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「今年のシュクリの出来も、なかなかだな」
 そう言ってイザートが黄色い果実にかぶりつく。シュクリは水が不足しがちなこのあたりでは育てるのが難しい果実だが、皿の上には立派な丸い実が山のように積まれている。やはりウトリド族は水に困っていないようだ。
「そうだ、あたしの結婚式の料理にはたくさんのシュクリの実を使ってもらおうかしら」
 そんな声と共に、全ての指にぎらぎらと輝く指輪をはめた白くむっちりとした手が果実を摘まみ上げる。手の主は恐らくイザートの娘だろう。巫女姫ファテナの妹姫か。
 悪趣味なほどに輝きを纏うその手を見ていたザフィルは、あることに気づいて思わず口元を押さえた。
 彼女が右手の小指にはめている紫の石のついた指輪に、見覚えがあったのだ。
 それは、ザフィルのもとでよく働いてくれていた男が持っていたはずのもの。婚約者にあげるつもりなのだと、暇を見つけては石を磨き、指輪に細工をしていたのを見ていたから知っている。
 狩りの最中にはぐれて、その後行方が分かっていない彼が持っていたはずの指輪を、何故ウトリド族の娘が身につけているのだ。
 嫌な予感にザフィルの鼓動が速くなる。
 室内ではイザートらが談笑しながら食事を続けているが、ザフィルは体温が下がったような心地になった。
 よく見ると窓辺に日除け代わりに飾られている布は、砂埃から肌を守るために身に纏う薄い外套で、テミム族の伝統的な手法で織られたものだ。ウトリド族との交流はほぼないに等しいのに、何故あの布がここにある。
 周囲に警戒をしながらも落ち着きなく室内を見回すザフィルの目の前で、イザートがそういえばとつぶやいて胸元から大きな緑色の石のついた腕輪を取り出した。
「ディアド、おまえの欲しがっていた翠玉が手に入ったぞ」
「まぁ……! 素敵、お父様ありがとう!」
 嬉しそうに腕輪に手を伸ばしかけた娘――ディアドは、眉を顰めて手を止めた。
「いやだわ、お父様。血がついたままよ」
「ん? あぁ、すまん、拭き取ってなかったか。かなり抵抗されたからな。だがどうせ使うのは石の部分だけだろう」
「そうだけど、触りたくないわ、野蛮なテミム族の血なんて」
 ディアドは汚いものを見るような表情を浮かべながら、布巾で腕輪を摘まみ上げる。
 自分の部族の名前が出たことに驚きながらも、ザフィルは小さく息を詰めて会話の内容に耳を傾けた。
 予想した通り、ウトリド族は周囲を通りかかった他部族の者を襲っていた。身に着けた金品を奪い、あとは用済みとばかりに殺していたようだ。恐らく、あの紫の指輪の主もすでに殺されているのだろう。
 もっと早くに救出できていればと唇を噛んだザフィルの耳に、甘ったるいディアドの声が響いた。
「でもお父様、あたしテミム族の族長は、一度見てみたいの。太陽の光のような金色の髪をしている美男子なんですって。本当にいい男なら、一度くらい味見をしてみたいものだわ」
「この前、新しい男を与えたばかりだろう。もう飽きたのか」
「あぁ、あれね。おとなしくさせようと思って薬を使ってたんだけど、昨日だったかしら、壊れてしまったのよ。テミム族の男は、身体つきはいいんだけど反抗的なのが嫌ね。勃たない男に用はないから裏山に捨てたわ。今頃、獣の餌にでもなってるんじゃないかしら」
 けらけらと笑いながら、なんでもないことのように笑うディアドの言葉に、ザフィルは奥歯を強く噛みしめた。
 自分が話題に上がっていることも腹立たしいが、仲間が受けた仕打ちを思うと手が震えるほどの怒りを覚える。
 あとで裏山を確認に行かねばならない。
 ザフィルがそう心に決めている間にも、話は続いていく。
「この前捕らえたテミム族の男が、もう一人余ってたでしょう。あれを新しくいただこうかしら。水しか与えてないから弱ってるでしょうけど、その分従順かもしれないわ」
「男遊びも構わないけれど、子ができないように、それだけは気をつけなさいよ。あなたはいずれ、跡継ぎを産むのだから」
 たしなめるような口調で母親に言われて、ディアドは小さく肩をすくめてみせる。
「分かってるわよ。あたしだって、野蛮な他の部族の子を産むなんて考えたらぞっとするもの。ちゃんと避妊はしてるわ」
