狙われた楽園~20〷年日本国滅亡への序章~

44年の童貞地獄

文字の大きさ
上 下
19 / 47

奪われた家、裏切られた絆

しおりを挟む
「また来てやがる…」

桝充利はブラインドの隙間から外を覗き込み、公安の監視車両を睨みつける。
早稲田にある「絆ネットワーク」のオフィスは、ここ数週間、公安警察の監視下に置かれていることを彼は薄々感じ取っていた。
彼らの動きは鈍いが、確実に絆ネットワークを取り囲んでいる。
ばかりか、他の共栄教会系の団体もすでに監視下に置かれていたのだ。

「そりゃそうと、あの件はどうしてる?西宮繭の実家を乗っ取る話」

桝は不意に話題を変えた。
西宮繭は何年か前に、孤独を抱える若者を支援するNPO法人を標榜するこの「絆ネットワーク」に相談にやってきて合宿に参加、洗脳されて共栄教会の信者になって久しい女性である。
彼女の実家は世田谷区内に200坪を超える広さがあり、桝は彼女が相談に来た時からその乗っ取りをたくらんでいた。
それが今進行中だったのだ。

「ああ、あれね。あれは坂尾って女がうまくやってる。もうそろそろ終わるだろう」

「へえ。で、坂尾って誰だっけ?」



その頃、世田谷区の古びた一軒家の座敷では、西宮繭の高齢の父・西宮正一が座っていた。
青白い顔にうっすらと汗を浮かべ、手には震えが見える。
糖尿病が進行しているのは明らかで、彼の体は限界に近づいていた。
向かいには共栄教会の息のかかった司法書士が座り、土地の名義変更についての最終的な確認を進めていた。

「これで、名義は娘さんに変更されます。安心してください、手続きはスムーズに進みますから」

正一は疲れた表情でうなずく。

「繭のために…そうだ、それがいい。繭が帰ってきた時に、家をちゃんと残しておかないとな…」

その言葉を聞きながらも、司法書士は冷淡な表情を崩さない。
司法書士にとって、これは教団のために何回もこなしてきたただの手続きの一つにすぎないのだ。

そして、この状況に至るまでにも巧妙な策が張り巡らされていた。

すべては正一が一人娘の繭に家出されたうえに妻に先立たれ、孤独の中で生活が荒れ果てたことが発端である。
糖尿病を患いながらも正一は酒に溺れる日々を過ごしていたのだ。

そんな中で送り込まれたのが坂尾真奈美という女性信者である。

入信する前は感受性が強すぎて傷つきやすく泣いてばかりだった真奈美だったが、合宿での洗脳を通じて共栄教会の教義に染まり、教団の忠実な兵士となっていた。

そんな彼女は繭の親友を名乗り、正一に接近したのは半年前。

「繭さんがとても心配してました。今は顔を見せられないと言っていたから私が代わりに来ました」

そう言って、真奈美は巧みに正一に近づいての彼の心を掴んだのだ。
繭が自分を心配している、その一言だけで、正一は自分の荒んだ生活を顧みることなく、ただ真奈美の語る娘の思いに胸を打たれてしまった。

「繭が…そんなに俺のことを…」

さらに真奈美は「繭さんから預かった」という名目でアルコール度数の高い酒を差し出し、正一に飲ませる。
病状を悪化させる一方、娘の思い出をちらつかせることで、正一は酒を拒むことができなかった。

そして度々訪問して酒を飲ませ、彼の体と心が限界に達しつつあることを見極めてから決定的な提案をする。

「お父さん。繭さんはお父さんが元気でいることを一番大事に思っています。それに帰って来た時のためにお父さんが繭さんのために家を準備してくれたら、きっと安心するはずです」

「繭が帰ってくる…?」

殺し文句だった。
こうして真奈美は言葉巧みに土地の名義変更を提案し、糖尿病の悪化で正一のますます弱っていく精神を利用して書類にサインさせることに成功。
土地の名義が繭に変更されることになったのだ。

名義変更が完了した後安心したのか、正一はますます体調を崩していく。
それでも彼はずっと繭のことを思い続けていた。

最後に西宮家を訪問した時、布団に横たわってもはや死に体だった正一は真由美にこう言っていたという。

「繭…お前の家だから、いつでも戻っておいで…そう伝えてくれんか…」

彼のその言葉に、坂尾は一切の感傷を感じることなく頷いた。
彼女はただ正一がそのまま息を引き取ることが確認できるまで訪問することにしていたが、これが最後の訪問になるだろうと確信。
それは結局その通りになった。



そうとは知らない繭は工場での仕事から帰って、江東区の教団の寮で共栄教会の聖典である『イ・リキョン語録』を熱心に読み込んでいた。
教団の教えに深く帰依した彼女はすでに実家のことなど念頭にない。
それはスマートフォンに桝から「お前の実家の名義だけど、もうお前のものになったぞ」という着電があっても変わらなかった。
その言葉に繭は何ら顔を動かさず、無表情のまま答えたのだ。

「もう私の家はここです。実家なんて、もう私にはありません」

その言葉をオフィスの電話越しで聞いた桝は満足げに笑みを浮かべた。
正一の土地も、繭の反応も、すべてが計画通りである。
公安の監視をかわしつつ、教団の影響力はこうして一歩ずつ拡大していたのだ。



桝はすべてうまくいったと心の中でほくそ笑む。

坂尾って、あの泣いてばかりでウンコまで漏らした女だ。
あのウンコ女がいい仕事をしたもんだ。

だが、最初に正一の情報を持ち込んでこの計画を立案したのは、ずっとバカにしてアゴでこき使ってきた岡崎正英である。
三十九歳で入信した彼は教団内での経験を通じ、四十歳を超えて悪さの才能を開花させたらしい。
これまでも教団の利益になる悪事を次々に提案するようになっていたのだ。

「これ思いついたの岡崎なんだよな、あのダメ中年オヤジも使えるようになったもんだ」

「俺たちもウカウカしてられねえぞ」

オフィスで祝杯のシャンパンを飲みながら笑い合う桝と金だったが、もちろん本気でそう思っていない。
岡崎も坂尾もずっと奴隷のままだし、自分たちの主人としての地位は変わらないだろう。

だが、それは間違いだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

びるどあっぷ ふり〜と!

高鉢 健太
SF
オンライン海戦ゲームをやっていて自称神さまを名乗る老人に過去へと飛ばされてしまった。 どうやらふと頭に浮かんだとおりに戦前海軍の艦艇設計に関わることになってしまったらしい。 ライバルはあの譲らない有名人。そんな場所で満足いく艦艇ツリーを構築して現世へと戻ることが今の使命となった訳だが、歴史を弄ると予期せぬアクシデントも起こるもので、史実に存在しなかった事態が起こって歴史自体も大幅改変不可避の情勢。これ、本当に帰れるんだよね? ※すでになろうで完結済みの小説です。

ビキニに恋した男

廣瀬純一
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

奇妙な日常

廣瀬純一
大衆娯楽
新婚夫婦の体が入れ替わる話

処理中です...