上 下
10 / 106
本編

10

しおりを挟む
 その日の夕方、殿下の容体が急変した。

 殿下の居室は王妃宮の中にある。私の部屋も王妃宮の中の離れた場所に用意されていた。その部屋の扉を叩いたのは、昼間、バルト伯爵と別れた後に、私の部屋を訪れた魔道士のひとりだった。

「殿下が魔力暴走を起こしておられます。急ぎお越しください」

 初老の魔道士の要請で、私は取るものとりあえずの体で部屋を出された。近衛兵が警備する一角を通り過ぎ、殿下の部屋にたどり着くと、そこにはバルト伯爵や数名の魔道士のほか、ひとりの女性の姿があった。

「あぁ、カーティス……」

 ベッドに横たわり、大きく息を荒げるのは、先ほどお会いした王太子殿下その人。そしてその枕元で彼の額に手を置き、彼の名を呼ぶその人が誰なのか、無学な私でもすぐに察した。

 礼をとらなければと戸惑う私の手を、バルト伯爵がやや強引に引いた。

「王妃陛下、ユーファミア嬢が参りました。既に殿下をお助けする方法について魔道士が指導済みです。彼女に任せてみましょう」
「あなたが……」

 見開かれた瞳の美しさが、横たわる殿下を思わせる。固まる私の背を、バルト伯爵はさらに押してベッドに近づけようとした。

 すると王妃陛下が今度は私の肩に手を置いた。

「お願い。息子を助けてやってちょうだい。もう魔道士たちの治癒魔法も効かなくなってしまったの」

 今にも溢れそうな涙を押し留める王妃陛下の先には、蒼白な顔色で胸を上下させる美しい天使がいた。そのまま背中を押され、私は彼と対峙した。

 魔道士から教わった方法。王家に伝わる秘伝のカルテに記された、魔力暴走の治癒方法はとても簡単なもの、“ただ、唇を合わせるのみ“であると。

 私は思わず振り返った。目の前に王妃陛下、その後ろにバルト伯爵。数名の魔道士。さらに彼らの側仕えと思われる使用人たち。警護の騎士の姿まである。

(ここで、こんな人前で、殿下にキスをしないといけないのーーー!?)

 あまりの羞恥に顔が赤くなる。その私の耳に、苦しげな呻き声が聞こえてきた。はっと振り返ると、ベッドに横たわった殿下の瞳が、うっすらと開かれた。吹き出す汗で貼り付いた額髪の間から、虚ながらもまっすぐに私を捉えた視線。

「殿下……」
「……てくれ」

 すぐ近くで耳を側立てていた私にだけ聞こえた掠れ声。

(助けてくれ……)

 動かすのも億劫な唇が、そう紡いだのかと確信したとき。

 私は決意とともに自らの瞳を強く閉じた。

「今すぐ、お楽にしてさしあげます」

 これは治療だ。やましい気持ちなど何もない。キスという行為が持つ、あらゆる意味は、この治療行為の前で無意味だ。

 そう心の中で言い聞かせながら、私は殿下の唇に、自らのそれを重ねた。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】 悪役令嬢は『壁』になりたい

tea
恋愛
愛読していた小説の推しが死んだ事にショックを受けていたら、おそらくなんやかんやあって、その小説で推しを殺した悪役令嬢に転生しました。 本来悪役令嬢が恋してヒロインに横恋慕していたヒーローである王太子には興味ないので、壁として推しを殺さぬよう陰から愛でたいと思っていたのですが……。 人を傷つける事に臆病で、『壁になりたい』と引いてしまう主人公と、彼女に助けられたことで強くなり主人公と共に生きたいと願う推しのお話☆ 本編ヒロイン視点は全8話でサクッと終わるハッピーエンド+番外編 第三章のイライアス編には、 『愛が重め故断罪された無罪の悪役令嬢は、助けてくれた元騎士の貧乏子爵様に勝手に楽しく尽くします』 のキャラクター、リュシアンも出てきます☆

