月夜の湖 (改訂版)

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
59 / 63
その後の話

『梅香る君』 2

しおりを挟む
「やめろっ」

「光る君と宮中で名を馳せていたあなたが、桔梗の上のように地位も美貌も兼ね備えたこの上ない女性と婚姻しておきながら、おぼこ(未通女)のまま放って置くなんて。随分と私の愛しい桔梗の上のことを虚仮(こけ)にしてくれましたね。一体あなたの本命は誰なんですか、さぁさぁ早く教えて下さいよ」

「うっ……痛っ……」
「もしや……私には話せない相手ですか。人に言えない相手ですか」

 じりじりと俺のものを握り締める手に力が入り、一層追い詰められていく。

「あぁ……やめ……ろ。やめてくれ!」

 あまりの痛さに目を見開くと、その目からは涙がにじみ出そうになるが、決して見せたくなかった。泣きたくない。こんな卑劣なことをされ……屈辱で流す涙は、相手を悦ばすだけのものでしかないから。

 絶対に俺の迂闊な一言で、丈の中将を窮地に立たせたくない。
 許されぬ恋をしている自覚はあった。
 問い詰められても言い訳は出来ぬことも知っている。

「……」

 俺は何も言い返さない。キュッと唇を噛みしめて痛みに耐えることしか出来ないんだ。

「ほぅ……これはこれは随分と強情ですね」

「……もういい加減に離せ。気が済んだだろう。君には何も話すことはない。それに今はもう誰にも迷惑はかけていないはずだ」

「それはどうかな? そういえば桔梗の上の兄君は随分とあなたと仲が宜しいとお聞きしましたが……もしや、あなたは人に言えないような恋をお患いではないのですか」

「なっ……何ということを。左大臣家は妻と離縁した後も俺の後見人なだけで、あの方には関係にない」

「そうですかねぇ。私はあやしいと思っておりましたよ。そうそう……もしもそうならば、ここが柔らかくなっているとお聞ききしましたが、こちらも確かめましょうかねぇ」

 前を触っていた手が、そのままなんとも強引に下襲の中に器用に割り入り、直接肌に触れて来た。熱のこもった妖しい動きをする……その指先に嫌悪感が一層募る。

「や……やめろっ!」
「しっお静かに」

 必死に躰を揺すって抵抗するが、一回りも体格がよい兵部卿に押さえつけられた躰は自由が効かない。そして……あろうことか、その指先が尻の奥へと進み、割れ目を辿って、肉を掻き分け蕾に達しようとしていた。もっと深くを探ろうと、のしかかる様に躰も密着させられ虫唾が走る。

「ひっ……」
 
 思わず悲鳴が漏れそうになり、己の口を手で押さえて耐えた。
 こんな場所でこんな風に……俺のことを弄ぶなんて許さない!

「あぁ滑らかな肌ですね。吸い付くようですね。あなたはなんと魅惑的な躰をお持ちなんでしょう。これでは男も女も虜にしてしまうのも無理はない」

「っつ……」

 一度抵抗する躰の力を一旦弱めると、兵部卿の宮は、してやったりとほくそ笑んだ。

「あぁ感じてきましたようですね。うっとりしますよ。ここ……あなたは随分と淫乱ですね」

 尻の肌触りを楽しむかのように撫でまわしていた指先がとうとう、つぷっと蕾の中へ無理矢理入り込もうとしたその時、俺はキッと睨み返し、思いっきり全身の力を込めて突き飛ばした。

「わぁっ」

 俺が抵抗をやめたと油断していた兵部卿の宮はバランスを崩し、派手な音を轟かせながらその場に尻もちをついた。その拍子に格子が外れ、ガランガランっと渡殿に大きな音を立ててしまった。

「まぁ何事ですの」
「こちらから大きな音が」

 騒ぎを聞きつけた※女房たちが近づいて来たので、俺は慌てて直衣の乱れを直し、兵部卿の宮を残して、その場から立ち去った。  ※朝廷や貴顕の人々に仕えた奥向きの女性使用人


「まぁ兵部卿の宮様っ! 一体どうなさったのですか」
「いや……なんでもない。その……大人しそうな猫に急に噛まれたので驚いただけだ! はははっ」
「まぁ猫ですって? 嫌ですこと……ほほほ…」

 気まずそうに言い訳をする兵部卿の声が遠くに聴こえていた。

 気持ち悪い。あんな奴にあんな風に、あのような秘めたる場所を触られて……泣きたいような苦しい気持ちで、胸が苦しくて直衣の上から胸をぎゅっと押さえた。

 その後、急に心配が込み上げてくる。

 兵部卿の宮が何か余計なことを言わないだろうか。何か気が付いてしまっただろうか。俺もなんと見下されたことか。あんな奴にいい様に躰を弄られなんてしまうなんて。

 もう忘れていた嫌な過去が一気に蘇ってきてしまう。

 牡丹に長きに渡り抱かれ続けた暗黒の日々を思い出してしまう。
 駄目だ……今すぐに丈の中将に会いたい。

 君がいないと、俺はすぐにこんなにも弱くなってしまう。
 早く帰って来い。早く帰って来て欲しい。
 込み上げてくるものを……もうせき止められない。
 胸を押さえながら、無我夢中で誰もいない場所を、泣く場所を探して宮中を走り抜けた。

