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プロローグ
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獲物を見つけたのは、果たしてどちらであったのか。その夜を振り返ることがあるのなら、二人は同じ返答をしただろう。
私だ、と。
豪華絢爛に煌めくシャンデリアの光の下、多くの群衆の視線が行き交う中で、二人の目が合ったのは偶然か、それとも捕食者の瞳がその牙にかける首元を狙っていた為か。
ひとりの男は、清涼感漂う香水を纏っている。洗練されたスーツに青いネクタイを締め、誰が見ても端正であると評価するであろう顔立ちに、艶のよい黒髪がはらりと影を作っている。黒い瞳は煌びやかな周囲の光を受けて、より一層深みを放っていた。感情の起伏が薄い表情は、それでも彼の人の好さを隠しきれておらず、男の周囲には男も女も常に傍に居る。
もうひとりの男は、華やかな髪飾りによって、柔らかい茶色の髪のサイドをかきあげていた。髪と同じ茶色のスーツは、彼専用にデザインされた一点ものだろう。長い睫が頬に影を作り、常に濡れたような瞳が周囲に愛想を振りまく。彼の髪飾りで咲く花よりも甘い美貌に、誰もが目を奪われる。
二人は会場において、ただの一個人で、互いにとってただの通りすがりの他人であった。この会場に辿り着き、目が合う、その瞬間まで。
先に動いたのは、茶色の髪を持った男性であった。蜜を溶かしたような微笑を浮かべ、男に近付く。片手でウェイターを呼び、ワインを手にする。細い指で支えたワイングラスを、男は差し出した。
「つまらない。そうお顔に、書いていらっしゃいますね」
差し出されたその赤い色を、黒い目が自然と見つめた。赤の液体に揺れて映る目が、困惑を浮かべる。
「あなたもそう見えます」
ワインを差し出した男は、やや演技がかった仕草で眉を上げた。
「まさか。私は今宵のパーティーを、この会場にいる誰よりも楽しみにしていたのです」
かきあげて露出されている耳を、男は自分の指で撫で上げた。
「意地悪ですね。どうして? と、促して下さらないのですか?」
黒髪の男は、ふっと息を吐いて笑った。
「私に会うために、では?」
僅かに目を見張った後、茶髪の男も喉で笑う。
「ええ。皇北斗さん、あなたに会うために」
今度は、黒髪の男が目を見開いた。
「私を知っているのか?」
「もちろんです。貴方ほど、有名な方はいらっしゃいませんから」
「それは私ではなく、私の家だろう」
「そんなつまらないことを仰らないで」
茶髪の男の指が、男のネクタイにかかる。解こうとしているのか、宥めようとしているのか、どちらとも取れる動きに困惑は増した。誘惑に掛かってはいけない、この手の相手を振り払う教育も受けてきたが、折角話しかけてくれた相手を傷つけるのではないかという思いが、最後に邪魔をする。だからこそ、兄に比べて要領が良くないと、彼は評されるのだが。
男は指が解かれないことに、笑みを深めた。花の香りか、不思議な匂いが近付いてくる。
静かな咳払いが聞こえたのは、その時だった。
「失礼。私の弟が、何か失礼でも?」
二人よりも背の高い男である。黒髪に、同色の鋭い目が、茶髪の男を捉える。それで、男の細い指はすぐに離れた。
「いえ、ご挨拶をさせていただいていたまでです、皇様」
「成程。ご挨拶の最中に申し訳ないが、所用でな、弟を借り受ける。それでは、失礼」
彼は弟の肩を抱き、男から背を向ける。強引にその場から足早に離れ、兄はすぐに弟に問うた。
「北斗、何かされていないか?」
「挨拶をしてただけ」
言葉通り、多少会話をしたが、それだけだ。
