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二つの魂 1
しおりを挟む「……お願いだ……どうか、ファテナを……。俺から何を奪っても構わないから……だから」
しゃくりあげながら精霊に乞い続けるザフィルを見て、ガージは声をあげて笑った。しっかりと縛られていて身動きはできないが、口を塞がれていなかったので声を出すことはできる。
「情けないな、勇猛果敢で知られるテミム族の長とは思えない姿だ。おまえはやっぱり族長にはふさわしくない。散々女に溺れ、女が死んだくらいで泣きじゃくるような弱い男に、このテミム族を任せることなんてできるものか」
次々と嘲るような言葉を投げかけたが、ザフィルの耳にガージの声は届いていないようだ。彼はうつむいて、ぶつぶつとひたすらに精霊に願い続けている。
反応がないので面白くないため、ガージはザフィルを傷つけることを早々に諦めた。その代わりに、部屋の中央に立つ背の高い人物を見つめた。
真っ白な長い髪に性別不詳の美しい顔立ち。纏う空気は明らかに異質なもので、ザフィルとのやり取りからこの人物が精霊であることは分かった。
テミム族は族長のザフィルの考えによって、精霊の力を借りることを良しとしなかったため、精霊を目にするのは初めてだ。だが、対価を差し出せば願いを叶えてくれることは知っていた。
今もまさに、ファテナが自らの魂を対価にザフィルを救ったのだから、ガージも何かを差し出せば願いを叶えてもらえるかもしれない。
ごくりと唾を飲み込むと、ガージは精霊に声をかけた。
「……ねぇ、ぼくの願いも叶えてよ。この縄を外して欲しいんだ。対価は……そうだな、ぼくの兄の命でどうかな。双子なんだ、同じ顔をしてるから分かりやすいだろう?」
ガージの言葉に、精霊はゆっくりと視線を向けた。透き通るような水色の瞳は冷え冷えとしていて、背筋がぞくりとする。
怒らせただろうかと息を詰めたガージを見て、精霊はにっこりと笑った。その顔は思わず見惚れるほどに美しく、ガージはぽかんと口を開けた。
「おまえ、火傷をしているね。煙を吸ったのか、喉が焼けている」
「え……? あぁ、少し煙にやられてしまったけど……」
「喉が渇くだろう、水が欲しくはないか」
直接頭の中に囁くような声に、ガージはぼんやりとしたままうなずいた。確かにザフィルを探して燃える館の中をうろついていた際に煙を多少吸ってしまったが、さっきまでは何の違和感もなかった。なのに、急に耐えがたいほどの喉の渇きを覚えた。今すぐ水を飲みたくて仕方がなくなる。
「水が……欲しい。喉が渇いて、たまらないんだ」
そうつぶやくと、精霊は口の端を大きく上げて微笑んだ。こちらを見つめる水色の瞳は少しも笑っていないことに気づくが、その意味をガージが考える前に精霊がパチリと指を鳴らした。
「ならば、存分に飲むといい」
「え、……っあ、ぶぁ……っ」
精霊の言葉と同時に、ガージの真上に突然大量の水が降り注ぐ。水を飲むどころか目や鼻にも凄まじい量の水が流れ込んで息ができなくなる。縛られているから、手で水を遮ることすらできない。このままでは溺れて死んでしまうと思った瞬間、水は跡形もなくかき消えた。
激しく咳込みながら呼吸を整えるガージの目の前に、いつの間にか精霊が立っていた。まっすぐに見下ろす精霊の顔は、もう笑みを浮かべていない。無表情なのに美しいその顔から、恐ろしいほどの苛立ちと怒りを感じ取って、ガージの身体は勝手に震えだす。
「対価を勝手に決められるのは不愉快だ。おまえが差し出そうとした兄とやらは、先程我が愛し子が救いたいと願ってわたしが助けた命だ。同じ顔をしていても、おまえの心根は腐っているね」
「いや、あの……だって」
必死で言い訳をしようと言葉を探すが、動揺のあまり何も出てこない。
急所を外しておいたし、エフラはまだ生きているだろうとは思っていたが、精霊も兄と会っていたらしい。あの傷を、精霊が治したというのだろうか。いつの間にか短くなっていたファテナの髪は、兄の治癒の対価として奪われたということか。
精霊が一人の人間に肩入れするなど聞いたことがなかったが、愛し子という言葉から察するに、ファテナはこの精霊にとって特別な存在なのだろう。そんな彼女が救った人間の命を再び差し出すと言ったガージは、精霊の逆鱗に触れたらしい。
失言だったことに気づくが、どう弁解すればいいのかも分からない。結局何も言えずに黙るしかないガージに、精霊は手を差し出した。
「では、水の対価をもらおうか」
「……え?」
先程降り注いだ水は、精霊がガージに与えたもの。確かにガージは水が欲しいと口にして、精霊はその願いを叶えたのだ。
精霊は、対価なしに願いを叶えることはない。求められるものは、何だ。
目を見開いて固まるガージの胸元を、精霊はまっすぐに指差した。
「対価は、おまえの魂だ」
「え、待って、そんな、ぼく……っ」
あの溺れそうな水の対価として求められるものが、魂だなんて。そんなの釣り合いが取れていない。
ぱくぱくと口を動かしてそう言おうとするのに、声がうまく出ない。
精霊は気まぐれで、些細な願いごとに命を求める場合もあれば、到底叶わないような願いであっても小さな宝石ひとつで叶えてくれることもある。
そうと知っていても、まさか本当に魂を求められるとは思わなかった。
「ひ……っ、嫌……いやだ、ぼくは……」
逃れようと必死に首を振るが、精霊はガージをじっと見つめたままだ。身体の芯から冷えるようなその視線に耐えかねて、ガージは強く目を閉じた。その瞬間、ガージの意識はぷつりと途切れた。
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