上 下
59 / 307
本編第一章

お料理教室のご提案です1

しおりを挟む
 暑い8月がやってきた。季節はゆるやかに変われど、私ことアンジェリカの頭の中はあいも変わらずじゃがいもでいっぱいだ。

 我が家に伯爵老を迎えてじゃがいも料理を振る舞ったのは7月頭のこと。その後、アッシュバーン伯爵家は我が領に数名の料理人を使わして、じゃがいもの調理法を学ばせていた。さすがはアッシュバーン家が抱えるプロの料理人。習得も早ければ順応も早い。彼らもじゃがいもの持つ魅力にすっかり取り憑かれ、この未知なる食材を使って新しい料理を生み出そうと知恵をしぼっていた。

 そしてそんな折、めでたいニュースが飛び込んできた。

「ルシアンが結婚するの!?」

 夕食の席で私の声が響く。にこにこ顔の両親の後ろで、黒髪の通いメイド、ルシアンが頬を染めてひっそりと微笑んだ。聞けば、アッシュバーン領で鉱夫として働く男性のところに嫁ぐことになったのだという。彼女が近々結婚するかもしれないということについて、両親は早くから知っていたらしい。ただ、その話が急に進んだのには理由があった。

「実は、彼が仕事中に事故に巻き込まれてしまいまして……」
「えぇっ! 大丈夫なの!?」
「はい。命に別状はありませんでした。ただ、足の骨を折ってしまいまして、今は静養中なんです」
「足を? それって、全然大丈夫じゃないわよ」

 足を怪我したというなら身動きもなかなか取れないだろうから、日常生活にも支障が出るレベルだ。私が驚きの声をあげると、両親が追随した。

「そうなんだよ。おそらく彼ひとりでは日々の生活にも困ることになるだろう。だからね、少し結婚を早めたらどうだいって提案したんだよ。もともとこの冬にでもという話だったんだが、数ヶ月早まったところで、特に問題もないだろうし」
「真面目なルシアンだから、次のメイドが決まるまでは、って最初は断られたのだけど、でも、状況が状況だし。我が家はどうとでもなるから大丈夫よって、バーナードと一緒に説得したのよ」
「なるほど……。私も賛成です。お相手の方も喜ぶでしょうし、ルシアンも嬉しいのでしょう?」

 私の問いかけに、ルシアンはますます頬を染めて、はにかみながら頷いた。ルシアンは13歳の頃からこの家に勤めてくれていたそうだ。同じ通いのメイドで元気なミリーの影に隠れてしまいがちだが、こちらが声をかける前にさっと気がついて手を回してくれる、そんな有能な女性だった。結婚後もその器用さと人柄の良さで、ご主人を支えていくだろう。

「そうと決まれば結婚式よね。もう予定はたっているの?」
「それが、急な話でしたし、そもそも彼も簡単に動けるような状態でもないですし。式はしないでおこうかと」
「そんな……! 一生に一度の機会なのに、もったいないわ!」
「ありがとうございます、お嬢様。ですが、ほかにもいろいろ問題もありまして……」
「問題?」
「はい、旦那様と奥様にもご説明申し上げたのですが、もともと冬に式を挙げる予定で、2人で貯金をしていたのですけど、今回のことが予定外すぎて。彼の治療費や、休職中の生活費などの問題もありまして、貯金を切り崩さなくてはならなくなったんです。ですから結婚式は中止することにしました」
「ええっ、そんな……」

 思いも掛けない理由を聞かされ、私は唖然とした。彼の怪我もさることながら、経済的な理由で式を挙げられないというのはあんまりだ。

「おとうさま、なんとかならないのですか」
「もちろん、私もカトレアも精一杯の支援をするつもりでいたんだよ。しかしだな……」
「いいえ! 旦那様と奥様にそんなご負担をおかけするわけにはいきません!」

 父の説明をルシアンが遮った。彼女は我が家の台所事情をよく知っている。

「我が家は母を早くに亡くして、幼い弟妹を育てるために私も働きに出なければならなくなったとき、旦那様が”領内での通いの仕事が便利だろう”と、無学な私を雇ってくださいました。おかげ様で弟たちが今では家のことも取り仕切ってくれるようになりました。私も安心して家を後にできます。そのことだけでも十分すぎるくらいのご厚情をいただいたのに、これ以上お願いするわけにはまいりません」
「でも……」

 私は釈然としないまま両親と彼女を交互に見遣る。両親も本当は彼女になんらかの援助をしたいのだ。けれど当の本人がそれを拒否している。

「せめて、次の職場への紹介状は用意させてほしいと思っているのだけどね」

 すぐには働けないご主人のためにも、ルシアンは結婚後も働きに出るつもりらしい。末端貴族とはいえ男爵家に仕えた経歴は、確かにプラスにはなる。

「私も探してはいるのですが、なにぶん鉱夫が多く住む街ですので、メイドの仕事がほとんどなく……。せっかく紹介状をいただいても、使わせていただく場がないかもしれません」
「そんな……」

 彼女が嫁ぐ予定の街は、私が以前実母と住んでいたところよりももっと北で、鉱夫とその家族が多く住まうところだ。貴族の家や騎士寮などがあればメイドの口もあるだろうが、それも難しいという。

