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本編第一章

使用人もなかなか手強そうです

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 ダイニングもこじんまりとしていた。

 端と端では会話が届かないくらいの長テーブルを想像していたが、このお屋敷のダイニングテーブルは10人掛け。いわゆるお誕生日席にダスティン男爵が座り、角を折れてすぐが私、私のお向かいが夫人の席だった。ダスティン男爵はすでに席についており、壮年の男性と何やら話をしていた。

「アンジェリカ、待ちわびていたよ。食事の前に皆を紹介しよう。こちらはロイ。我が家の執事兼秘書だ」
「はじめましてお嬢様。ロイと申します。先ほどはお出迎えに出られず申し訳ありませんでした」

 恭しく礼をする男性に、私も慌てて礼をとった。

「はじめまして。アンジェリカ・コーンウィルでございます。どうぞよろしくお願いいたします、ロイ様」
「私のことはロイと呼び捨てにしてくださってかまいません」
「でも、そんなわけには……」

 立場上はそうしなければならないのかもしれないが、前世の私が邪魔をしてどうしても割り切れない。それにこの人も年齢からして母のことを知っている可能性が高い。ルビィのように私のことも疎ましく思っているかもしれない。態度には要注意だ。

「おいおい慣れていくといいよ、アンジェリカ」

 私の言葉は男爵に遮られた。その言葉を夫人が引き継いで後を続ける。

「ルビィのことも紹介するわね。彼女はここの女中頭なの。家の中のことを取り仕切ってくれているのよ。私の実家から一緒に来てくれた人で、私にとって頼りになる姉のような存在なの」

 夫人の言葉に、ルビィが形ばかり頭を下げる。夫人の説明で、なぜ彼女がさきほどのような悪態をついたのか納得がいった。嫁入り前から夫人の忠実な部下だったのだ。愛人とその娘が許せないのは当然だ。

    今度はロイの隣の、エプロン姿のふくよかな女性を見て、ダスティン男爵が続けた。

「それから、キッチンメイドのマリサ。今日のディナーに限らず、食事は彼女とカトレアが協力して準備してくれているんだ」

 ダスティン男爵の言葉に、私は思わず夫人を見た。貴族の女性が料理を手伝う?

「私は料理も得意なのよ。鶏だって捌けるのよ?」
「奥様は鶏といわず、猪も綺麗に捌いてくださいます」
「もう、マリサ、それは内緒って言ったでしょう? アンジェリカが怖がったらどうするの」

 夫人とマリサは二人で笑い合っている。マリサと呼ばれる女性は夫人と同い年くらい。この人も母のことを知っているのだろうか。

「あとは下働きの通いのメイドが二人いるよ。彼女たちはまたあとで紹介するとして、先に食事にしよう」

 ダスティン男爵がロイに合図すると、3人は部屋から出て行った。ロイにルビィにマリサ、それに通いのメイドが二人。ずいぶん少ない。

 その感想が私の顔に出ていたわけではないだろうが、ダスティン男爵は小さく続けた。

「その、うちはご覧のとおり、貴族とはいえ末端の男爵家だ。それに隣のアッシュバーン領のように鉱脈や産業に恵まれているわけでもない、いわば貧しい部類の貴族だよ。狭い領地で、わずかな収入を得ながら細々と暮らしている。使用人を多く抱えることもできず、カトレアが料理や裁縫といった家事のほとんどを自らやってくれている。私も領地にいる間は森で狩をしたり畑を世話したりして、自分たちの食い扶持を保つために細々働いているし、水汲みや薪割りだって手伝うこともある。もしおまえが、貴族になれば使用人を何十人も抱えて大きなお屋敷に住めると想像していたのなら申し訳ない」

 男爵の説明に、私は大きく首を振った。そんなことは微塵も思っていない、と胸をはっては言えなかった。先ほど、ずいぶん少ないと思ったばかりだ。

 私は前世の記憶からくるファンタジーと貴族社会の想像を恥じた。あれはあくまで架空の世界の話だ。

 そしてこの世界は、架空ではなく現実なのだ。

 乙女ゲームの設定と同じだけど、でも紛れもなく私たちにとっては現実なのだ。

 現実世界で、貴族が平民を支配して暮らしていられるほどの文明度で、そしてこの人たちはそこで根を張って生きている本物の人間だった。人間生きていくためには食べなければならないし、住処をある程度清潔に保たなければならない。スーパーもコンビニもない世界で食料を調達するとすればそれは自ら汗を流さねばならないし、平民にもってこいと命令することもできない。お屋敷の中だって、掃除機も洗濯機もないからすべて手作業だし、洋服を作ることもあるだろう。もちろん、食料や服飾品を扱う店もあるだろうが、それだってお金が必要だ。

 男爵家がどうやって稼いでいるのか今ははっきりしないが、これといった産業がないとすれば、厳しい台所事情なのかもしれない。

   この小さめの屋敷と、通いも含めた5人の使用人。それが、この人たちの現実。そのつつましやかな現実は、私にとって問題ではない、むしろ心地よいものだった。

「あの、私も働けます。お料理や裁縫は苦手だけど、薪割りや水汲みはたぶんできます、それから畑仕事も!」

 前世で派遣されたのは田舎の村。私も村人たちと一緒になって薪割りも水汲みもしたし、事務所の裏には畑だって作った。体が小さいのでやれることに限りはありそうだが、ノウハウはしっかり頭に残っている。

「と、とんでもない! アンジェリカにそんなことさせられないよ」
「そうよ! もう、バーナードったら! あなたが脅すようなことを言うから、アンジェリカがこんな健気なことを……」

 夫人は感極まったようにナプキンで目元をぬぐった。いや、そんなお涙頂戴的な話でなく、こっちはガチなんですが。

「アンジェリカはそんなこと気にしなくていいんだよ。おまえに好きなことをさせるくらいの蓄えはあるから」
「そうよ、欲しいドレスもいっぱい作りましょう。靴もリボンも、宝石も買ってあげるわ」

 ちょうどそのタイミングで、ロイとルビィが料理を載せたワゴンを押して部屋に戻ってきた。当然会話も耳に入ったことだろう。

 まるで私が何かをねだって我がままを言ったように聞こえたのか。ロイは完全な無表情で、ルビィの目には色がなかった。しまったと思ったがどうにもしようがない。

 そのまま給仕された食事に口をつけることとなった。食事はスープから始まる、前世で言うところのフランス料理的な内容だ。私は置かれたカトラリーを使ってメインの肉を細かくして口に運ぶ。

「まぁ、アンジェリカはマナーを知っているのね。スノウはまだそんなに上手にナイフが使えないわ」

 夫人が驚いたように呟いた。一瞬やらかしたかとも思ったが、そこまで不自然というわけでもないだろうと、夫人に軽く黙礼してから食事を続ける。

 アンジェリカ・コーンウィルはおそらくテーブルマナーを知らないはずだ。自宅ではいつもフォークかスプーンだった。だからこれは完全に前世の記憶だ。所属していたNGO団体の本部で研修を受けたとき、なぜだかマナーレッスンも含まれていた。海外生活が長かったこともあり、ナイフやフォークでの食事も慣れたものだ。

 食事中の会話はご法度というマナーが小説の中にあった気もするが、ダスティン男爵家では不要のようだ。男爵と夫人はにこやかに会話を続けている。時折私に質問が飛んでくるので、当たり障りのない返事をする。デザートのムースまで綺麗に完食して、食事時間はつつがなく終わった。

 ふぅ、久々におなかいっぱい。


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