【完結】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜

鈴木 桜
恋愛
貧乏男爵の妾の子である8歳のジリアンは、使用人ゼロの家で勤労の日々を送っていた。 誰よりも早く起きて畑を耕し、家族の食事を準備し、屋敷を隅々まで掃除し……。 幸いジリアンは【魔法】が使えたので、一人でも仕事をこなすことができていた。 ある夏の日、彼女の運命を大きく変える出来事が起こる。 一人の客人をもてなしたのだ。 その客人は戦争の英雄クリフォード・マクリーン侯爵の使いであり、ジリアンが【魔法の天才】であることに気づくのだった。 【魔法】が『武器』ではなく『生活』のために使われるようになる時代の転換期に、ジリアンは戦争の英雄の養女として迎えられることになる。 彼女は「働かせてください」と訴え続けた。そうしなければ、追い出されると思ったから。 そんな彼女に、周囲の大人たちは目一杯の愛情を注ぎ続けた。 そして、ジリアンは少しずつ子供らしさを取り戻していく。 やがてジリアンは17歳に成長し、新しく設立された王立魔法学院に入学することに。 ところが、マクリーン侯爵は渋い顔で、 「男子生徒と目を合わせるな。微笑みかけるな」と言うのだった。 学院には幼馴染の謎の少年アレンや、かつてジリアンをこき使っていた腹違いの姉もいて──。 ☆第2部完結しました☆

【完結】アラサー喪女が転生したら悪役令嬢だった件。断罪からはじまる悪役令嬢は、回避不能なヤンデレ様に溺愛を確約されても困ります!

美杉。節約令嬢、書籍化進行中
恋愛
『ルド様……あなたが愛した人は私ですか? それともこの体のアーシエなのですか?』  そんな風に簡単に聞くことが出来たら、どれだけ良かっただろう。  目が覚めた瞬間、私は今置かれた現状に絶望した。  なにせ牢屋に繋がれた金髪縦ロールの令嬢になっていたのだから。  元々は社畜で喪女。挙句にオタクで、恋をすることもないままの死亡エンドだったようで、この世界に転生をしてきてしあったらしい。  ただまったく転生前のこの令嬢の記憶がなく、ただ状況から断罪シーンと私は推測した。  いきなり生き返って死亡エンドはないでしょう。さすがにこれは神様恨みますとばかりに、私はその場で断罪を行おうとする王太子ルドと対峙する。  なんとしても回避したい。そう思い行動をした私は、なぜか回避するどころか王太子であるルドとのヤンデレルートに突入してしまう。  このままヤンデレルートでの死亡エンドなんて絶対に嫌だ。なんとしても、ヤンデレルートを溺愛ルートへ移行させようと模索する。  悪役令嬢は誰なのか。私は誰なのか。  ルドの溺愛が加速するごとに、彼の愛する人が本当は誰なのかと、だんだん苦しくなっていく――

【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った

五色ひわ
恋愛
 辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。 ※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

ラスボス魔王の悪役令嬢、モブを目指します?

みおな
恋愛
 気が付いたら、そこは前世でプレイした乙女ゲームを盛り込んだ攻略ゲーム『純白の百合、漆黒の薔薇』の世界だった。  しかも、この漆黒の髪と瞳、そしてローズマリア・オズワルドという名。  転生先は、最後に勇者と聖女に倒されるラスボス魔王となる悪役令嬢?  ラスボスになる未来なんて、絶対に嫌。私、いっそモブになります?

【完結】愛とは呼ばせない

野村にれ
恋愛
リール王太子殿下とサリー・ペルガメント侯爵令嬢は六歳の時からの婚約者である。 二人はお互いを励まし、未来に向かっていた。 しかし、王太子殿下は最近ある子爵令嬢に御執心で、サリーを蔑ろにしていた。 サリーは幾度となく、王太子殿下に問うも、答えは得られなかった。 二人は身分差はあるものの、子爵令嬢は男装をしても似合いそうな顔立ちで、長身で美しく、 まるで対の様だと言われるようになっていた。二人を見つめるファンもいるほどである。 サリーは婚約解消なのだろうと受け止め、承知するつもりであった。 しかし、そうはならなかった。

【完結】人生2回目の少女は、年上騎士団長から逃げられない

櫻野くるみ
恋愛
伯爵家の長女、エミリアは前世の記憶を持つ転生者だった。  手のかからない赤ちゃんとして可愛がられたが、前世の記憶を活かし類稀なる才能を見せ、まわりを驚かせていた。 大人びた子供だと思われていた5歳の時、18歳の騎士ダニエルと出会う。 成り行きで、父の死を悔やんでいる彼を慰めてみたら、うっかり気に入られてしまったようで? 歳の差13歳、未来の騎士団長候補は執着と溺愛が凄かった! 出世するたびにアプローチを繰り返す一途なダニエルと、年齢差を理由に断り続けながらも離れられないエミリア。 騎士団副団長になり、団長までもう少しのところで訪れる愛の試練。乗り越えたダニエルは、いよいよエミリアと結ばれる? 5歳で出会ってからエミリアが年頃になり、逃げられないまま騎士団長のお嫁さんになるお話。 ハッピーエンドです。 完結しています。 小説家になろう様にも投稿していて、そちらでは少し修正しています。

処理中です...