月夜の湖 (改訂版)

志生帆 海

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闇の章

陽だまりのような人5

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「洋月の君? もう部屋に入ってもいいか」

 隣室で私も濡れた狩衣を脱ぎ、手早く直衣に着替えた。しかしいつまで待っても洋月の君からの返事がないので、思い切ってこちらから声を掛けてみた。相手は同性の男なのに女子以上に気を遣うなんて、何だかおかしなものだ。だが彼の願いを深く尊重してあげたくなる……そんな切ない眼差しだった。

 しかし一向に返事がない。

 一体どうした? そんなに具合が悪いのか。

「おい!返事をしろよ。どうした?中に入るぞ」

 思い切って扉を開くと、洋月の君は狩衣を脱ぎ散らかし何とか白い単衣に着替えたところで更に具合が悪くなったのだろう。肌着姿のまま壁にもたれて目を閉じていた。

「おいっ!大丈夫か」

 そっと近づき額に手をあててみると、さっきより更に熱が上がっているようだ。

「んっ……さ……むい」

 顔色も悪く寒そうにカタカタと小さく肩を震わせている。

 くそっ!火鉢があれば部屋を暖められるのに!

 女官もいないのでは、どう対処したら良いのか分からない。俺に出来ることは、己の躰で温めてやること位だ。

 畳の上に乾いた直衣を敷き、洋月の君をそっと横たわらせてやった。降下したとはいえ帝の皇子に失礼なことかと思いつつも、この状況で彼を温められるのは、この方法だけだろう。

 そっと肌着姿で震える洋月の君の躰を、抱きしめてやった。

 洋月の君は……随分と細い腰で頼りない躰なんだな。

「寒い……寒い……」

 うわ言のように何度も寒いと呟く洋月の君のことが、心配で仕方がない。

「そんなに寒いのか」

 迷った後、躊躇していた気持ちを整理して、洋月の君の白い単衣の袷に手を挿し入れ、そっと肩が露わになるように、降ろしていく。

「あっ……」

 あまりに美しい真珠のような艶やかな肌に、私の躰がゾクっと震えてしまった。熱のせいか平らな胸に飾りのようについている乳首は上品な桜色に染まり溢れんばかりの艶めきを醸し出していた。

 これは……なんと色香の溢れる躰つきなのか。

 おいっしっかりしろ!この行為は、熱がある洋月の君を介抱するためだ。

 私も胸をはだけさせ、洋月の君の上半身へぴったりと重ねてやった。私の温もりを少しでも分け与えたい。更に深く肌を密着させてやると高熱でぼんやりしている洋月の君は何の抵抗もせずに身を委ねてくれた。

「あぁ温かい……」

 暫くじっとしていると躰が温まってきたのか幾分穏やかな寝息を立て始め、やっと眠りについたようなのでほっとした。

 その寝顔を、じっと眺めた。今までこんなに近くで見つめたことはなかったので、つい見入ってしまう。長い睫毛が彫りの深い美しい顔に影を作っている。女子のような可憐な顔にほっそりとした躰。帝の皇子はどの方もお美しい方ばかりだが、洋月の君の美しさは格別だな。

 それにしても、洋月の君……君はなんて儚げな人なのだ。

 この上ない身分に華やかな境遇。凡人が持てないものを余すほど持っているというのに、何故こんなにも今、か弱く私の腕の中で震えているのか。何か人に言えない秘密でもあるのかと心配にもなる。

 君が私の前だけで明るく笑ってくれる姿が好きだ。

 私は君の存在が気になって、しょうがない。

 君が笑ってくれるのなら、いつだって助けてあげたい。

 今宵のように。

 今日の鷹狩は一生忘れないだろう。

 このような機会はもうないだろうな。

 こんな風にまた、ふたりだけで過ごせる時があればいいのにとすら思えてくる。私は何をしたいのだろう。洋月の君の前では、もう己の心が分からなくなってきているようだ。

 頭の中に、恋人へ贈る有名な句が浮かんで来た。

 名にし負はば 逢坂山(あふさかやま)の さねかづら 人に知られで くるよしもがな

            三条右大臣(25番) 『後撰集』恋・701

※   恋しい人に逢える「逢坂山」、一緒にひと夜を過ごせる「小寝葛 (さねかずら)」その名前にそむかないならば、逢坂山のさねか ずらをたぐり寄せるように、誰にも知られずあなたを連れ出す方 法があればいいのに。

 

 恋人にまた逢いたい。

 そんな歌が浮かぶとはいよいよ重症だ……参った。

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