「そんなに怪しい人だった?」
弟よりも眉目秀麗な兄は、その柳眉を顰めた。機嫌を損ねても尚、芸術品のような美しさが損なわれることは無い横顔を、弟はいっそ呆れた気持ちで見上げる。今も兄を見る人々は、兄の存在に自然と目が惹かれ、声を掛けたそうにしている。例え既婚者であると誰もが知っていても、そうせざるを得ないのだ。
何事にも上には上がいる。そう思わずにはいられない。
「もう少し、周囲に興味を持て。情報を仕入れろ。誘惑に吞まれるな。彼は真白開だ。聞き覚えは?」
「ない」
兄は僅かに力を込めて、弟の額を指の関節で叩いた。
「オメガの運動家だ」
思わず振り返ろうとした肩を、兄は止める。さすがに心当たりのある存在に、弟は先程の彼の姿をもう一度思い出そうとした。だが、うまく全体像が思い浮かばない。印象的であったのは、やわらかい髪と、誰もが振り向く華やかな美貌だ。
確かにオメガだと言われれば、納得がいく。簡単におもねるような雰囲気がなかったのは、彼が確固たる意思を持って、近付いていたからか。
「オメガの地位向上を謳って活動してる団体の、中心の人?」
「そうだ。お前は隙が多いから、近寄ってきたんだろう」
アルファの中でも。
付け足された言葉に、苦笑が浮かんだ。兄は心の底から親愛の思いで、告げてくれていることを知っている。兄が自分を大切に思っている気持ちが分かるからこそ、兄弟で比較されたとしても、兄のことを嫌いにはならない。
兄に気付かれぬよう背後を振り返れば、彼の男はまだこちらを見ていた。
目と目が合う。そして彼はふんわりと、目だけで笑って見せた。兄とは真逆の美貌が作った笑みに、人々が群がっていく。それですぐに姿は見えなくなった。
「成程……」
上には上がいるものだ。そして、下には下がいる――そういう世界になっている。その世界から抗う男の姿を、皇北斗は初めて目撃し、真白開はその為の手段をひとつ手に入れた。
二人の出会った夜の、数分の出来事である。
私だ、と。
豪華絢爛に煌めくシャンデリアの光の下、多くの群衆の視線が行き交う中で、二人の目が合ったのは偶然か、それとも捕食者の瞳がその牙にかける首元を狙っていた為か。
ひとりの男は、清涼感漂う香水を纏っている。洗練されたスーツに青いネクタイを締め、誰が見ても端正であると評価するであろう顔立ちに、艶のよい黒髪がはらりと影を作っている。黒い瞳は煌びやかな周囲の光を受けて、より一層深みを放っていた。感情の起伏が薄い表情は、それでも彼の人の好さを隠しきれておらず、男の周囲には男も女も常に傍に居る。
もうひとりの男は、華やかな髪飾りによって、柔らかい茶色の髪のサイドをかきあげていた。髪と同じ茶色のスーツは、彼専用にデザインされた一点ものだろう。長い睫が頬に影を作り、常に濡れたような瞳が周囲に愛想を振りまく。彼の髪飾りで咲く花よりも甘い美貌に、誰もが目を奪われる。
二人は会場において、ただの一個人で、互いにとってただの通りすがりの他人であった。この会場に辿り着き、目が合う、その瞬間まで。
先に動いたのは、茶色の髪を持った男性であった。蜜を溶かしたような微笑を浮かべ、男に近付く。片手でウェイターを呼び、ワインを手にする。細い指で支えたワイングラスを、男は差し出した。
「つまらない。そうお顔に、書いていらっしゃいますね」
差し出されたその赤い色を、黒い目が自然と見つめた。赤の液体に揺れて映る目が、困惑を浮かべる。
「あなたもそう見えます」
ワインを差し出した男は、やや演技がかった仕草で眉を上げた。
「まさか。私は今宵のパーティーを、この会場にいる誰よりも楽しみにしていたのです」
かきあげて露出されている耳を、男は自分の指で撫で上げた。
