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58 彼女の罪

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 しばらく夜会を楽しんでいると、入り口付近で微かなざわめきが起きた。
 何だろうと首をかしげたルフィナに、カミルはにやりと笑い、行こうと声をかける。
 連れられて行った先には、サラハの姿があった。薄桃色のドレスに身を包んだ彼女は相変わらず可憐だ。
 一瞬足を止めたルフィナの背を、大丈夫だというように叩いたカミルは、そのまま彼女のそばに歩いていく。王に挨拶をしていたサラハを囲むように、会場の中心に集まるような形となった。
 アルゥの香りを嗅ぎたくないルフィナはあまり近づきたくなかったのだが、カミルは大丈夫だからと笑うばかり。二度とアルゥの香りを嗅がせないと約束してくれたカミルを信じながらも、ルフィナは極力鼻で息をしないよう意識する。
「やぁ、サラハ。来てくれて嬉しいよ」
「ご招待いただきありがとうございます、カミル様」
 カミルに声をかけられて笑顔で挨拶をするサラハは、やはり守りたくなるほど儚げで可愛らしい。ドレスのデザインは可憐だが、深く開いた胸元や腿に入ったスリットなど妖艶さも兼ね備えている。
 見るからに高級な仕立てだと分かる美しいドレスは、サラハに良く似合っていた。 
 だが彼女は、ルフィナの顔を見た瞬間に信じられないといった様子で表情をこわばらせた。すぐに取り繕うように笑みを浮かべたが、その頬は微かに青ざめている。
「どうかしたか? まるでルフィナがここにいるのが信じられないといった顔だが」
「いえ……そんなこと、ございませんわ」
 大げさな仕草で首をかしげるカミルに、サラハは何でもないと笑みを浮かべた。先程一瞬見せたこわばった表情などなかったかのように、彼女は愛らしい顔を取り戻していた。 
 それを見て、カミルはルフィナを抱き寄せると慈しむように頬を撫でた。
「先日、俺が少し不在にしている間に城が何やら騒がしかったようだから、ルフィナにはあまり外に出ないようにと言っていてね。大切に守ってやりたくて、つい部屋に閉じ込めてしまうんだ。今日の夜会だけはどうしても参加したかったから、こうして片時も離れないようにしているんだ」
「そ……そうですか」
 まるで見せつけるようにルフィナの額に口づけをして、カミルは笑う。サラハは笑顔で応えているが、ルフィナを見つめる視線には微かな苛立ちが混じっていた。まだカミルのことを諦めていないその表情に、ルフィナは心の中でため息をつく。
 ふと、カミルはすんと鼻を鳴らしてにっこりと笑みを浮かべた。 
「あぁそうだ、約束を守ってアルゥの香水をつけずに来てくれて感謝する。俺の可愛い妻は、アルゥの香りがとても苦手でね。少し嗅ぐだけで吐き気を催してしまうので、今日の料理にも一切使わないようにと頼んであるくらいなんだ」
「まぁ、そうだったのですね」
 知らなかったと頬を押さえて心配そうにルフィナの方をうかがうサラハは、本心からそう思っているように見える。アルゥの香りを受け付けなくなった原因が自分だとは、夢にも思わないといった様子だ。
 そんなサラハを見ながら、カミルはちらりとどこかへ目くばせをした。その合図で、いつの間にか戻ってきていた騎士団長が進み出てくる。その手にあるのは、白い封筒だ。
「サラハに聞きたいことがあってね。それで今日は来てもらったんだ」
「何でしょうか」
 笑顔で首をかしげたサラハのもとに、封筒が差し出される。それを見た瞬間、彼女は小さく息をのんだ。
「その封筒に、見覚えがあるだろう? 我が国の機密情報を外部に持ち出そうとした、反逆の証拠となる手紙だ」
「いいえ、何のことか……分かりませんわ」
 微かに震える声で、サラハは首を振る。忙しなく周囲に目を向ける彼女は、かなり動揺しているようだ。 
「おかしいな、封筒の端にアルゥの花びらがくっついていたんだが」
「そ、それは……アルゥの実を城にお届けする際に、紛れ込んだのかもしれませんわね。その封筒がどこで使われたものかは存じませんが、アルゥの実は城の各所にお届けしておりますもの。風に乗って花びらがお部屋に舞い込むことだってあると思いますわ。それに、アルゥを取り扱うのは我が兎獣人のサキーユ家のみ。例えばわたくしの父に疑いの目を向けるために誰かが花びらを仕込んだということは考えられませんか?」
 カミルの言葉に、サラハは淀みない口調で語る。話しているうちに自信を取り戻したのか、その表情から不安の色が消えていく。
「……確かにアルゥの実は、厨房をはじめとして色々な場所に届けられるからな。花びらが紛れ込む可能性もゼロではない。サキーユ宰相の足を引っ張りたいと考える者の仕業と考えることもできるな」
 カミルの言葉に、サラハはその通りだと言わんばかりの笑みを浮かべた。
「えぇ。ですがルフィナ様はアルゥの香りが苦手ということでしたら、これからは一層検品に気をつけますわ。うっかりお部屋に花びらが舞い込んだりしたら、大変ですものね。これまでもそうしたことがあったかもしれませんし」
 気遣うような発言だが、何かの拍子にルフィナの部屋に花びらが紛れ込んだのだと言いたいのだろう。微かな香りですら吐き気を催すルフィナが封筒にくっついた花びらに気づかないはずはないのだが、サラハに疑いの目を向けるためにわざと封筒に花びらを仕込んだと言いたいのだろう。
 自らの無実を証明できたと思ったのか、サラハは晴れやかな表情で微笑むとカミルを見た。
「わたくしは、このアルデイルを心から愛しておりますもの。反逆だなんて恐ろしいこと、考えたこともございませんわ。カミル様、そちらの手紙はどこに宛てて書かれたものですの? 手紙に関連する方が一番怪しいのでは?」
「白々しいな。あくまで認める気はないということか」
 サラハの言葉にかぶせるように言って、カミルはため息をつく。疲れたように一度目を閉じ、再び目を開けた時には、彼はこれまでにないほどに冷たい表情をしていた。
「素直に認めていれば、良かったものを」
 低くつぶやいたあと、カミルはサラハをまっすぐに見つめた。その視線の鋭さに彼女の顔から笑顔が消える。
「その手紙には、ひとつ特徴的なことがあってな。何故かインクからもアルゥの香りがするんだ。アルゥの香りをつけたインクなど、一般には出回っていない。それを使っているのは――おまえしかいないよな、サラハ」
「……っそれ、は」
 震える声でつぶやいたサラハは、一瞬で青白い顔になる。それでも、かたかたと身体を震わせながら唇を噛む彼女は、この状況でも庇護欲をそそる可愛らしさだった。
 だがそれもカミルには通用しない。表情を変えることなく冷たく見据えられて、サラハは微かに怯えたような顔になった。
「我が妻ルフィナを陥れようとしたばかりか、国家機密を漏らすような真似をするなど言語道断。おまえには相応の罰が下るだろう」
 静まり返った会場に、カミルの低い声が響く。その場に崩れ落ちたサラハを、騎士団長が拘束した。
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