 ふと横目で紫宸殿の前の南庭を見ると、人気がなかったので駆け下りた。見上げれば粉雪が、空からひらひらと舞い降りていて、南庭はすっかり白銀の世界となっていた。

 清らかで厳かな雰囲気で満ちた庭に、今は人ひとりいない。

 ここだ。ここなら泣いても許されるだろうか。

 この汚れた身を浄化したい……そう思い木陰までふらふらと歩いて行くと、ふわりと俺を抱きしめるように、花の香りが届いた。

「……この香は……梅か」

 見渡せば庭の端に梅の古木があった。枝にも綿帽子のようにふんわりと雪が積もっている。

「もしや……ここに……花が咲いているのか」

 指先で雪をそっと掻き分けると、白梅がひょっこりと可憐な顔を出した。まるで白い雪に守られるように、それでも隠し切れない白梅の甘い香りに心を奪われ、その拍子に目頭がじんと熱くなり、涙がはらりと零れ落ちた。

 あぁ……やっと泣けた。

 悔しくて気持ち悪くて……泣きたい位嫌だったのに、騒ぎになるのが嫌で、抵抗せずにぎりぎりまで耐えてしまった己を恥じていた。そんな自己嫌悪の気持ちを、涙が解放してくれるようで、つい雪に涙を隠しながら木陰にもたれ嗚咽を漏らしてしまった。

 宮中でこんな風に乱れてはいけないのに、誰が見ているかも分からないのに、もうどうしても堪えられなかった。

「……そこに居られるのは、洋月の君ですか。何をそんなに泣いておられるのか」

 高貴な香の香りと共に、突然……御簾越しに声をかけられた。

「あっ……あなたは」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

桜吹雪と泡沫の君

叶けい
BL
4月から新社会人として働き始めた名木透人は、高校時代から付き合っている年上の高校教師、宮城慶一と同棲して5年目。すっかりお互いが空気の様な存在で、恋人同士としてのときめきはなくなっていた。 慣れない会社勤めでてんてこ舞いになっている透人に、会社の先輩・渡辺裕斗が合コン参加を持ちかける。断り切れず合コンに出席した透人。そこで知り合った、桜色の髪の青年・桃瀬朔也と運命的な恋に落ちる。 だが朔也は、心臓に重い病気を抱えていた。

後悔 「あるゲイの回想」短編集

ryuuza
BL
僕はゲイです。今までの男たちとの数々の出会いの中、あの時こうしていれば、ああしていればと後悔した経験が沢山あります。そんな1シーンを集めてみました。殆どノンフィクションです。ゲイ男性向けですが、ゲイに興味のある女性も大歓迎です。基本1話完結で短編として読めますが、1話から順に読んでいただくと、より話の内容が分かるかもしれません。

しのぶ想いは夏夜にさざめく

叶けい
BL
看護師の片倉瑠維は、心臓外科医の世良貴之に片想い中。 玉砕覚悟で告白し、見事に振られてから一ヶ月。約束したつもりだった花火大会をすっぽかされ内心へこんでいた瑠維の元に、驚きの噂が聞こえてきた。 世良先生が、アメリカ研修に行ってしまう? その後、ショックを受ける瑠維にまで異動の辞令が。 『……一回しか言わないから、よく聞けよ』 世良先生の哀しい過去と、瑠維への本当の想い。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

僕の宿命の人は黒耳のもふもふ尻尾の狛犬でした!【完結】

華周夏
BL
かつての恋を彼は忘れている。運命は、あるのか。繋がった赤い糸。ほどけてしまった赤い糸。繋ぎ直した赤い糸。切れてしまった赤い糸──。その先は?糸ごと君を抱きしめればいい。宿命に翻弄される神の子と、眷属の恋物語【*マークはちょっとHです】

秋津皇国興亡記

三笠 陣
ファンタジー
 東洋の端に浮かぶ島国「秋津皇国」。  戦国時代の末期から海洋進出を進めてきたこの国はその後の約二〇〇年間で、北は大陸の凍土から、南は泰平洋の島々を植民地とする広大な領土を持つに至っていた。  だが、国内では産業革命が進み近代化を成し遂げる一方、その支配体制は六大将家「六家」を中心とする諸侯が領国を支配する封建体制が敷かれ続けているという歪な形のままであった。  一方、国外では西洋列強による東洋進出が進み、皇国を取り巻く国際環境は徐々に緊張感を孕むものとなっていく。  六家の一つ、結城家の十七歳となる嫡男・景紀は、父である当主・景忠が病に倒れたため、国論が攘夷と経済振興に割れる中、結城家の政務全般を引き継ぐこととなった。  そして、彼に付き従うシキガミの少女・冬花と彼へと嫁いだ少女・宵姫。  やがて彼らは激動の時代へと呑み込まれていくこととなる。 ※表紙画像・キャラクターデザインはイラストレーターのSioN先生にお願いいたしました。 イラストの著作権はSioN先生に、独占的ライセンス権は筆者にありますので無断での転載・利用はご遠慮下さい。 (本作は、「小説家になろう」様にて連載中の作品を転載したものです。)

蜘蛛の巣

猫丸
BL
オメガバース作品/R18/全10話(7/23まで毎日20時公開)/真面目α✕不憫受け(Ω) 世木伊吹(Ω)は、孤独な少年時代を過ごし、自衛のためにβのフリをして生きてきた。だが、井雲知朱(α)に運命の番と認定されたことによって、取り繕っていた仮面が剥がれていく。必死に抗うが、逃げようとしても逃げられない忌まわしいΩという性。 混乱に陥る伊吹だったが、井雲や友人から無条件に与えられる優しさによって、張り詰めていた気持ちが緩み、徐々に心を許していく。 やっと自分も相手も受け入れられるようになって起こった伊吹と井雲を襲う悲劇と古い因縁。 伊吹も知らなかった、両親の本当の真実とは? ※ところどころ差別的発言・暴力的行為が出てくるので、そういった描写に不快感を持たれる方はご遠慮ください。

処理中です...