのは7月頭のこと。その後、アッシュバーン伯爵家は我が領に数名の料理人を使わして、じゃがいもの調理法を学ばせていた。さすがはアッシュバーン家が抱えるプロの料理人。習得も早ければ順応も早い。彼らもじゃがいもの持つ魅力にすっかり取り憑かれ、この未知なる食材を使って新しい料理を生み出そうと知恵をしぼっていた。
そしてそんな折、めでたいニュースが飛び込んできた。
「ルシアンが結婚するの!?」
夕食の席で私の声が響く。にこにこ顔の両親の後ろで、黒髪の通いメイド、ルシアンが頬を染めてひっそりと微笑んだ。聞けば、アッシュバーン領で鉱夫として働く男性のところに嫁ぐことになったのだという。彼女が近々結婚するかもしれないということについて、両親は早くから知っていたらしい。ただ、その話が急に進んだのには理由があった。
「実は、彼が仕事中に事故に巻き込まれてしまいまして……」
「えぇっ! 大丈夫なの!?」
「はい。命に別状はありませんでした。ただ、足の骨を折ってしまいまして、今は静養中なんです」
「足を? それって、全然大丈夫じゃないわよ」
足を怪我したというなら身動きもなかなか取れないだろうから、日常生活にも支障が出るレベルだ。私が驚きの声をあげると、両親が追随した。
「そうなんだよ。おそらく彼ひとりでは日々の生活にも困ることになるだろう。だからね、少し結婚を早めたらどうだいって提案したんだよ。もともとこの冬にでもという話だったんだが、数ヶ月早まったところで、特に問題もないだろうし」
「真面目なルシアンだから、次のメイドが決まるまでは、って最初は断られたのだけど、でも、状況が状況だし。我が家はどうとでもなるから大丈夫よって、バーナードと一緒に説得したのよ」
「なるほど……。私も賛成です。お相手の方も喜ぶでしょうし、ルシアンも嬉しいのでしょう?」
私の問いかけに、ルシアンはますます頬を染めて、はにかみながら頷いた。ルシアンは13歳の頃からこの家に勤めてくれていたそうだ。同じ通いのメイドで元気なミリーの影に隠れてしまいがちだが、こちらが声をかける前にさっと気がついて手を回してくれる、そんな有能な女性だった。結婚後もその器用さと人柄の良さで、ご主人を支えていくだろう。
「そうと決まれば結婚式よね。もう予定はたっているの?」
「それが、急な話でしたし、そもそも彼も簡単に動けるような状態でもないですし。式はしないでおこうかと」
「そんな……! 一生に一度の機会なのに、もったいないわ!」
「ありがとうございます、お嬢様。ですが、ほかにもいろいろ問題もありまして……」
「問題?」
「はい、旦那様と奥様にもご説明申し上げたのですが、もともと冬に式を挙げる予定で、2人で貯金をしていたのですけど、今回のことが予定外すぎて。彼の治療費や、休職中の生活費などの問題もありまして、貯金を切り崩さなくてはならなくなったんです。ですから結婚式は中止することにしました」
「ええっ、そんな……」
思いも掛けない理由を聞かされ、私は唖然とした。彼の怪我もさることながら、経済的な理由で式を挙げられないというのはあんまりだ。
「おとうさま、なんとかならないのですか」
「もちろん、私もカトレアも精一杯の支援をするつもりでいたんだよ。しかしだな……」
「いいえ! 旦那様と奥様にそんなご負担をおかけするわけにはいきません!」
父の説明をルシアンが遮った。彼女は我が家の台所事情をよく知っている。
「我が家は母を早くに亡くして、幼い弟妹を育てるために私も働きに出なければならなくなったとき、旦那様が”領内での通いの仕事が便利だろう”と、無学な私を雇ってくださいました。おかげ様で弟たちが今では家のことも取り仕切ってくれるようになりました。私も安心して家を後にできます。そのことだけでも十分すぎるくらいのご厚情をいただいたのに、これ以上お願いするわけにはまいりません」
「でも……」
私は釈然としないまま両親と彼女を交互に見遣る。両親も本当は彼女になんらかの援助をしたいのだ。けれど当の本人がそれを拒否している。
「せめて、次の職場への紹介状は用意させてほしいと思っているのだけどね」
すぐには働けないご主人のためにも、ルシアンは結婚後も働きに出るつもりらしい。末端貴族とはいえ男爵家に仕えた経歴は、確かにプラスにはなる。
「私も探してはいるのですが、なにぶん鉱夫が多く住む街ですので、メイドの仕事がほとんどなく……。せっかく紹介状をいただいても、使わせていただく場がないかもしれません」
「そんな……」
彼女が嫁ぐ予定の街は、私が以前実母と住んでいたところよりももっと北で、鉱夫とその家族が多く住まうところだ。貴族の家や騎士寮などがあればメイドの口もあるだろうが、それも難しいという。
せっかくのおめでたい話なのに、なんだか暗くなってしまった。うーん、困った、なんとかしてあげたい。
私はルシアンが普通に好きだ。理由はいろいろあるけれど、一番は私に対して一切の差別意識を持っていないことが大きい。彼女は私の実母のことを知っている。しかしルビィと違って、私を軽蔑する素振りを一切見せなかった。これはマリサも同じなのだが、彼女の場合はキッチンメイドなので、台所に寄り付かなかった実母とそれほど直に接していなかったというのがある。ミリーに至っては実母のことを知らない。ルビィは説明するまでもなくあんな調子で、ロイは……正直まだよくわからないのだが、表面的には私を苦々しく思っている素振りはない。
つまりはルシアンは、私の境遇を知っていながら、私を色眼鏡で見ず、かいがいしく世話をしてくれた稀有な女性だ。私だってその恩に報いたい。しかしながら我が領には金がないし、彼女も受け取る気がないときている。
どうしたらいいんだろう、と頭をひねっていたとき、ふとひらめいたことがあった。
「そうだわ! じゃがいも!!」
「「「はっ?」」」
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