「意地悪ですね。どうして? と、促して下さらないのですか?」
黒髪の男は、ふっと息を吐いて笑った。
「私に会うために、では?」
僅かに目を見張った後、茶髪の男も喉で笑う。
「ええ。皇北斗さん、あなたに会うために」
今度は、黒髪の男が目を見開いた。
「私を知っているのか?」
「もちろんです。貴方ほど、有名な方はいらっしゃいませんから」
「それは私ではなく、私の家だろう」
「そんなつまらないことを仰らないで」
茶髪の男の指が、男のネクタイにかかる。解こうとしているのか、宥めようとしているのか、どちらとも取れる動きに困惑は増した。誘惑に掛かってはいけない、この手の相手を振り払う教育も受けてきたが、折角話しかけてくれた相手を傷つけるのではないかという思いが、最後に邪魔をする。だからこそ、兄に比べて要領が良くないと、彼は評されるのだが。
男は指が解かれないことに、笑みを深めた。花の香りか、不思議な匂いが近付いてくる。
静かな咳払いが聞こえたのは、その時だった。
「失礼。私の弟が、何か失礼でも?」
二人よりも背の高い男である。黒髪に、同色の鋭い目が、茶髪の男を捉える。それで、男の細い指はすぐに離れた。
「いえ、ご挨拶をさせていただいていたまでです、皇様」
「成程。ご挨拶の最中に申し訳ないが、所用でな、弟を借り受ける。それでは、失礼」
彼は弟の肩を抱き、男から背を向ける。強引にその場から足早に離れ、兄はすぐに弟に問うた。
「北斗、何かされていないか?」
「挨拶をしてただけ」
言葉通り、多少会話をしたが、それだけだ。
「そんなに怪しい人だった?」
弟よりも眉目秀麗な兄は、その柳眉を顰めた。機嫌を損ねても尚、芸術品のような美しさが損なわれることは無い横顔を、弟はいっそ呆れた気持ちで見上げる。今も兄を見る人々は、兄の存在に自然と目が惹かれ、声を掛けたそうにしている。例え既婚者であると誰もが知っていても、そうせざるを得ないのだ。
何事にも上には上がいる。そう思わずにはいられない。
「もう少し、周囲に興味を持て。情報を仕入れろ。誘惑に吞まれるな。彼は真白開だ。聞き覚えは?」
「ない」
兄は僅かに力を込めて、弟の額を指の関節で叩いた。
「オメガの運動家だ」
思わず振り返ろうとした肩を、兄は止める。さすがに心当たりのある存在に、弟は先程の彼の姿をもう一度思い出そうとした。だが、うまく全体像が思い浮かばない。印象的であったのは、やわらかい髪と、誰もが振り向く華やかな美貌だ。
確かにオメガだと言われれば、納得がいく。簡単におもねるような雰囲気がなかったのは、彼が確固たる意思を持って、近付いていたからか。
「オメガの地位向上を謳って活動してる団体の、中心の人?」
「そうだ。お前は隙が多いから、近寄ってきたんだろう」
アルファの中でも。
付け足された言葉に、苦笑が浮かんだ。兄は心の底から親愛の思いで、告げてくれていることを知っている。兄が自分を大切に思っている気持ちが分かるからこそ、兄弟で比較されたとしても、兄のことを嫌いにはならない。
兄に気付かれぬよう背後を振り返れば、彼の男はまだこちらを見ていた。
目と目が合う。そして彼はふんわりと、目だけで笑って見せた。兄とは真逆の美貌が作った笑みに、人々が群がっていく。それですぐに姿は見えなくなった。
「成程……」
上には上がいるものだ。そして、下には下がいる――そういう世界になっている。その世界から抗う男の姿を、皇北斗は初めて目撃し、真白開はその為の手段をひとつ手に入れた。
二人の出会った夜の、数分の出来事である。
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