 せっかくのおめでたい話なのに、なんだか暗くなってしまった。うーん、困った、なんとかしてあげたい。

 私はルシアンが普通に好きだ。理由はいろいろあるけれど、一番は私に対して一切の差別意識を持っていないことが大きい。彼女は私の実母のことを知っている。しかしルビィと違って、私を軽蔑する素振りを一切見せなかった。これはマリサも同じなのだが、彼女の場合はキッチンメイドなので、台所に寄り付かなかった実母とそれほど直に接していなかったというのがある。ミリーに至っては実母のことを知らない。ルビィは説明するまでもなくあんな調子で、ロイは……正直まだよくわからないのだが、表面的には私を苦々しく思っている素振りはない。

 つまりはルシアンは、私の境遇を知っていながら、私を色眼鏡で見ず、かいがいしく世話をしてくれた稀有な女性だ。私だってその恩に報いたい。しかしながら我が領には金がないし、彼女も受け取る気がないときている。
 どうしたらいいんだろう、と頭をひねっていたとき、ふとひらめいたことがあった。

「そうだわ! じゃがいも!!」
「「「はっ?」」」

 私が口走った言葉に、全員が目を点にした。



しおりを挟む
感想 103

あなたにおすすめの小説

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

乙女ゲームの悪役令嬢に転生したけど何もしなかったらヒロインがイジメを自演し始めたのでお望み通りにしてあげました。魔法で(°∀°)

ラララキヲ
ファンタジー
 乙女ゲームのラスボスになって死ぬ悪役令嬢に転生したけれど、中身が転生者な時点で既に乙女ゲームは破綻していると思うの。だからわたくしはわたくしのままに生きるわ。  ……それなのにヒロインさんがイジメを自演し始めた。ゲームのストーリーを展開したいと言う事はヒロインさんはわたくしが死ぬ事をお望みね?なら、わたくしも戦いますわ。  でも、わたくしも暇じゃないので魔法でね。 ヒロイン「私はホラー映画の主人公か?!」  『見えない何か』に襲われるヒロインは──── ※作中『イジメ』という表現が出てきますがこの作品はイジメを肯定するものではありません※ ※作中、『イジメ』は、していません。生死をかけた戦いです※ ◇テンプレ乙女ゲーム舞台転生。 ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇なろうにも上げてます。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

断罪イベント返しなんぞされてたまるか。私は普通に生きたいんだ邪魔するな!!

ファンタジー
「ミレイユ・ギルマン!」 ミレヴン国立宮廷学校卒業記念の夜会にて、突如叫んだのは第一王子であるセルジオ・ライナルディ。 「お前のような性悪な女を王妃には出来ない! よって今日ここで私は公爵令嬢ミレイユ・ギルマンとの婚約を破棄し、男爵令嬢アンナ・ラブレと婚姻する!!」 そう宣言されたミレイユ・ギルマンは冷静に「さようでございますか。ですが、『性悪な』というのはどういうことでしょうか?」と返す。それに反論するセルジオ。彼に肩を抱かれている渦中の男爵令嬢アンナ・ラブレは思った。 (やっべえ。これ前世の投稿サイトで何万回も見た展開だ!)と。 ※pixiv、カクヨム、小説家になろうにも同じものを投稿しています。

悪役令嬢の独壇場

あくび。
ファンタジー
子爵令嬢のララリーは、学園の卒業パーティーの中心部を遠巻きに見ていた。 彼女は転生者で、この世界が乙女ゲームの舞台だということを知っている。 自分はモブ令嬢という位置づけではあるけれど、入学してからは、ゲームの記憶を掘り起こして各イベントだって散々覗き見してきた。 正直に言えば、登場人物の性格やイベントの内容がゲームと違う気がするけれど、大筋はゲームの通りに進んでいると思う。 ということは、今日はクライマックスの婚約破棄が行われるはずなのだ。 そう思って卒業パーティーの様子を傍から眺めていたのだけど。 あら?これは、何かがおかしいですね。

悪役令嬢になりたくないので、攻略対象をヒロインに捧げます

久乃り
恋愛
乙女ゲームの世界に転生していた。 その記憶は突然降りてきて、記憶と現実のすり合わせに毎日苦労する羽目になる元日本の女子高校生佐藤美和。 1周回ったばかりで、2週目のターゲットを考えていたところだったため、乙女ゲームの世界に入り込んで嬉しい!とは思ったものの、自分はヒロインではなく、ライバルキャラ。ルート次第では悪役令嬢にもなってしまう公爵令嬢アンネローゼだった。 しかも、もう学校に通っているので、ゲームは進行中!ヒロインがどのルートに進んでいるのか確認しなくては、自分の立ち位置が分からない。いわゆる破滅エンドを回避するべきか?それとも、、勝手に動いて自分がヒロインになってしまうか? 自分の死に方からいって、他にも転生者がいる気がする。そのひとを探し出さないと! 自分の運命は、悪役令嬢か?破滅エンドか?ヒロインか?それともモブ? ゲーム修正が入らないことを祈りつつ、転生仲間を探し出し、この乙女ゲームの世界を生き抜くのだ! 他サイトにて別名義で掲載していた作品です。

【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします

  *  
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!? しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です! めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので! 本編完結しました! 時々おまけを更新しています。

公爵家三男に転生しましたが・・・

キルア犬
ファンタジー
前世は27歳の社会人でそこそこ恋愛なども経験済みの水嶋海が主人公ですが… 色々と本当に色々とありまして・・・ 転生しました。 前世は女性でしたが異世界では男! 記憶持ち葛藤をご覧下さい。 作者は初投稿で理系人間ですので誤字脱字には寛容頂きたいとお願いします。

処理中です...