上 下
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本編

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 殿下の朝は早い。

 王立学院に通学する前に、近衛に混ざって剣術の鍛錬をされる。その後身支度をしてから朝食を済まされ、馬車で学院に出かける。

 殿下と常に共にあることを求められる私もまた、同じルーティーンで過ごす。剣術の稽古には参加できないが、いつも見学しているし、食事も同じテーブルでいただいている。独立して王太子宮で過ごすようになった殿下は、週に一度のご家族の晩餐以外は、ひとりで食事する習慣になったのだが、当初から私はその席に呼ばれていた。

「別々に食べれば使用人の手間が増えてしまうだろう」

 実態としては私も使用人のひとりなのだが、この宮では客人と同等の扱いをしていただいている。だから私自身にも侍女が数名つけられている。私が別に食事をするとなれば、その分のテーブルセッティングや給仕が必要になってくるわけで、騒々しいことを好まない殿下の意向から最低限の人数で構成されている王太子宮において、わざわざ私に人手を割くなど、確かにもってのほかだ。

 王立学院に通う馬車も、殿下と同席だ。学院に通う当初からそう定められていた。通学途中に魔力暴走の発作を起こしたことも何度かあり、必要不可欠な処置なのだ。

 昨晩魔力暴走を起こしたとは思えないほど、殿下はいつも通りだった。馬車に揺られながら、肘をついて窓の外を見つめる藍色の瞳を、まっすぐ見つめることは憚られるため、時折ちらちらと眺めながら、私は膝に置いた手を見つめるふりをする。

 馬車の中で会話が為されることはほとんどない。だが、学年末の試験が近づいていたためか、殿下が珍しく口を開いた。

「試験勉強は順調か」
「は、はい」
「……魔法解析学を苦手にしていたな。今期の試験は上級魔法の中でも極めて難解な部類だが、本当に大丈夫なのか」
「その、不安はありますが、私は実技ができませんので、特別に魔法陣解析のテストに振り替えてもらえる予定ですので……」
「魔力のないおまえにとっては魔法陣の読み取りも難しいだろうに」
「えぇ、おっしゃる通りです。ですが、マクレガー侯爵令嬢が勉強を手伝ってくださいますので、なんとかなりそうです」
「……ふん。またしてもメラニア嬢に迷惑をかけるのか」
「申し訳ありません」

 膝の上で硬く両の手を握る。オフホワイトの上質な王立学院の制服に皺が寄るのも構わず、私は俯いたまま反省した。

 魔力のない私が、魔法を中心に教える王立学位に在籍できているのは、ひとえに王太子殿下のおかげだ。彼の魔力暴走発作を治めるためには私が必要で、彼と24時間行動を共にしなければならない。そのため、付き人として学院に通う殿下に付き従うことになったのだが、どういうわけか特別に私も在学を許されることになった。殿下と共に入学してから5年目。年度末の試験が終われば最終学年を残すのみとなる。

 当然ながら魔法が使えない私は、授業に参加させてもらってもほとんど意味がない上、実技の授業においてはやれることすらない。それがこちらもどういうわけか、実技系の授業の単位は座学に振り分けてもらえることになり、一生徒として学院の末席に連なることが許されている。このまま順調にいけば来年の今頃は卒業資格を得られていることだろう。これは殿下の魔力吸収係として召し抱えられたことの思わぬ副産物だった。魔力なしの無魔法の娘が、学院卒業資格を得たところでなんの役に立つのかという思いもあるが、少なくとも故郷の母は喜んでくれている。

 学院の入口に到着し、馬車の扉が開けられた。殿下がまず馬車を降り、次いで私に手が差し伸べられる。使用人に過ぎない私にまでエスコートを申し出てくれるのは、殿下が生粋の王族だからだ。身分が低い、つまらぬ女でも礼儀を尽くさねばならないという紳士的な行動以外の何物でもないのだから、つけあがってはいけないとわかっている。

「殿下、おはようございます」

 私たちを待っていたのはいつもの顔ぶれだ。恭しく首を垂れるのは殿下の側近でもあるカイエン・バルト伯爵子息。王妃宮の筆頭事務官を務め、私を故郷まで迎えにきてくれたあのバルト伯爵の養子となった人だ。艶やかな黒髪を肩口でひとつにまとめ、濃紺の制服を一分の乱れもなく着こなしている。細いフレームの眼鏡の下の、知性を感じさせる瞳は薄い青。その能力の高さから伯爵本家に迎えられたという彼は、養父であるバルト伯爵の期待通り、王太子殿下と学院トップの座を分け合っている。

 そんな彼のすぐ隣で完璧なまでの淑女の礼をとっているのは、見事な赤毛をゆるく編み込み、優雅に微笑む美しい少女だった。

「おはようございます。王太子殿下にはごきげん麗しゅう」
「あぁ、おはよう」

 カイエン様とその美しい少女―――メラニア・マクレガー侯爵令嬢に挨拶を返した殿下は、そのまま学院の玄関へと足を踏み入れた。

 いつもならこのまま教室へと向かうのが慣しだ。だがこの日はメラニア様が私に微笑みかけた。






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