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翌朝、まだ暗いうちに起き出したファテナは身支度を整えると館に向かい、厨房の竈に火を灯した。
誰もが眠っている静かな村の中を足を忍ばせて歩き、集落のはずれにある泉を目指す。鬱蒼とした茂みに囲まれた泉には水の精霊が宿ると言われ、ファテナ以外誰も近づくことはない。
泉のほとりで膝をつき、今日も水が使えることに感謝の祈りを捧げたあと、ファテナは着ていた服を全て脱ぎ捨てると澄んだ水の中に飛び込んだ。髪を編んでいた紐を解くと、長い髪がゆらゆらと揺れながら広がっていく。ひんやりとした水に包まれていると、眠気も空腹も、もやもやした気持ちすらどこかに行ってしまうような気がする。
手足を投げ出した体勢で、ファテナは水面にゆったりと浮かびながら空を見上げた。日の出が近づいてきて、空がだんだんと明るくなるこの時間がファテナは好きだ。濃紺の空が端からだんだんと白く明るくなっていく中、夜の終わりを惜しむように瞬く星が朝の光に溶けていく。
水の精霊が、悪戯するように時折ちゃぷちゃぷと水面を揺らすのを聞きながら目を閉じると、このまま水に沈んでいったらどうなるだろうとファテナはいつも思う。精霊の宿るこの泉に沈んだら、ファテナ自身も精霊の仲間になれるのではないだろうか。
目を閉じて少しずつ息を吐き出すと、身体が水の中に沈んでいく。唇からぷくりと小さな泡がこぼれ出るのと同時に、精霊がこちらにおいでと笑って呼んだような気がした。
ゆっくりと泉の底に沈んでいこうとしたその時、不意に人の気配を感じてファテナは目を開けた。聖域とされるこの泉に近づくことを許されているのは、巫女姫であるファテナだけだ。ファテナを嫌って様々な嫌がらせをしてくるディアドですら、この泉への立ち入りは禁じられている。だとすれば、ウトリドの民以外だろうか。精霊の力を恐れて他部族の者がウトリド族に近寄ってくることは滅多にないが、それでも安心できない。
慌てて水からあがったファテナは、急いで衣服を身に着けながら周囲の様子を精霊に尋ねる。風の精霊が、ここにはもういないと囁いたことからも、誰かが近くにいたことは確かだ。大丈夫、早く帰ろうと精霊が促すので、悪意を持った相手ではないということだろうか。
濡れたままの髪を手早く編むと、ファテナは最後にもう一度泉の周辺を確認するように見回してからその場を離れた。
それ以降、周囲の気配を気にしながら過ごしていたものの、特に問題が起こる様子はなかった。基本的に閉鎖的なウトリド族だが、細々と外部の行商人とやりとりをすることはあるし、長のもとには時折他部族から使いの者が訪ねてくることもある。きっと、泉のそばで感じた気配もそうした誰かが迷い込んだのだろう。つい数日前にも、長のもとに来客があったはずだ。
もっともファテナは、目立つ容姿ゆえに来客の前には姿を見せないようにと言いつけられているから、誰かが来たと精霊が話すのを耳にしただけだが。
「……そういえば、あの日は少し落ち着きがなかったわね」
ふと思い出してファテナはつぶやく。いつもそばにいる精霊が、少し騒いでいたのを思い出したのだ。基本的に外部の者が来るのを精霊は嫌うから、来客の日は精霊の機嫌がよくない。ひたすらに祈りを捧げることで精霊をなだめるのだが、先日の来客時には精霊が落ち着くまでに随分と時間がかかった。
「あの時の来客は、誰だったのかしら」
精霊に聞いても答えなど返ってこないけれど、ひとりごとのようにファテナはつぶやいた。
誰もが眠っている静かな村の中を足を忍ばせて歩き、集落のはずれにある泉を目指す。鬱蒼とした茂みに囲まれた泉には水の精霊が宿ると言われ、ファテナ以外誰も近づくことはない。
泉のほとりで膝をつき、今日も水が使えることに感謝の祈りを捧げたあと、ファテナは着ていた服を全て脱ぎ捨てると澄んだ水の中に飛び込んだ。髪を編んでいた紐を解くと、長い髪がゆらゆらと揺れながら広がっていく。ひんやりとした水に包まれていると、眠気も空腹も、もやもやした気持ちすらどこかに行ってしまうような気がする。
手足を投げ出した体勢で、ファテナは水面にゆったりと浮かびながら空を見上げた。日の出が近づいてきて、空がだんだんと明るくなるこの時間がファテナは好きだ。濃紺の空が端からだんだんと白く明るくなっていく中、夜の終わりを惜しむように瞬く星が朝の光に溶けていく。
水の精霊が、悪戯するように時折ちゃぷちゃぷと水面を揺らすのを聞きながら目を閉じると、このまま水に沈んでいったらどうなるだろうとファテナはいつも思う。精霊の宿るこの泉に沈んだら、ファテナ自身も精霊の仲間になれるのではないだろうか。
目を閉じて少しずつ息を吐き出すと、身体が水の中に沈んでいく。唇からぷくりと小さな泡がこぼれ出るのと同時に、精霊がこちらにおいでと笑って呼んだような気がした。
ゆっくりと泉の底に沈んでいこうとしたその時、不意に人の気配を感じてファテナは目を開けた。聖域とされるこの泉に近づくことを許されているのは、巫女姫であるファテナだけだ。ファテナを嫌って様々な嫌がらせをしてくるディアドですら、この泉への立ち入りは禁じられている。だとすれば、ウトリドの民以外だろうか。精霊の力を恐れて他部族の者がウトリド族に近寄ってくることは滅多にないが、それでも安心できない。
慌てて水からあがったファテナは、急いで衣服を身に着けながら周囲の様子を精霊に尋ねる。風の精霊が、ここにはもういないと囁いたことからも、誰かが近くにいたことは確かだ。大丈夫、早く帰ろうと精霊が促すので、悪意を持った相手ではないということだろうか。
濡れたままの髪を手早く編むと、ファテナは最後にもう一度泉の周辺を確認するように見回してからその場を離れた。
それ以降、周囲の気配を気にしながら過ごしていたものの、特に問題が起こる様子はなかった。基本的に閉鎖的なウトリド族だが、細々と外部の行商人とやりとりをすることはあるし、長のもとには時折他部族から使いの者が訪ねてくることもある。きっと、泉のそばで感じた気配もそうした誰かが迷い込んだのだろう。つい数日前にも、長のもとに来客があったはずだ。
もっともファテナは、目立つ容姿ゆえに来客の前には姿を見せないようにと言いつけられているから、誰かが来たと精霊が話すのを耳にしただけだが。
「……そういえば、あの日は少し落ち着きがなかったわね」
ふと思い出してファテナはつぶやく。いつもそばにいる精霊が、少し騒いでいたのを思い出したのだ。基本的に外部の者が来るのを精霊は嫌うから、来客の日は精霊の機嫌がよくない。ひたすらに祈りを捧げることで精霊をなだめるのだが、先日の来客時には精霊が落ち着くまでに随分と時間がかかった。
「あの時の来客は、誰だったのかしら」
精霊に聞いても答えなど返ってこないけれど、ひとりごとのようにファテナはつぶやいた。
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