キツネと龍と天神様

覗き見の龍曰く

　ぽつりと紙に染みが出来た。

　男がそれを見続けていた。
　握りしめた筆の先から、重力に負けた墨汁が滴りおちる。
　頭の中が真っ白で、何を書きたかったのか、いや何かを描きたかったのか判らなくなっていた。

　手が石になる呪いにかかったように、動かない。
　眼を閉じて、日常の光景、愛しい妻を、あの感情を思い出そうとすると、風が吹いた。

　難問だ。この国随一と言われた絵描きの男でも難題だった。
　暴君から男に下された命は、生きた絵を描くこと。
　描けるはずもない。と、男は王を諫めたが、聞き入れられず筆を持たされることになった。

　処刑人が剣を持って横で仁王立ちしている。

　風が妻の匂いを運んできたようだった。
　せめて、惚れた妻のことを想いながら死のうと目を瞑り、愛することだけを信じて筆を紙に走らせた。


　男が無事に家にたどり着くと、妻が亡骸になっていた。
　そしてもう一度、妻に会うために命を絶った。