 語られる内容の醜悪さに、震える拳を握りしめてザフィルは怒りを堪えた。精霊に愛されるどころか私欲のために人を殺め、陵辱するなど、なんと罰当たりな一族なのか。
 朝に見かけた巫女姫ファテナも同様なのだろうか。精霊は殺生を嫌い、純潔を愛するはずだが。
 そんなことをザフィルが考えていると、親子の会話は巫女姫ファテナの話題へと移っていった。
「それにしても、お姉様は何が楽しくて生きてるのかしら。肉や魚も食べられず、ただ精霊に祈るだけの日々でしょう。それに、一生男を知らずに過ごすなんて、あたしなら耐えられない」
 頬を押さえて顔を顰めてみせながら、ディアドは身震いをした。肉づきのよい――というよりも脂肪に覆われただらしない身体がぶるぶると揺れるのが醜悪だ。
「ディアドったら、そう馬鹿にしたら可哀想よ。ファテナのことを精霊が気に入っているからこそ、ウトリド族はここまで繁栄することができたんだから。精霊の力を借りる対価はファテナが全て背負ってくれるんだから、ありがたい存在だと思わなければ」
「そうね、お母様の言う通りだわ。心から感謝しなくちゃね。精霊に愛されていると信じて、自らの命を差し出してくれている、哀れで愚かなお姉様に」
 嘲るように母娘はくすくすと笑い合うと、シュクリの実を口に運んだ。真っ赤な紅を塗った唇が果汁でてらてらと光り、まるで血のように見える。
「俺の言うことにはおとなしく従うよう、ガキの頃から反抗すれば食事抜きになると躾をしておいたからな。おかげで文句ひとつ言わず精霊に全てを捧げてくれる」
「お父様ったら、実の娘に対して酷い仕打ちよね」
「あいつは、死んだ母親にそっくりだからな。顔を見るとあの陰気な女を思い出してしまう。精霊が気に入ってくれてこちらとしても大助かりだ。ファテナを食わせておけば精霊はおとなしいし、あいつにそっくりだった髪色すら白く染めてくれるんだから」
「老婆のような真っ白な髪が好きだなんて、精霊も悪趣味よね。髪の色まで食われるなんて、想像しただけで鳥肌がたつわ」
「精霊に気に入られ、食われたやつは目も髪も真っ白になるからな。いつか血の色すら、白くなるかもしれない」
「やだ、ますます気持ち悪いわ」
 そう言って笑い合う親子は、ファテナを馬鹿にしているようだ。巫女姫と呼ばれておきながら、ファテナは家族から酷い扱いを受けているらしい。食卓の上の料理も精霊が嫌う肉や魚ばかりなので、彼女は食事すら一緒にとっていないのだろう。
 精霊の力を借りる代償に、ウトリド族は娘を生贄として差し出していたのだと、ザフィルは小さく唇を噛んだ。
「でもお姉様も寿命を食われているんだから、いつまで生きていられるか分からないものね。大切にしてあげなくちゃ。精霊の生贄になってここまで長生きするのも珍しいんでしょう?」
「まぁ、あれが死んだ時は新しく生贄を捧げればいいだけの話だ。精霊は無垢なものが好きだからな、赤ん坊でも捧げれば大喜びで食うさ」
「あたしの子供を捧げるのだけはやめてね、お父様」
「それはもちろんだ。おまえの子供は、いずれこのウトリド族を背負うことになるんだから」
「ファテナが子供を産めたなら、その子を差し出すのにね。純潔でなければ精霊は離れていくなんて、そこだけはやっかいだわ」
 吐き気のするような会話が続いているが、ザフィルはそっとその場を離れた。まだ捕らえられているはずのテミム族の仲間を救い出す方法を考えなければならない。
 気配を殺して歩きながら、ザフィルはウトリド族を滅ぼすことを考えていた。私利私欲のために人を攫っては殺すなど、放置しておくわけにはいかない。今は通りがかった者を襲うだけで済んでいるが、いつ他部族に攻め込んでくるかも分からない。
 贅沢三昧の族長親子に比べて、村人は服装も食事も家も質素なものだった。彼らは、自分たちの生活を支えているのは長ではなく巫女姫ファテナであることをよく分かっていた。醜悪なのは族長親子とその周辺だけで、その他の民はテミム族に吸収しても問題なさそうだ。
 ウトリド族の象徴とでもいうべき巫女姫ファテナを奪えば、ウトリド族の士気は確実に下がる。取り込むことは容易いだろう。
「……少なくとも、今よりはましな生活をさせてやるよ、巫女姫様」
 純白の巫女姫の顔を思い出しながら、ザフィルは小さくつぶやいた。
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